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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第3章:シャンタイアクティ少女行(в СянтайАкти)
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053_笑い声(смех)

第3章「シャンタイアクティ少女行(в СянтайАкти)」は、本話にて終了です。

「ア、ハ、ハ、ハ、ハ……!」


 コンテナから、けたたましい笑い声が聞こえてくる。


「ニフシェ?」


 チャイハネの全身が総毛だった。ニフシェの笑い声だった。振り向いた瞬間、コンテナから、まばゆい光があふれ出す。


 まぶしさのあまり、チャイハネはうめく。夜の暗さに目が慣れていたせいで、立ちくらみに似た感覚を、チャイハネは味わった。


「アハハハハ!」


 ニフシェの笑い声が、再び聞こえてくる。それとともに、青白い光が明滅した。光はまるで、ニフシェの笑い声に呼応しているかのようだった。


 シュムの去っていった方角を、チャイハネは見る。シュムに追いすがり、自分がまちがっていたと告白する機会は、今しかない。この機会を逃せば、シュムは永遠に、チャイハネの前から姿を消してしまうだろう。


「ア、ハ、ハ、ハ、ハ……!」


 ニフシェの笑い声に合わせ、青白い光が、一段と強さを増した。光の強さのあまり、コンテナが膨れ上がっているように、チャイハネには思えた。――否、錯覚ではなかった。光の眩しさに呼応して、コンテナも、周辺の空気も、地面までもが脈打っている。


 チャイハネは、自分でも知らず知らずのうちに、コンテナへと近づいていた。心のどこかでは、シュムを追いかけなければならないと、チャイハネは分かっていた。分かっていながら、チャイハネはそれができなかった。コンテナの中で、何が起きているのかという好奇心と、コンテナの向こう側に死が待ち受けているかもしれないという怖れとが、チャイハネをかり立てていた。


 命を喪えば、シュムを追いかけなかった理由が立つ――シュムを追いかける勇気を、チャイハネは持ち合わせていなかった。


 意を決して、チャイハネはコンテナに飛び込む。ただ、「転がり込んだ」と言った方が正しいかもしれない。コンテナの床に、チャイハネは(かかと)を付けたつもりでいたが、そのまま膝からくずれ、床にはいつくばった。


 目の前では、ニフシェが踊っていた。つま先で床をなぞりながら、円を描くようにして、ニフシェはステップを踏んでいる。ニフシェは笑い、両腕を自在に開いたり閉じたりしながら、ひとり踊っていた。


 ニフシェが腕を旋回させるたび、空間全体がどよめく。ここにきて、チャイハネはおそろしいことに気付いた。ニフシェを閉じ込めていたはずの鉄格子が、今や水分を失った草花のようにひしゃげ、ニフシェの周辺にたくだまっていた。


 ニフシェはすでに、魔力を取り戻している――ニフシェの踊りに感化され、彼女の側にあったランタンの光が明滅する。ランタンの光は、ニフシェの放つ青いオーラに比べれば、蛍のようにか細い光だった。


 かけるべき言葉が見つからず、チャイハネはただ、ニフシェの最小限の踊りに釘付けになっていた。


「知ってたんだ!」


 ニフシェが叫んだ。その言葉が、自分に向けられた言葉でないと、チャイハネは直感した。


「何を?!」


 しかし、そうであったとしても、チャイハネは訊かずにはいられなかった。


「何をだ、ニフシェ!」

「知ってたんだ! はじめから知ってたんだ――!」


 ニフシェの放つオーラが、青白い光をまとって、周囲を照らす。光がまぶしすぎるあまり、チャイハネは腕で、自分の顔をかばった。光を浴びた瞬間、チャイハネは、この光を浴びるたびに、自分は十歳は老け込んでしまうのではと、そんな気分になった。


 目をつぶっていた、そのわずかな間に、チャイハネは、金属どうしが噛み合う小さな音を聞いた。


 チャイハネの背中側から、轟音がする。


「知ってたんだ――アッ?!」


 ニフシェの声が、悲鳴に変わった。チャイハネは一瞬、世界が終わったのだと、本気でそう思った。脚に力が入らなくなり、チャイハネはもう一度、コンテナの床にくずれ落ちる。


 目を開くよりも前に、チャイハネの鼻が、硝煙の臭いを嗅ぐ。チャイハネの見上げる前では、赤髪の少女が銃を構えている。


「オリガ?」


 銃を構えたまま、オリガが肩で息をしていた。騒ぎを聞きつけ、オリガは、チャイハネから少し遅れて、トレーラーまでたどり着いたのだろう。そして、チャイハネが感じた恐怖と同じ恐怖を感じ、銃を撃ったのだ。


 青白い光は収まった。周辺は闇に包まれる。


 倒れ込んだニフシェは、うめき声ひとつ上げずに、全身をよじっていた。身をよじるたびに、ニフシェの身体が不自然にきらめく。


 銃撃はニフシェの身体を反れ、隣にあったランタンに命中したのだろう。ランタンの破片は床に飛び散っており、ところどころに、赤黒い模様がついていた。ニフシェの血だった。


 目の辺りを押さえ、ニフシェはうめいている。チャイハネは近付くと、ニフシェの顔をのぞき込んだ。ニフシェの血は、目から噴きだしたものだった。銃撃を受けて、ランタンの破片が飛散し、その一部が、ニフシェの目に命中したのだ。


「ひどい」


 傷口を手で押さえようとするニフシェを、チャイハネは強引に押しとどめる。(サヴァ―)の魔法属性であるチャイハネは、夜の闇が深ければ深いほど、明晰に物体を見極めることができる。ほんの少し見ただけでも、ニフシェの目の怪我が深刻であることを、チャイハネは見て取った。


「早くしないと――麻酔が必要だ」


 後ろから近付いてくるオリガに向かって、チャイハネは言った。


「あたしの鞄を――」


 再び、金属同士の噛み合う、小さな音がする。チャイハネは振り返った。撃鉄に指をかけ、オリガは、ニフシェの頭部に照準を合わせている。その線上には、チャイハネがいる。


「もう十分だろ、オリガ?」


 銃の先端を、チャイハネはにらむ。


「見ただろ、チャイ?」


 オリガは唇を引き結んだ。


「お前だって――」

「目をやられてる。水晶体が圧迫されて、網膜を傷つけてる」


 ニフシェの手を、チャイハネは握りしめる。それは、これ以上みずからの外傷をニフシェがいじるのを止めさせるためでもあり、ニフシェを安心させるためでもあった。


「視神経に達してるかもしれない。早くしてやんないと、失明しちまう。今さらお前の脅威になんてならない」

「三秒だ」


 かぶりを振りながら、オリガは言った。


「一秒目で思い直し、二秒目でそこをどいて、三秒目で目をつぶる」

「誰かを生かすために――」


 チャイハネは言った。激昂がチャイハネを襲っていた。一言一言が、チャイハネにとっては苦しかった。


「生かすために、あたしは医者を目指してる」

「警告はしたからな?」


 青ざめた表情で、オリガが言った。


「悪く思うな――」


 銃を構えるオリガの右手に、力が込められる。すべてを観念し、チャイハネは目を閉じた。


 金属の塊を粉砕するかのような、大きくて重い音が、チャイハネの耳に響いた。その音は余りにも大きかったために、チャイハネは、自分の身体が粉々に砕かれたのだと、最初は思った。


(死んだ……?)


 だが、「死んだ」と考えるチャイハネは、まだそこにいる。銃が自分の頭を貫通したと気付く瞬間を、チャイハネは待った。その時間は永遠のように長かったが、とうとう、別の音にさえぎられた。


 チャイハネは目を開ける。チャイハネは死んでおらず、ニフシェも死んでおらず、オリガも息をしていた。ただ、オリガは銃を取り落としていて、右の手首を押さえ、顔をゆがませていた。


「お前が……」


 右半身を庇いながら、オリガがゆっくりと、コンテナの出入口に目を向ける。そこにはエリッサが立っていて、黒くて長い彼女の縮れ毛は、これまでになく大きく広がっていた。


 火の粉が爆ぜるような音を聞きつけ、チャイハネはエリッサの髪の毛を眺めた。よく見てみれば、エリッサの髪は、静電気のために盛り上がっているようだった。


電気羊(エレクトラオフツァ)……お前がやったのか?」

「仲良くしましょうよ……」


 エリッサはすすり泣いていたが、彼女の息を吸う音が、チャイハネの耳に妙に大きく聞こえた。


「人が死ぬのなんて……嫌なんです……わたしは……わたしは……」


 その場でよろめくと、エリッサは自分で自分の身体を支えられなくなり、後ろへと倒れ込む。そんな彼女の身体を、遅れてやって来たプヴァエティカと、ミーシャが支えた。


 舌打ちすると、オリガは銃を拾おうとする。だが、オリガがかがみこむよりも、チャイハネの伸ばした手が、銃把を握る方が早かった。


「どいつもこいつも……!」

「キャー!」


 声を荒げたオリガに対し、ミーシャが甲高い声を上げる。いつも(なん)語を話すミーシャだったが、この時ばかりは非難がましい響きを帯びていることに、チャイハネも気付いた。


「もういいでしょう、オリガ」


 プヴァエティカの視線は、地面に横たわるニフシェに注がれていた。息こそしていたものの、ニフシェはぐったりとしていた。目からの流血は治まっていたが、それは生気が永遠に奪われたことの証左であると、チャイハネには分かっていた。ニフシェはもう永遠に、外界を見ることはできないだろう。


「仮にニフシェが裏切り者であったとして、抵抗する力はもはやない。エリッサの言うとおりです」

「しかし――」

「死人を出すことは許しません。エリッサの勇気に免じても」


 今回ばかりは、さすがのオリガもばつ悪げだった。


 それからのことを、チャイハネはよく覚えていない。ひとつ確かだったことは、ニフシェのために応急処置をし、化膿しないように消毒をし、エリッサとともに楽な姿勢にしてやるまで、それまでの長い間、シュムは決して、チャイハネの前に姿を現さなかった、ということだった。


 一行は、シャンタイアクティに到着した。

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