055_自由チカラアリ(сопротивление)
「う、動くな!」
クニカたちの背後から、男の声が聞こえてくる。
しかし、クニカも、カイも、それからニコルも、男の命令には従わなかった。男の声が滑稽なまでに上ずっていたために、三人は思いがけず振り返ってしまった。
「ひいっ?!」
そんなクニカたちの行動に、男の方が取り乱す。男は背が低く、ずんぐりむっくりしている。丸鼻に、つぶらな青い瞳の小男は、自動小銃をクニカたちに向けていたが、その腕は小刻みに震えており、銃を構えているのがやっと、といった様子だった。
何より、クニカの目を引いたのは、男、もといおじさんに宿っている“心の色”だった。おじさんの心臓の辺りには、青と灰色の光が渦巻いていた。青は悲しみ、憂いを表す色で、灰色は困惑を表す色である。
「う、動くなって言ったのに! つ、つ、次動いたら――」
「おっさん、あのさ」
ニコルが右手を動かした。ニコルとおじさんの身長差は、残酷だった。クニカは、ニコルがおじさんの頭を鷲掴みにしてしまうのではないか、とさえ思った。
「な、な、何だ……?」
「安全装置」
「え?」
ニコルの指さす先を、クニカも目で追う。おじさんが構える小銃の根元には、指の長さほどのレバーが付いている。そのレバーの隣は”П”と刻印されていた。「安全装置」のイニシャルである。
「あっ、あっ、えっと……」
「――フンッ!」
慌てふためくおじさんをしり目に、カイが自動小銃を両腕で掴むと、そのまま上へと持ち上げる。
「あっ?!」
おじさんが悲鳴を上げる。自動小銃はおじさんの手からもぎ取られ、あとはただ、おじさんだけが残った。
「あァ……」
無力化されたおじさんは、ため息をついて、その場にへたり込む。丸腰になったおじさんは、しかしどこか安堵しているようであり、幸せそうにさえ見えた。自動小銃を取り上げられたことにより、おじさんは、小銃からのしかかってくる責任の重さからも解放されたのだろう、とクニカは考える。
クニカたちと、恍惚とした表情を浮かべるおじさんの間を、奇妙な沈黙が横たわる。いたたまれない気分になったクニカは、水路を流れる水のせせらぎが、妙に大きく聞こえてきた気がして、視線をそっと水路に注ぐ。上流のどこかから流れてきたツツジの花が、クニカの視界を横切り、下流へと流されていく。
「あの……」
「お、おっちゃん?!」
場の空気に耐えられなくなったクニカが、口を開きかけた矢先。クニカたちの後ろから、声が上がった。ジュネとジュリ、それからリンが、クニカたちのところまで来ていた。
「おっちゃんじゃん?!」
「ジュネちゃんかい?」
「やだ、ニキータおじさんじゃない!」
ジュリが甲高い声を上げる。おじさんは、“ニキータ”という名前らしい。
「すごい! 全然変わってない!」
「えっと、知り合い?」
「そうよ、皮なめし職人の、ニキータさん!」
クニカの質問に、ジュリが答える。
「ウルトラに引っ越す前にね、ご近所さんだったのよ」
「いやあ、懐かしいなァ。ジュネちゃん、ジュリちゃん」
立ち上がったニキータは、とても嬉しそうに、短くなった後頭部の茶髪を掻いた。
「リンちゃんもか、無事だったんだな」
「まあ、何とか」
そう答えるリンは、どこか照れくさそうだった。
「それよりさ、おっちゃん、どうしたんだよ、その恰好!」
クニカの隣に立つと、ジュネは腕を組んで、ニキータを凝視する。ジュネの言うとおり、ニキータは自動小銃のほかにも、ベルトにこん棒や、瓶をくくり着けていた。
「何だかウケるわ、おじさんの格好!」
「笑いごとじゃあないんだぞ、ジュリちゃん」
ニキータは答う。
「今な、わしらは戦ってるんだから。それに――」
“戦う”、その言葉に、クニカはドキリとする。だが、クニカが口を差し挟むよりも、リンの方が早かった。
「『それに』、何なんだよ?」
「待て、シッ!」
そう言うと、ニキータは口元に人差し指を当て、聞き耳を立てる仕草をする。息を潜めるクニカたちの耳に、金属同士が触れ合う音と、靴音とが響いてくる。
「誰か来る」
音がする方向の反対側に、リンはクニカを退かせようとする。
「だれがよ?」
「火薬の臭いだ」
ジュリに答える代わりに、ジュネが顔をしかめる。“犬”の魔法属性であるジュネは、だれよりも鼻が利く。
「兵士だ」
カイにやっつけられ、地面にのびているサリシュ=キントゥスの兵士たちをにらみながら、ニキータが言った。
「みんな、逃げよう、こっちだ!」
カイから銃を返してもらうと、ニキータは身を翻しつつ、一行に手招きする。
「どうすんだよ、おじさん――」
「へっへっへ、秘密のルートがあるのさ。ほら、早く!」
リンの呼びかけにそう返すと、ニキータは踵を返す。クニカたちは、そんなニキータの後を追った。
◇◇◇
「“自由チカラアリ”?」
ニキータの言葉を、リンは繰り返す。
クニカたちは今、ニキータに誘導され、チカラアリ市の地下に潜っていた。水路の街であるチカラアリは、旧市街にも新市街にも、無数の水路が網の目のように張り巡らされている。戦争の都度、チカラアリの街は灰燼に帰したが、そのたびに立ち直り、新たに水路が造り直された。これを繰り返すうちに、古い水路は地下へと潜り込み、チカラアリ市の地中に迷路を描き出している――。
「クニカちゃん、それ、面白い?」
ナップザックに入れていた『よい子のためのチカラアリ市』を読んでいるクニカに、ジュリが声をかけた。
「う、うん」
「しかし、これはすごいな」
地下水路の壁に手を当てながら、ニコルが周囲を見渡している。
「何百年も昔からあるんだろうけれど、全然古びてない」
「へへへ、すごいだろ、兄ちゃん?」
ニキータは得意げだった。
「ここは職人の街さ。建築だって、一流の人間が揃ってる。先祖だってそうだった。そりゃ、シャンタイアクティみたいに優雅じゃないだろうけど、アイツらさ、実用的なものはダメダメなんだ。てんで、使う人の気持ちなんか考えちゃいねえ。貴族みたいな仕事なんだから」
ニキータの言いっぷりを聞くうちに、クニカは噴き出しそうになってしまった。シャンタイアクティ人とチカラアリ人とは相性が悪い。これは、チカラアリ人であれば、だれしもが当てはまるようだった。
「んで、自由チカラアリってのは何なんだよ?」
涙声混じりに、ジュネが言った。水路がいかに歴史の重みに耐えられていようとも、埃やカビは繁茂している。饐えた水の臭いと、カビ臭さとは、鼻が利くジュネには堪らないのだろう。地下水路に入り込んでからというもの、ジュネは口だけで息をしているようだった。
「ウチらにも分かるように、説明してくれよ」
「“黒い雨”が降るようになってからな、この街に、白い制服を着た奴らが、ぞくぞくと乗り込んでくるようになった」
ニキータは話を続ける。
「はじめはな、シャンタイアクティの奴らかと思ったんだ。こういうわけの分からんことには、大抵の場合シャンタイアクティ人が絡んでるからな。だが、どうも様子が違う。奴ら、聞いたこともない言葉を話してやがる。それで分かったんだ――」
「北の帝国――サリシュ=キントゥスの兵士たち――」
「そうそう、そういうこった! ……ん?」
ニコルの言葉に、ニキータが反応した。
「そういえば、あんた、オレが飛び出す前に、兵士と話してなかったか?」
「おじさん、隠しててもしょうがないから言うけど、ニコルは、サリシュ=キントゥスの人なんだ」
「な、なんだって?!」
リンの言葉に、ニキータがうろたえる。
「じゃあ、何でリンちゃんたちは、コイツと一緒に……?」
「色々あったんだよ。後でちゃんと説明するから」
答えを探るように、ニキータはクニカとカイ、ジュネとジュリをかわるがわる見た。クニカたちは、皆リンに同意する気持ちを込め、ニキータに頷き返す。
「まあ、みんながそういう気持ちなら、わしから言えることはありゃせんよ」
「おじさん、ありがとう」
「ただなぁ、姫が何て言うか……」
「姫?」
ジュリが尋ねる。
「だれよ?」
「そうそう、それで話が戻る。とにかく、やって来たサリシュ=キントゥスの兵士たちはな、冷たい奴らばっかりで、新市街はまたたく間に占拠されちまった。そんで、奴らが旧市街に手を伸ばしだしたところで、奴らの鼻を明かしてやるために、わしらは武装蜂起することにしたんだ。それが、“自由チカラアリ”さ。姫は、“自由チカラアリ”のリーダーをやってる子さ」
――先代のチカラアリ巫皇は、後継者をちゃんと指名しているんだ。
――レジスタンスを組織して、帝国軍と戦ってる。
大瑠璃宮殿で聞いたペルガーリアの話を思い出し、クニカはリンの方を見た。リンもまた、同じことを考えているようだった。
「ニキータさん、わたしたち、姫に用があって来たんです」
クニカは言った。
「姫は、チカラアリ巫皇の正式な後継者だ、って聞いて――」
「うん、うん。そうか、そういうことか。わしも分かってきたぞ」
顎のあたりを手でさすりながら、ニキータも頷いてみせる。
「ただ、だとしたら、なおさら今は最悪のタイミングだ」
「どうしてだよ?」
「それがな、はぐれちまってるんだ、わしらは姫と」
「ええ……」
ジュリが声を上げた。
「じゃあ、何? あたしら、おじさんの迷子に付き合わされてるってわけ?」
「違う違う! おじさんはな、これでも任務の途中なんだ。昨日、“自由チカラアリ”のアジトに対して、サリシュ=キントゥス軍が攻撃を仕掛けてきた。攻撃の話は事前に予期していたから、わしらは先回りして逃げ出したんだが、逃走経路が良くなかった。結局、“姫”のいる部隊と、わしのいる部隊とは分断されちまったんだ。だからこそ、わしは水路を伝って、姫”のいる部隊と連絡を取ろうとしている」
「アンタのいる部隊は、誰に指揮されているんだ?」
「おお、そうだった。それはな――」
ニキータが言いかけた矢先、地下水路の天井から、土埃が降り注いできた。それに合わせ、くぐもった砲声が、クニカの耳にも飛び込んでくる。




