056_鉄人(Сталин)
「おい、聞いたか?」
壁に手をつきながら、ジュネが言う。天井からの土埃は、砲声が収まった後も、しばらく降り注いだ。
「何の音だよ、今の……ハックション!」
「戦車だ」
ニキータが言った。
「あいつら……戦車で、この街をめちゃくちゃにする気なんだ!」
ニキータが言い終わらないうちに、銅鑼を叩きつけるような音とともに、再び地下水路が大きく震えた。前方の天井が崩れ、レンガの塊が土煙を上げる。
「ここから離れよう」
ニコルが言った。瓦礫の落下するはずみで、水が波打ち、クニカの足下でしぶきが上がる。
「たぶん、水路が逃げ道になってるって、もうバレてるんだ。地上の建物を崩して、水路を押し潰そうとしてる」
「い、いったい、わしらはどうすれば……」
「戦車から逃げるんだ」
ニコルの言葉を受けて、リンが辺りを見渡した。正面に続く水路のほかに、分岐は二つあった。
「砲撃から、なるべく遠いところまで――」
「ウウン……。」
リンが言い終わらないうちに、カイがうなる。
「どうした、カイ?」
「――こっち!」
「え?」
カイは、リンが進もうとしていた水路とは別の水路を指さしている。
「カイ、音と同じ方向だろ、そっちは?」
「ン! でも、こっち!」
「リン、待って!」
ジュリが言う。
「鯱でしょ、カイって? 超音波で、水路がどこに続いてるか、分かるんじゃない?」
「ン!」
ジュリに呼応するようにして、カイが声を上げる。
「分かった。カイを信じよう」
ニキータからランタンを預かると、リンは先頭に立って水路を歩き始める。クニカたちは、その後ろを追った。
◇◇◇
先へ進めば進むほど、水路はその複雑さを増していった。古い水路の上に、新しい水路が組まれていたり、水路が急に折れ曲がって、別の水路と合流しているような場所が、何か所もあった。
そのような場所に居合わせる都度、カイは壁に耳を当てて、慎重に次の行き先を示した。砲撃は近くなったり、遠くなったりしたが、カイの辿る道が行き止まりだったことは、一度もなかった。
「話の続きだけどさ、おっちゃん」
鼻を手でつまみながら、ジュネがニキータに尋ねる。“犬”の魔法属性で、鼻が利くジュネは、相変わらず水路の臭さに堪えられないようだった。
「おっちゃんたちは、誰に指揮されてたんだよ?」
「そう、その話だ。うちらは、ミカイア嬢ちゃんだ」
「ミカイア? ――あ」
何かを思い出したかのように、ジュリが手を叩く。
「あれでしょ? 東区の道場主の子で、家を抜け出してそのままシャンタイアクティ騎士団に入ったっていう――」
「そうそう! ジュリちゃん、詳しいんだなァ」
「当たり前でしょ? ネコの情報網、ナメないでよね」
「ちぇっ、シャンタイアクティか」
リンがぼやいた。
「何か、いけ好かないなァ」
「何言ってんだ、リンちゃん。ミカ嬢はいい子だぜ? そんな腐すようなこと聞いたら、げんこつ一発、ってところだ」
「ケンカなら負けないぜ」
「ばか。リンちゃん、ミカ嬢には勝てないよ。どんだけ腕が立つと思ってるんだ――」
そんなに強いのか、と、会話に聞き耳を立てていたクニカは、内心でふるえ上がっていた。リンのげんこつを、クニカは何度も味わったことがある。そんなリンのげんこつよりも強いというのだから、ミカイアはただ者ではない。
「クニカ、寒いのか?」
「いえ……なんでも――」
クニカが言いかけた、その時だった。頭上からの音とともに、雨のようになって、土埃が降り注ぐ。
「いやっ、ちょっと?!」
ジュリが悲鳴を上げる。土埃は、砂というよりも、礫と呼べるほどの大きさだった。
「どうなってんだ……!」
「――シッ!」
悪態をつきかけたリンを、ジュネがたしなめる。
「太陽の臭いだ」
「……え?」
リンが尋ね返した矢先、再び轟音が響き渡り、クニカたちのはるか頭上から、瓦礫が水路に落ちてくる。穴の開いた天井から降り注ぐ一条の光が、地下水路にまだら模様を描き出した。
「ランタン、ランタン!」
「え……あっ!」
ニコルに促され、リンが慌ててランタンを絞り、光を消した。金属同士が打ち鳴らされる重い音が、天井に空いた穴の上から響いてくる。聞き間違いでなければ、それは戦車のキャタピラの音だった。
「〈もう一発だ!〉」
聞こえてきたサリシュ=キントゥスの言葉に、クニカは戦慄する。次の瞬間、天井の穴から、何かが降って来た。それは光を浴びて銀色に輝いており、クニカの目には、小さな卵のように映った。
「あっ」
ニコルが息を呑む。銀色の卵が、水中へと落下する。落下した途端、水しぶきを押しのけるようにして、煙が立ち昇った。
「ヤバい!」
真っ先に反応したのは、ジュネだった。
「息止めろ――」
だが、ジュネが言うよりも、煙の方が速かった。煙は、瞬間的に地下水路の中を膨れ上がり、あっという間にクニカたちを飲み込む。
煙に包まれてすぐ、クニカは、皮膚を炭酸に撫でられるような感覚を味わった。
毒ガス――慌てたクニカは、当の“毒ガス”が充満しているにもかかわらず、思わず口を開いてしまった。口を開けた瞬間、苦い味が広がり、全身に力が入らなくなる。後ろにカイがいるというのに、カイを避けることさえままならず、ほとんどカイを枕のようにして、クニカは後ろに倒れ込んだ。
クニカだけではなかった。みな煙を浴びて、地面に倒れている。皆が皆、自分たちが窮地に陥っていることを、開きっぱなしになった瞳孔を通じて、目で合図した。ほかにどうしようもなかった。喋ることさえできなかった。
「〈――いたぞ!〉」
クニカの耳に、サリシュ=キントゥスの言葉が飛び込んでくる。煙を突き破って、クニカの前方に、自動小銃を構えた兵士が現れる。兵士は、映画の中でしか見たことがないようなガスマスクを被っている。朦朧とする意識の中で、その様子がとても滑稽で、このような状況にもかかわらず、クニカは笑いそうになってしまった。
「――動クナ!」
キリクスタンの言葉で、兵士は呼びかけてくる。その間にも、白い軍服を身にまとった男たちが、地面に空いた穴から、続々と降りてくる。
「〈何だ〉」
近づいてきた別の兵士が、クニカたちを見て、呆れ気味に言った。
「〈女子供ばかりじゃないか。避難し損ねたんだな〉」
遠くで、更なる爆発音が聞こえた。地下水路の天井が大きく崩れ、斜面になって水路を押し潰す。今ではすっかり、地下水路は地上に露出している。陽射しがとても眩しく、クニカには感じられた。
「〈おい、こいつら、“自由チカラアリ”の奴らだ〉」
ニコルとニキータとを引きずり出すと、サリシュ=キントゥスの兵士たちは、二人を横倒しにした。自動小銃をニキータの手から奪うと、兵士はニキータの腹に蹴りを入れる。
苦しそうに口から泡を飛ばすニキータを見て、笑い声が起きた。
「〈上からのお達しだ。殺すぞ〉」
まずい――。クニカはそう思ったが、口を開くことさえままならなかった。それどころか、崩落した天井の斜面を伝って、一台の戦車が、クニカたちの方へ向かっている。
ニキータのこめかみに、銃口が突きつけられる。
「〈祈りな。そのくらいの時間はくれてやるよ〉」
(そうだ――)
兵士の言葉に、クニカははっとする。まだ何かを考えたり、感じたりすることはできる。クニカのできる唯一のことがあるとすれば、祈ること、これしかない。
(ミカイア――!)
ほかに何も思いつかず、クニカは、会ったこともない使徒騎士・ミカイアの名前を心の中で叫んだ。
(お願い……わたしたちを助けて……!)
「〈ほかの奴らは?〉」
「〈連れてくさ。女は楽しみに取っておくんだよ〉」
ニキータに銃口を向けたまま、一人の兵士が言った。ガスマスク越しに、粗野な笑い声が漏れてくる。既に兵士の何人かは、ジュネやリンを抱き上げようとしている。
「〈さあ、たっぷりと可愛がってやるからな――〉」
兵士が言いかけた、その矢先のことだった。クニカは、男の肩越しに、何かが飛び上がったのを目撃した。それは、クニカたちの遥か遠いところから跳躍し、空高くから、放物線を描いてこちらに接近しているようだった。
「〈何だあれは……?〉」
ジュリを誘拐しようとしていた兵士が、上空の異変に気付いて声を上げる。その時には、何もかもが手遅れだった。空から飛び込んできた人影が、勢いよくニキータと兵士との間に着地する。着地の衝撃で、残りの煙は跡形もなく吹き飛び、兵士は後ずさった。
「〈何だ――〉」
それ以上の言葉を、兵士が言うことは許されなかった。人影は、左手の拳を構えると、兵士の顔に目掛けて一閃、拳を叩き込む。瓦が割れるような音とともに、男のガスマスクがひしゃげ、男はその場で二回転し、地面に倒れ込んだ。拳の一撃が、それだけ重かった。
あっけに取られているクニカをしり目に、舞い降りた人影は、サリシュ=キントゥスの日兵士たちを次々になぎ倒していく。人影は、何の予備動作もなく、軽やかに身体を動かしていたが、その結果は重かった。人影が手を振り上げ、足を払うたびに、人影よりもはるかに身長があるはずの兵士たちが、直角に折れ曲がったり、壁もろとも粉砕され、叩きつけられる。
最後の歩兵が薙ぎ払われた頃、クニカはようやく、人影が長剣を背負っていることに気付いた。人影は金色の長髪で、桃色の長衣を身にまとっている。
クニカたちの前方にいた戦車が、砲塔をゆっくりと回転させる。砲塔は、新しく現れた女性に照準を合わせている。
だが、女性は逃げる素振りも見せず、そのまま戦車に向かって駆け出す。どうすれば良いのか分からず、クニカはただ、その光景に釘付けになる。
戦車の砲塔から、弾が発射される――全ての光景が、クニカの前ではスローモーションのように映った――。弾はまっすぐ女性に飛んでいたが、女性は構わず、右手の拳を振り上げる。女性の右手に、弾がさく裂する。しかし弾かれたのは、女性ではなく、弾の方だった。ボールがバットに打ち返されるように、砲弾は反対方向へと飛び、戦車のキャタピラに直撃する。その勢いが余りにも強かったためか、クニカの目の前で、戦車の前輪が浮き上がった。
浮き上がった戦車の車体に、女性は身体を滑り込ませる。女性はそのまま、左足で戦車の底を蹴り上げた。小石を蹴り上げるかのような鮮やかさで、戦車が中空で縦に一回転する。そのまま戦車は放物線を描き、砲塔から水路に叩きつけられる。
「あ……」
ようやく声が出るようになって、クニカは言った。女性がクニカの方を振り返る。女性は青い瞳で、普段は眼鏡をかけているらしく、首から眼鏡をぶら下げていた。
「み……ミカイアさん……?」
「キミだな?」
クニカの前に立つと、眼鏡をかけ直し、女性は――ミカイアは、腰に手を当てる。
「あたしのこと、呼んだろ?」
「は、はい……」
「み、ミカ嬢……」
壁に寄りかかりながら、ニキータが立ち上がる。その足は、生まれたての仔馬のように震えていた。
「た、た、助かったぜ……」
「みたいだな」
「おーい!」
クニカの耳に、誰かの声が飛び込んでくる。そちらに目を向ければ、数人の男たちが、クニカたちのところまで駆けつけようとしているところだった。服装はまちまちで、持っている武器もまちまちだった。“自由チカラアリ”の兵士たちだということに、クニカは気付いた。
「うわあ、何だこりゃ、派手にやったな?!」
男のひとりが、蹴散らされたサリシュ=キントゥスの兵士たちを見て、声を上げた。
「ミカ嬢、『隠密作戦』つってたじゃないですか」
「人助けさ。しょうがない」
軽口を叩く“自由チカラアリ”の兵士に対し、ミカイアは唇を尖らせる。
「早く戻るぞ」
「ニキータじゃねえか?! ……で、この子たちは?」
「“主”と、その一行だよ」
「はい?」
「すぐに分かる」
目を白黒させている兵士をしり目に、ミカイアはクニカを見て、にやりと笑った。
「今はまだ、その時じゃないようだけれど。……さぁ、行こう!」




