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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第3章:シャンタイアクティ少女行(в СянтайАкти)
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052_草にすわれば(Я был неправ)

 満月の明かりの下で、チャイハネはじっと、右手のひらを見つめる。


 セレスの町を抜けてから、半日が経った。三日もすれば、一行はシャンタイアクティにたどり着く。シャンタイアクティ周辺は、星誕殿(サライ)の騎士団の影響圏である。こうしてチャイハネが、夜に見張りをするのも、今日が最後である。


「チャイ、」


 指先を見つめていたチャイハネは、声の方角に振り向いた。シュムが立っていた。


 トレーラーでの旅を開始してからというもの、チャイハネが夜半に声を掛けられることは珍しくなかった。オリガとシュムとが、日を空けて、代わる代わる、チャイハネの下にやって来た。そのときの印象が強いために、長かったはずの旅路も、ほんの二、三日のことのように、チャイハネには思えた。


「話したいことがあるんです」

「明日にしない?」


 そう言いながら、チャイハネはあくびを噛み殺す。旅の間じゅう、チャイハネは夢見が悪かった。シュムと出会ったころの記憶や、シュムと出会う前の、思い出したくない記憶――それらがたびたび、チャイハネの下に去来した。


 嫌なことを思い出しそうになり、チャイハネはうつむく。


「今日はもう遅いから――」

「今日じゃなきゃダメなんです」


 チャイハネが言い切るよりも早く、シュムが言った。


「明日になれば、シャンタイアクティだって見えてくるし――」


 それがどうしたっていうんだ――自分で言い出しておきながら、チャイハネは内心、そう思った。


 明日になれば、シャンタイアクティの首都圏内に、チャイハネたちは乗り込むことになる。太古の昔からある水道橋や、造られ、打ち棄てられ、自然の一部と化している城壁の名残などが、チャイハネたちをいざなうだろう。


 すべての町は、みな西へ西へと発展する。そんな説明を、チャイハネは聞いたことがある。シャンタイアクティも、その例に漏れない。空が冴えていれば、双眼鏡を取り出して、山の上から、シャンタイアクティ市街の展望を味わうことだってできるかもしれない。


 しかし、これらのことは、この時間帯にシュムの言葉をさえぎる理由にはならない。それでもチャイハネは、言わずにはいられなかった。今のチャイハネには、どういうわけか、シュムとの会話が(おっ)(くう)だった。


「それがどうしたっていうんですか……!」


 シュムに言われ、チャイハネの背筋に冷たいものが走る。それは、決してシュムが、チャイハネの心の内を見透かしたかのようにして言い放ったためだけではなかった。


 問題なのは、シュムの言い方だった。普段のシュムならば、こんな言い方はしない。


「明日じゃダメなんです」


 先ほどとはうって変わって、シュムの言葉は消え入りそうなほどに弱々しかった。


「分かったよ」


 シュムの感情の起伏の激しさに、チャイハネはあせった。チャイハネはシュムの手を取る。このときようやく、シュムの身体は冷たく、鳥肌が立っていることに気付いた。


「どうしたんだよ」


 シュムの様子に、チャイハネは困惑する。


「熱でもあるんじゃ……」

「オリガから聞きました」

「え?」


 チャイハネは鼻白んだ。


「何を?」

「チャイが……騎士団に入りたいと言っていた、って――」

「ええ?」


 シュムの言葉に不意を突かれ、チャイハネは声を上げる。


「オリガが?」


 シュムは、黙ってうなずいた。


 これまでの記憶を、チャイハネは頭の中にたぐり寄せる。


――居場所なんだろ、それでも? 星誕殿(サライ)がさ。

――ああ……そうだな。

――そういう生き方も……分かる気がするよ。


 ある夜、オリガから渡された秘蔵の葉巻をたしなみながら、言葉を交わしたときの記憶が、チャイハネによみがえってくる。


「ねえ、チャイ」


 身を乗り出すと、シュムはチャイハネの手を強くにぎりしめる。


「信じて良いんですよね?」

「信じる?」

「そうです! 信じてるんです、私、チャイのこと」


 「そういう生き方も分かる」――チャイハネが言いたかったことは、それ以上でも、それ以下でもなかった。もしかしたらオリガは、その言葉を好意的にとらえすぎているのかもしれない。


 しかしあのとき、いったいチャイハネは、オリガの何が分かったというのだろうか。シュムと見つめあううちに、チャイハネは自分の感情が、その夜の時点にまで巻き戻っていくかのような、奇妙な感覚を味わっていた。


「一緒に話したじゃないですか」

「え?」

「“おおさじ亭”で、です! “黒い雨(ドーシチ)”が封印されて、平和になったら、シャンタイアクティで仕事を探す、って。ついこの前だって、話したじゃないですか……!」


 シュムの瞳は震えていた。


「平和になったら、一緒に出掛けたり、映画を観たりして……。だからチャイ、そばに、そばにいてください――」


 チャイハネの手を握りしめたまま、シュムはその場にくずれ落ちる。


 そんなシュムを見下ろしながら、チャイハネは黙りこくった。


 シュムとチャイハネが出会ったのは、全くの偶然だった。父親の不義に直面して、家を飛び出し、街の図書館に住み着いていたチャイハネと、その街の私立学校に通い、富裕な生活を送っていたはずのシュム。平時であれば出会うはずのなかった二人は、偶然に導かれた。


 二人はクニカたちに出会い、ウルトラまでたどり着き、今はこうして、シャンタイアクティへと向かっている。“黒い雨”のせいであり――そのお蔭でもあった。


 もし、この冒険が奏功し、“黒い雨”が封印されたら? シュムと同じ仮定から出発し、シュムとは逆の結論に、チャイハネは到達する。“黒い雨”が止んだら、人々は平時に戻り、シュムの家族はきっと、シュムのことを探し出そうとするだろう。本人が望むかどうかは別として――おそらく、シュムは望まないだろうが――少なくとも、シュムには帰るべき場所がある。


 チャイハネはどうだろうか? 母はこの世を去り、あの日の“完全な瞬間”の後、ほどなくして父も死んでしまった。チャイハネには身寄りがなく、帰るべき家もない。戻るべき場所がない以上、チャイハネは新たな居場所を探さなければならない。


 この雨が止んだとき――そのときこそ、二人の関係が終わるべきときなのだ。


「あのさ、聞いてほしいんだ」


 シュムの手を握り返すと、チャイハネはその手を引っ張り、シュムを立たせる。


「あたしたちが初めて出会ったときのこと、覚えてる?」


 チャイハネの言葉に、シュムはうなずく。


「あのときさ、シュムは、自分の将来のために勉強してた。そうだろ? それを、あたしが手伝った」

「……どういう意味です?」

「この雨が止んだらさ、シュム、キミはその将来に戻ることになる。元々、あたしがいなかった未来に」


 シュムは答えなかった。


「分かるだろ、シュム? シュムの未来に、あたしの居場所は――」


 居場所はない。――チャイハネがそう言おうとした途端、シュムはチャイハネの手を振りほどいた。あっけに取られているチャイハネの目の前で、シュムは大きく手を振り上げ、チャイハネの頬を一閃する。上下左右が逆転したかのようになって、気付いたときには、チャイハネは国道の瀝青(アスファルト)に身体を打ちつけていた。シュムに殴られたのだと気付くのには、更に時間がかかった。


「痛いな……!」


 思いがけないシュムの反応に、チャイハネも一瞬カッとなった。だが、シュムのすすり泣く声を聞き、チャイハネは怒る勇気を失くしてしまった。


 立ち尽くしたまま、シュムは泣いていた。あふれている涙を、シュムは拭おうともしていなかった。


 自分の言葉にシュムが抵抗することは、チャイハネも予感していた。それでも、熱心に話し合えば分かり合えるだろうと、チャイハネは思い込んでいた。殴られたのも思いがけなかったが、シュムが打ちひしがれているのは、更に思いがけないことだった。


 泣いているシュムを見て、チャイハネは、自分の言葉が、深くシュムを傷つけたこと、未来へ進むために居場所を見出すどころか、未来と居場所の両方を、みずからの手で破壊してしまったことを直感した。何もかもが手遅れなように、チャイハネには思えた。


「もういい……」


 嗚咽まじりに、シュムは言った。


「チャイなんて大嫌いです……!」

「シュム!」


 (きびす)を返すと、シュムはチャイハネの下から離れていく。月明かりの向こう側、シュムの輪郭は、夜陰に溶けていく。


「待って――」

「アハハハハハハ!」


 シュムを追いかけようとした、そのとき。チャイハネの耳に、けたたましい笑い声が飛び込んできた。

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