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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第1章:終わりのない平和みたいに(Мост над неспокойной водой)
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005_トゥクトゥク(Тук-Тук)

 ジュネの運転するトゥクトゥクが、軽妙なリズムを刻みながら、クニカを大瑠璃宮殿ラズール・ドヴァリエーツまで運んでいく。


「あ、危ない!」


 ウルトラの街並みに気を取られていたクニカは、ふと正面に目を向け、叫ぶ。トゥクトゥクの進路を、ひとりのおじさんが横切ろうとしていた。


「あ」


 ジュリが、間の抜けた声を上げる。トゥクトゥクの前輪が、おじさんの腰に命中した。


「Ah~」


 声を上げると、おじさんは飛んで行ってしまい、見えなくなった。


「じ、事故!」


 おじさんが見えなくなった方角を指さしながら、クニカはジュリに訴える。


「事故! 事故!」

「平気よ、あのくらい」


 だが、ジュリはどこ吹く風といった調子だった。


 大瑠璃宮殿ラズール・ドヴァリエーツの丸屋根が、クニカの目にも、次第に大きく映り始める。



◇◇◇



 大瑠璃宮殿ラズール・ドヴァリエーツは、ウルトラ市の中心に位置する。宮殿は、ウルトラ領の施政を司る議会“東館”と、瑠璃色の丸屋根を有し、巫皇(ジリッツァ)の住まいである“本館”の、二つに分かれている。


 ジュリに見送られた後、クニカが通されたのは、本館の“異邦人の間”だった。


 “異邦人(アロゲネス)”という言葉に、否定的な意味はない。天地開闢(かいびゃく)の時代、“始祖男性(アダム)”と“始祖女性(エバ)”の間に生まれた三人の子供のうち、至高者たる“(プネウマ)”の本質を受け継いだのが、三人目の子供・“セツ”である。“異邦人”とは、この“セツ”のことを指している。


 “異邦人の間”は、ウルトラが成立して間もない頃から存在する、由緒ある部屋だった。古い時代には、ウルトラの外からやって来た諸侯の使者をもてなすための部屋であったが、その後、宮殿の計四回にわたる増改築の末、謁見の間が設けられて以降、この“異邦人の間”はほとんど利用されなくなった。


(なるほど)


 “先生”が来ないため、クニカは部屋の雑誌入れにあった『よい子のためのガイドブック:大瑠璃宮殿の歩き方』を読んでいた。


 “先生”による特別授業も、今日が最終回である。ウルトラにたどり着き、生活が落ち着いてからというもの、クニカはほぼ毎日、“先生”からレクチャーを受けていた。授業は、「記憶喪失」の(てい)でいるクニカにとって、この世界の情報を仕入れるための、貴重な場だった。


「ふわーあ、おはようさん」


 と、生あくびをかみ殺しながら、“先生”が入ってくる。ウルトラを目指す冒険の途中で、クニカとリンが出会った少女・チャイハネである。チャイハネは、色素の薄い金髪を後ろで無造作に束ねており、しゃれっ気は皆無だった。ただしクニカは、チャイハネが眼鏡を外すと、けっこう美人だということを知っている。


「朝から威勢のいい坊やでさ」


 教卓に紙のファイルを投げ出すと、チャイハネは吸いかけのタバコを灰皿に捨てる。クニカたち仲間(キャラバン)の中で、チャイハネだけが喫煙者である。


「『お尻出して』って言ってんだけど、『嫌だ!』の一点張りでさ。『痛くないから』とか、『もっと腰の力抜いて』とか、さんざんなだめすかして、何とか座薬をぶち込んだんだよ。だけどさ、あたしも急に眠くなっちゃって。目ェ覚ましたらさ、肛門に座薬が半分刺さったまま、坊や、痙攣(けいれん)してて――」

「ハハハ」


 「子供に座薬をぶち込む」モーションを再現しているチャイハネに対して、クニカは身震いを押し殺す。


 チャイハネは頭が良い。それに、医療の心得もあった。現在のチャイハネは、ウルトラ市中央病院で、小児科医の助手をしている。“黒い雨”の災厄で、ウルトラ市中央病院も、人材が払底(ふってい)しているのだ。


 今日のチャイハネは、夜勤明けの状態で、病院から宮殿まで直行していた。“(サヴァー)”の魔法属性であるチャイハネは、もともと夜行性であるため、昼間はとにかく眠たそうだった。


「眠そうだね、チャイ」

「四時間睡眠チャレンジさ。あ、クニカ。今の、笑いどころなんだけど」


 チャイハネの笑いのセンスは、クニカには難しすぎる。


 『世の中丸わかりハンドブック:これであなたも世渡り上手【記憶喪失の人用】』を用いた、チャイハネの最終講義が始まった。


「昔ね、図書館で初めてこの本を見たときはさ」


 『ハンドブック』をめくりながら、チャイハネは言う。


「『なんだこのバカみたいなタイトルは。いったい、誰がこんな本読むんだよ』て思ったよ。でも、意外と真剣に書かれてるんだよな。クニカのためにあるようなもんだよな」

「は、はは……」


 クニカは笑ってごまかす。


「じゃあ、今までの復習も兼ねて、今日はクイズ形式でやってみよう。この南大陸には、東西南北、四つの巫皇領があります」


 そう言いながら、壁に掲げられた小さな黒板に、チャイハネは南大陸の形状をなぞっていく。


「西はここ“ウルトラ”ですが、残りは何でしょう?」

「東が“シャンタイアクティ”、北が“チカラアリ”、南が“ビスマー”です」


 クニカは答える。この“南大陸”における、基本中の基本である。


 まずは東の領域・“シャンタイアクティ”。“南大陸”における最古の巫皇領であり、四巫皇の中で、最も権威がある。


 巫皇(ジリッツァ)の制度が成立する前から、シャンタイアクティには“元老院(セナ)”があり、世俗の権力は“元老院”が、権威は“巫皇”が担う体制が採られている。


「はい、正解ですね。では、シャンタイアクティに関して、二問目。シャンタイアクティの巫皇は、どのような階級の人たちが、どのようにして選ばれるでしょうか?」

「ええっと、貴族階級の人たちが、シャンタイアクティ騎士団を通じて、選ばれる……?」

「合ってますよ」


 クニカは胸をなで下ろした。


 シャンタイアクティの巫皇(ジリッツァ)は、有力貴族の子女が就任する。巫皇養成機関が“シャンタイアクティ騎士団”であり、貴族のほか、魔法が使える平民の子らも、騎士団に入って訓練を受ける。


「階級社会なんだよね、あそこは」


 黒板に描かれた地図の東側に、階層構造(ヒエラルキー)を描きながら、チャイハネは言った。


「一口に『貴族』と言っても、ピンキリでさ。覚えてる? “シャンタイアクティ御三家(チムピオーン)”って?」

「わ、忘れました」

「ルウ=ラァ家、ダカラー家、ホークハイエスト=ラァ家の三家。この御三家の嫡出女子なら、ほぼ例外なく巫皇(ジリッツァ)になる。ほかにも貴族はいっぱいいるけれど、『向こうの家格はこっちよりも下』とか、『誰がどこまで昇進できるか』とか、全部家柄で決まってくる」

「うへえ。……あ」


 クニカはふと、あることを思い出した。


「チャイ、シャンタイアクティの人とチカラアリの人って、仲が悪いの?」

「ウーン。仲が悪いっていうか」


 チャイハネは首を傾げる。


「そりが合わないんだろうね。どっちもどっちだと思うよ。リンとか、ジュネとジュリとか、マイペースだけど、妙なこだわりがあるだろ? こだわるところが、シャンタイアクティ人とズレてるだけじゃないかな」

「なるほど」


 「チカラアリ人とシャンタイアクティ人は仲が悪い」。これはちょうど、リンから教えてもらったことだった。


「じゃ、せっかくチカラアリの話になったので、今度はチカラアリについて。今“チカラアリ”と呼ばれている都市は、昔は別の名前でした。何という名前でしょう?」

「ゼロ……じゃなくて、ゼラブランカ!」

「正解ですね。大昔にはパンダアセ藩王国というのがあって、そこの都だったところです」


 現在の“チカラアリ市”がある辺りを、チャイハネはチョークで丸く囲う。


 大昔、南大陸では、巫皇(ジリッツァ)といえば「シャンタイアクティの巫皇(ジリッツァ)」を指すのが普通だった。


 しかし、シャンタイアクティの巫皇(ジリッツァ)も、広い南大陸の全域に、いつも目を光らせていることはできなかった。初めにウルトラが、次にチカラアリが、それぞれ当時のシャンタイアクティから独立した。


 今のウルトラがあったところには、昔はシャンタイアクティ騎士団の西方支部が置かれていた。支部の騎士たちは、本部の騎士たちから格下扱いされていたため、内心では不満が募っていた。やがて、シャンタイアクティで貴族間の権力闘争が生じた際に、西方支部の騎士たちは、シャンタイアクティの関係者を追放し、一方的に独立を宣言したのである。


「“独立”ってのは、要するに『ウルトラ独自の巫皇(ジリッツァ)を擁立する』ってことだな。当然、シャンタイアクティも黙っていられないから、戦争になった。これが、第二次即位灌頂(バプテスマ)戦争。じゃあ、その結末は、どうなったでしょう?」

「ええっと、テンシュリナガル公会議があって、ウルトラの独立が認められた……」

「いいですね、クニカさん。ちゃんと覚えてますね」


 戦争は、要所でウルトラが競り勝ったため、終戦の協定は、ウルトラに有利な協定となった。その協定が結ばれた場所が、テンシュリナガルである。


「第一に、『ウルトラは、シャンタイアクティの教義が正統であることを認め、その巫皇(ジリッツァ)の権威を尊重する』、第二に、『ウルトラは、シャンタイアクティの権威の下に、その領域において巫皇(ジリッツァ)を擁する』、そして第三に、『シャンタイアクティは、ウルトラ巫皇の地位継承について、その決定の独立であることを認める』と、協定にはこんなことが書いてある」


 『ハンドブック』の文章を、チャイハネが読み上げる。


「大事なのは、第二、第三の条文で、シャンタイアクティの巫皇(ジリッツァ)の権威を尊重しつつも、『ウルトラのことはウルトラで決めます』と宣言してる。これが第二次即位灌頂戦争だけれど、チカラアリの独立は、第三次即位灌頂戦争で決まることになった。と、まぁ、これでさっきの話に戻ってくる」


 とはいうものの、“チカラアリ巫皇”自体は、“ウルトラ巫皇”よりも昔から存在していた。違いは、“ウルトラ巫皇”はウルトラが独自に決められる一方で、“チカラアリ巫皇”の即位は、シャンタイアクティ巫皇の同意が必要だということだった。


 古いチカラアリの地には、藩王や土侯といった、土着の豪族がひしめいていた。チャンタイアクティは、全ての豪族を従わせることを早々に諦め、有力豪族間の持ち回りで、チカラアリ巫皇を擁立することを認めていた。パンダアセ藩王国は、そんな有力豪族のひとつだった。


「ただ、このやり方にも終わりがやって来る。“黒い雨(ドーシチ)”が降ってきたんだ」


 今も含めて、南大陸には、合計で六回、“黒い雨”が降っている。その時代は、三回目の“黒い雨”の時代だった。


「当時の記録によれば、最初に“黒い雨”が降ったのは、ウルトラだった。ウルトラの政権は崩壊して、巫皇は一時、ウルトラを脱出しなければならないほどだった。それから雨は、チカラアリ、シャンタイアクティにも降りそそいだ。直接“黒い雨”で死んだ人は少なかったらしいけれど、穀物地帯が壊滅して、チカラアリでは豪族同士の内戦になった。シャンタイアクティも政情不安で、巫皇が二人擁立される南北朝時代に突入して、有力な貴族の家が複数滅んだ」

「昔もひどかったんだね」

「今の方がマシかもしれない」


 とは言うものの、チャイハネは本気では思ってはいないようだった。クニカ自身も、今の方が昔よりマシだとは思えなかった。


 “黒い雨”が収束した時には、チカラアリの有力な豪族は、すべて滅び去った後だった。代わりに力を持ったのは、職人階級である。


「それで、『チカラアリの巫皇(ジリッツァ)は、チカラアリが独自に決めよう』っていう機運が高まった。もともと“チカラアリ巫皇”の存在自体はシャンタイアクティも認めていたし、南北朝が統一されたばかりで、シャンタイアクティ側も疲弊していた。だからチカラアリは、特に戦争もなく平和裏に独立した。そんで、かつてゼラブランカと呼ばれていた都市が、新“チカラアリ市”になった」

「リンは、そういう話はしてくれなかったな」

「クニカが訊かないからじゃないかな?」


 あくびをしながら、チャイハネが言う。


「ま、リンもちゃんと、チカラアリの伝統を受け継いでるけどね。彼女、実家が研ぎ職人だろ? そういうところに出てるよな」

「うん」

「で、残るはビスマーか。ここは、二百年ほど前に、シャンタイアクティから平和裏に独立しました。はい、おしまい」

「それだけ?」

「喋ることがないんだ、ビスマーは」


 チャイハネは、肩をすくめてみせる。


「元々はシャンタイアクティ人の入植地で、農業が盛んな地域かな。西側に山脈があるせいで、昔からずっと、ウルトラよりもシャンタイアクティとの結びつきが強い。最近は、鉄道のお蔭で大分改善されたけど。ちなみに今のビスマーの巫皇(ジリッツァ)は、シャンタイアクティの巫皇(ジリッツァ)が兼務してる」


 シャンタイアクティとビスマーを、チャイハネはチョークで結びつける。


「それに、ビスマーの巫皇(ジリッツァ)は、ウルトラやチカラアリの巫皇(ジリッツァ)よりも、格下の扱いなんだ。歴史が浅いからかな」

「そうなんだ」

「喋るとしたら、そのくらいかな。じゃ、次の単元に移ろう。今度は“魔法”の話」


 チャイハネの講義は続く。

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