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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第3章:シャンタイアクティ少女行(в СянтайАкти)
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050_こうして光が在った(и был свет)

 周囲を塗りつぶすような闇の冷たさに、ニフシェは立ちすくむ。気付いたときには、ニフシェは闇の中で、長剣を握りしめて立っていた。


 目玉だけを動かして、ニフシェは周囲から、気配を探り当てようとする。このときがやって来たのだということを、ニフシェは直感する。闇は、ニフシェの姉・ニフリートの日常であり、その住処だった。シャンタイアクティが迫り、真の“裏切り者”へと近づくにつれ、姉・ニフリートの魔力は強まり、ニフシェに強く影響を及ぼしている。


 ニフシェの脳裏に、あるイメージがよぎった。それは、トレーラーの出入り口に腰かけ、葉巻を吸いながら語る、オリガの姿だった。


――あたしが、キミのこと嫌いだって知ってたかい?


 植物園での会話が、イメージと重ね合わさりながら、ニフシェの頭に反響する。オリガは、自分を嫌っている。その事実は動かせない。ただ、ニフシェが想像していた以上に、オリガはみずからの感情に苦しんでいる。


(違う)


 ニフシェは気付いた。チャラティパッド=ハデシュにおける植物園での、あの完全な瞬間は、オリガにとっても、ニフシェにとっても、忘れがたい記憶である。ちょうど、ドゥーチェの死が、忘れがたい記憶であるのと同じように。


 それでも、見逃してはならない“違い”が、ひとつある。


 ため息をつくと、ニフシェは周囲を見渡してみる。暗闇に慣れ始めたニフシェの瞳に、建物の輪郭が浮かび上がってくる。


 ここは、回青堂(スイニ・コヴォル)星誕殿(サライ)にある施設のひとつだ。回青堂を訪れた者は、みずからを観想し、心の動き、感情の流れを、つぶさに観察する。自らの内側を眺めることにより、騎士たちは、世界におけるみずからの在り方を問い直し、その在り方を新たにできる。


 回青堂の天井、壁面、そして床は、すべて深い青に塗りつぶされている。青の深さを、ニフシェは闇と誤解したのだ。現状もまた、ニフシェの記憶の一部にすぎない。


 見逃してはならない“違い”は、ニフリートの関わりようだった。ドゥーチェの死に、ニフリートは関わっている。だから、ドゥーチェのトラウマの中で、ニフリートはニフシェと共犯関係にある。


 では、植物園の記憶はどうか。あの場面に、ニフリートはいなかった。ニフシェと、オリガとだけが持っていて、ニフリートが持っていないはずの記憶。それをニフリートは、トラウマとしてニフシェに投げかけてきた。


 何かがおかしい。


 答えは二つにひとつ。


 あの場所に、実はニフリートは居合わせていたのか――、


 あるいは、ニフシェが“ニフリート”だと考えている者は、偽者なのか。


 ニフシェの脳内に、思念の光が(またた)いた。それは、“影”と交戦し、その手をつかみ取った時に瞬いたものと、同じ光だった。思念(エンノイア)は、みずからの罪がないことを声高に叫びながら、童心と、母性とを、ニフシェの心にしきりに喚起しようともがいていた。


 あのとき、“影”に対して、ニフシェは何と言おうとしていたのか――。


「思い出した」


 ニフシェは言った。その声は、回青堂の青さに染み込んでいく。ただニフシェは、その声が“相手”に届き、相手を立ち止まらせたことを直感した。


「分かったよ。ずっと誤解していた」


 どこかにいる“相手”に、ニフシェは呼びかける。


「キミはニフリートじゃない」


 自分の背後に、ニフシェは振り向いた。そこにいたはずの“相手”は、すかさず身を翻し、再びニフシェの背後に回り込んだ。その動きは俊敏で、音はせず、重力の制約を免れている。しかし、そんな“相手”の動きさえも、今のニフシェには手に取るように分かった。


「正面から戦ったら、キミはボクに負けてしまう。だから、策を練った。キミはニフリートのフリをして、ボクに接近する。そうすれば、ニフリートが“影送り”をしたのだと、ボクは誤解する」


 ニフシェは続ける。


「だけど、いくらニフリートの魔力が強くとも、大陸の反対側にいるボクを殺せるほどの影は作れない。よく考えてみれば、当然なんだ。ペルガーリアでさえ、ミーシャを使って、声を届けるのが精いっぱいなのだから。力を及ぼすことなんて、できやしない」


 覚悟を決めた相手が、自分に近づいてくる。――ニフシェは直感した。五歩もしないうちに、相手はニフシェを、右手に握り締めている匕首(あいくち)の射程に捉えるだろう。


「キミはきっと、ここから逃げる準備を進めている。キミとは何度か稽古をしたけれど、キミの方が分が悪いことは、キミが一番よく知っているはずだからだ」


 あと三歩。


「だけど、ボクにとって大事なのは、その後なんだ……と思う。奇妙な感覚だけれど、今なら分かる」


 あと一歩。――“裏切り者”はすでに、この夢から退場してしまっていることに、ニフシェは気付いていた。背後から迫ってくる相手は、残像に過ぎない。ただ、そのことはニフシェにとって、計り知れない意味を帯びていた。


「ニフリート、ボクはキミが怖い。ほんの少し前まで、キミは誰かに怖がられることによって、自分の居場所を確保しているのだと、ボクはそう考えた。ボクの間違いだったけれど」


 予備動作なしに、相手が自分の足元に肉薄してくるのを、ニフシェの第六感が捉える。相手はニフシェの背後から、その喉元に目がけて、匕首(あいくち)を振り下ろす。


 だが、それらの動作はすべて、ニフシェの予見したとおりだった。相手の踏みこみに合わせ、ニフシェは肘を折りたたみ、身体をよじる。指先の技(フィンガーアクション)で長剣を逆手に構えると、ニフシェは肘を発条(ばね)のようにしならせ、背後に長剣を走らせる。確かな手ごたえとともに、硬いものがぶつかり、床に何かがはね飛んだ。続けて、乾いた金属音が、ニフシェの耳にこだまする。


 ニフシェは後ろを振り向いた。匕首(あいくち)を握り締めた“相手”の体が、ニフシェの足元に転がっていた。首から上は切り取られ、足元に転がっている。


 “相手”は覆面を被っていた。それは、笑う鬼をかたどった被り物で、“植物園”の記憶の最後に、ニフシェに向かって銃を突きつけた人物だった。


「多分だけれど、ニフリート、キミも本当は……自分自身が怖いんじゃないか? だからキミは、ボクのことにこだわるんだ。ボクとキミとは限りなく近くて、限りなく遠い。だから、もしボクが答えに気付いたとき、ボクはキミと違ったふうに反応する。それは当たり前のことなんだ。キミはニフリートで、ボクはニフリートじゃない。ボクはニフシェで、キミはニフシェじゃない。だからこそ、それがキミにとって致命的になる」


 長剣を投げ捨てると、ニフシェは歩いて、床に落ちた相手の頭部を拾い上げる。


「今のはね、ニフリート。答えじゃなくて、答えの裏返しさ。限りなく答えに近い、答えの逆。姉さん、ボクの言いたいこと、分かるだろう?」


 相手の頭部から、ニフシェは覆面をはぎ取った。夜空の星のような銀色の髪を持ち、紺色の瞳を持つ少女。――ニフシェの頭部が、ニフシェの手によって抱かれていた。


 ニフシェは笑った。


「ほら、やっぱりだ。知ってたんだ」


 回青堂の輪郭が溶け出し、周囲は急速に闇へと包まれ始める。


「暗いな」


 少女は舌打ちした。


耀(ひかりあ)れ!」


 暗闇の中で、叫び声がする。


 こうして光が在った。

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