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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第3章:シャンタイアクティ少女行(в СянтайАкти)
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049_嘆きの壁(Стена Плача)

 ”黒い雨(ドーシチ)”が止んだのを察知すると、シュムはコンテナの扉を開けて、外へとおどり出る。空はまだ曇っていたが、雲間からは、日射しが漏れ始めていた。


 アエンデの街を抜け出してから、丸一日が経過しようとしている。シュムたちを乗せたトレーラーは、今”最後の国道”を走っているところだった。


 この国道の最終地点に、シュムたちの目指す街・シャンタイアクティがある。千年以上の長きにわたり、南大陸の繁栄のすべてをその双肩に担い続けてきた街・シャンタイアクティ。それがもうすぐ、シュムたちの前にあらわになる。


「三日かな」


 後ろから聞こえてきた声に、シュムは振り返る。使徒騎士のオリガが、地図をひっくり返しながら、コンテナから降りてくるところだった。


「三日?」

「この調子でトレーラーを飛ばせば、三日後にはシャンタイアクティにたどり着く」


 シュムは、胸の高鳴りを覚えるとともに、たった数日であっても、途方もなく待ち遠しく感じられるということに気付いた。


「すぐに行きましょう――」

(あせ)ンなよ。それより、ほら、」


 シュムの目の前に、オリガは地図を広げる。地図には赤鉛筆で、様々な記号が書き込まれている。一カ所、大きくバツ印の付されている箇所が、シュムの目を引いた。


「ちょうどこの街さ。セレスって言うらしいけど、このまま進むことはできない」

「なぜです?」

「土砂崩れさ。”黒い雨”のせいで、斜面が緩くなってるところを、ドカン、ときたわけだ。ほら……あそこさ」


 背嚢(ランドセル)から取り出した望遠鏡を、オリガはシュムに手渡した。オリガが指さす先を、シュムは眺める。山の一カ所が不自然に欠けており、赤茶けた土が露出していた。


「道が塞がれてるから、まずは土をどうにかしなきゃならない。ついさっきの雨もあるから、なおさら慎重にさ。そこで、あたしらの出番、ってことになる」

「分かりました。でも、その地図はどうやって手に入れたんです?」


 シュムたちと一緒に旅を続けてきたオリガが、この周辺地域の情報を持っているとは考えがたい。だれかが事前に調べた情報を、オリガは始めから持っていたのだろう。


「シャンタイアクティへ向かうための道は、いくつかある」


 望遠鏡をしまいながら、オリガが答える。


「街道を抜けるルートが最も整備されているけれど、コイクォイのリスクが大きい。リスクが低いルートのひとつで、一番早く到着できるのが、アエンデを抜けるこのルートだった。んで、使徒騎士のひとりが、このセレスの辺りまでを調べてくれた」

「使徒騎士……同僚の方ですか?」

「まあね。(やっこ)さんの方が、あたしより年下だけど。空棲類なんだ」


 空棲類――空を飛ぶ能力を有した魔法属性の者たちを、そのように呼ぶ。基本的には、鳥系統の魔法使いだ。


「ということは、リンと同じですね?」

「ハハ、まぁ、そんなところかな?」


 曖昧に笑うと、オリガは腕を組む。シャンタイアクティの騎士は、外部の者に、すすんで魔法属性を教えようとはしない。


「といっても、リンが彼女に出会ったら、ビックリして腰を抜かしちまうだろうな。彼女、特別なんだ」

「そうなんですか?」


 使徒騎士の魔法が傑出していることは、シュムも十分に理解している。同じ属性の魔法使いであっても、使徒騎士である以上、リンとは比べものにならないほどの”何か”を秘めているのだろう。


「会ってみたいです」

「すぐに会えるさ、」


 そう言いながら、オリガはシュムより前に出る。


「良い奴だよ、堅物だけど。それじゃ、行こう。シャンティの乙女(シャンタイアクティ)が、あたしらを待ってる」

「はい」


 シュムは、オリガの後に続いた。



   ◇◇◇



 セレスの市街に、オリガとシュムは分け入る。街は静まり返っており、アスファルトの割れ目からは、雑草がおびただしくはびこっていた。


 吹きつける風が、亜熱帯の湿った空気を、オリガとシュムに届ける。建物の間につり下げられた提灯が、風に煽られて、乾いた音を返した。その音のために、街の静けさが増したように、シュムには感じられた。


 “黒い雨”のために、この街の住民たちも、死ぬか、逃げ出すかして、散りじりになってしまったのだろう。人の気配だけでなく、コイクォイの気配もなかった。旅の中で、“霊化”が進んだシュムは、コイクォイが潜んでいるのかどうか、直感で分かるようになっていた。


「慣れないね、まったく」


 足元に転がっていた錆びた缶を、オリガが蹴り上げる。缶は放物線を描いて宙を舞い、中にため込んでいた水を、道路にまき散らした。道路に散らばっていたガラスの破片が水を浴び、光のまだら模様を作り上げる。


「静か過ぎる」

「はい。まるで、時が止まってしまったかのような……」


 十字路に差し掛かったシュムは、角に(そび)える建物を見上げた。そこは集会所で、立てかけられていた看板には、映画の上映会を行うことが案内されていた。隣にある映画のリーフレットには、“нет стороны”という標題が掲げられており、若い男女が互いに寄り添いながら、特定の方角に向かって、まなざしを注いでいる絵が挿し込まれていた。


「気になるかい?」


 いつかチャイハネと、二人で映画を観に行けたらいい。そう考えて立ち止まったシュムに、オリガが声をかけた。


「前、ヤンヴォイって街に任務で出張した時に、商工会議所の偉い人に連れてってもらって、その映画を観たよ」


 そう言いながら、オリガは肩をすくめてみせる。


「ま、よくあるメロドラマかな。映画の中身よりも、その街にあった“モール”ってのが面白かった。一つの建物の中に、たくさんのブースがあって、そこにいろんな店が軒を連ねてた。エスカレーターってのもあった。階段が動くのさ」

「よくあるメロドラマ、ですか?」

「ああ、そうさ」


 シュムは笑う。


「なら……チャイは好きそうです」

「アイツが?」

「ええ。……あの人、退屈な映画の方が好みなんだと思います」

「なるほどね、よく眠れるから、ってことかな? ハハ」


 オリガは軽口を叩く。いつもに比べて、オリガは上機嫌な様子だった。


「さぁ、進もう」


 市街を抜け、二人は土砂崩れの現場まで近づく。山間にある町の常として、塀とフェンスとに仕切られた境界を抜けると、周囲は突然に緑の深さを増し始める。本来ならば一直線に続いているはずの道が、崩落した土石により、完全に押し流されていた。


「ひどいね」


 道を塞いでいる大きな石の塊の前に立つと、オリガはその岩肌に手を振れる。


「マ、予想どおりなんだけど」

「どうするんです?」

「下手に岩をふっ飛ばすと、ますます地盤が緩くなって、トレーラーが通った瞬間に、崩れちまうかもしれない」


 岩肌に耳を当ててから、オリガはシュムの方を振り向いた。


「というわけで、岩を砕くんじゃなくて、穴を空けたい。ちょっとしたトンネル代わりさ。シュム、手ェ貸してくれ」

「もちろんです」


 シュムがそう言ってから、ちょっとした間が空いた。


「……あ、そういう意味じゃなくてさ。物理的にだよ、手!」

「え? こうですか?」


 しどろもどろになりながらも、シュムはオリガの目の前に、みずからの両手を差し出した。シュムの両手を掴むと、オリガはすかさず、みずからのおでこをシュムのおでこに合わせる。


「う、っ……?!」


 (まぶた)の裏にまぶしさを覚え、シュムは声を上げた。視界が点滅し、シュムの脳裏に、魔法陣が浮かび上がる。その魔法陣は、全体として円形をしているが、輪郭がなく、多彩な色を組み合わせて作られたような魔法陣だった。


「便利だろ?」


 シュムから離れると、オリガが言った。


「口で説明すんのが難しいから、頭ン中に直接送り込んだ。向こう一日は、影像(イマージュ)が焼き付く」


 オリガの言うとおり、シュムは隅々まで、その魔法陣の形式・色を思い描くことができた。


「ビックリしました……」

「助かったよ。魔力で無理やり影像を押し込むから、魔力の弱い奴にやると、鼻血を出してぶっ倒れちまう。準騎士の子にだって、倒れちまう奴がいる。大したもんだよ」

「そうなんですか?」

「そうさ。……じゃ、あたしは潜るから、シュムは岩の上に、その魔法陣を描いてくれ」


 そう言うと、オリガは岩に手をついて、耳を岩肌に当てる。次の瞬間、オリガの身体は、まるで岩の中に沈み込んだようになって、完全に消え去ってしまった。(ソーム)の魔法使いであるオリガは、地面の中を泳ぐことのできる、特別な海棲類である。特にオリガは、全身に彫り込んである刺青のお蔭で、土に限らず、花崗岩であっても、アスファルトであっても、漆喰の壁であっても、構わず潜り込むことができた。


 同じタイミングで、シュムも岩の上をよじ登る。(パンテーラ)の魔法属性であるシュムにとって、木登りは朝飯前だった。それと同じ要領で、器用に大岩のひだを伝いながら、シュムはてっぺんまで上り詰める。


 ポーチからチョークを取り出すと、シュムは記憶を頼りにして、大岩の上部に魔法陣を描き出す。魔法陣の映像は頭に焼き付いているため、自分の名前を書くのと同じくらいあっさりと、シュムは魔法陣を描ききった。


〈できた?〉


 魔法陣を描き終えてすぐ、シュムにオリガの声が届く。その声は、シュムの頭の中に直接入り込んでくるかのように聞こえた。共感覚(テレパシー)である。


「大丈夫です」

〈分かった。そんじゃ、岩から離れるんだ〉


 大岩を踏み切ると、シュムは地面に降り立つ。距離を取ると、シュムは大岩を遠目に見る。次の瞬間、大岩のてっぺんから火花が飛び散り、白い煙を吐き出し始める。


 やがて、煙が収まった。シュムの手前の地面が渦を巻き、オリガが中からはい上がってくる。


「もう大丈夫だ。上手くいった」

「本当ですか?」


 オリガの肩越しに、シュムは大岩を見やる。派手に煙が出たにもかかわらず、大岩に変わった様子は見られない。


「来てみなよ」


 大岩まで近づくと、オリガは無造作に手を突き出した。


「あっ」


 シュムは声を上げる。オリガの手は大岩の壁面に埋まり、地面には砂粒がこぼれ落ちた。


 大岩まで近づくと、シュムも手を突き出し、大岩から砂を掻き出した。発動した魔法陣の効果で、大岩は粉々に打ち砕かれていたのだ。


「すごい……面白い……!」


 無邪気になりながら、シュムは大岩から、砂粒を掻き出す。泡を掻き出すくらい簡単に、シュムは大岩を掘ることができた。


「後は念動力(サイコキネシス)でドカン、さ。綺麗な丸穴が空くよ」


 立ち込める砂粒を、オリガは息を吹きかけて払いのける。


「良かったよ、上手くいって。キミも大分、魔法が冴えるようになってきたんじゃないか?」

「ええ。ミーシャのお蔭です。……あ、もちろん、オリガも」

星誕殿(サライ)に来れば、もっと強くなれる」


 星誕殿(サライ)、それはシャンタイアクティ騎士団の本部の名称である。シュムは息を呑んだ。オリガの言葉は、シュムを騎士団へ勧誘するのと同義だった。


「ありがとうございます、オリガ。せっかくの言葉ですけれど――」


 そう言いながら、シュムはうつむいた。騎士団に参加すれば、シュムは今よりも強くなれるだろう。だが、強さはシュムの求めるところではない。シュムにとって大切なのは、チャイハネとどう過ごすかということだった。さっきのように映画を観たり、どこかへ旅行したり、他愛のない会話をしたり――、それが、シュムの望むすべてだった。


「“黒い雨”が終わったら、私、シャンタイアクティで、仕事を見つけるつもりだったんです。今やってるのとは、全然違ったような。すみません」

「いいよ。気にすんな。やりたいことがあるってんなら、無理に勧めやしない。すると、あれかな? チャイとは別れるんだな」

「いえ。チャイと一緒です」


 オリガが真顔になった。


「まさか。言ってたぜ、アイツ。『騎士団に入る』って……」


 言葉の意味が分からず、シュムはその場に立ち尽くした。


「どういう意味です?」

「昨日、アイツと話したんだ。『騎士団に入る生き方も悪くない』って、アイツ、そう言ってた」


 頭の中が真っ白になって、シュムは何も言えなくなってしまった。自分が望んでいた、チャイハネとの未来。それが今、シュムを置いてけぼりにして、どこかへ行こうとしている。それも、ほかならぬシュムの伴侶・チャイハネの手によって。


 シャンタイアクティ騎士団に入る。そんな重要な話を、チャイハネは今まで一度も、シュムに相談しなかった。何よりシュムに辛かったのは、このことだった。


「初めはさ、チャイにだけ声をかけたんだ」


 シュムが動揺していることに、オリガは気づいていないようだった。紙タバコを口に咥え、オリガは火を着けようとしていた。


「だけどさ、フェアじゃないな、って思うようになったのさ。年齢的には遅いけれど、シュムも十分強くなってるし。あたしの権力で、無理やりねじ込めば……って、おい、どこ行くんだよ?」

「チャイに、確かめます」


 しぼり出すようにして、シュムは言った。


「確かめないと……」

「それがいいな。でもアイツ、今は昼間だから寝てるぜ、きっと」


 口から紫煙を吐きながら、オリガは笑う。トレーラーを誘導しよう、岩を掘るのは、ミーシャに任せよう。――そんなオリガの言葉は、シュムの耳には入ってこなかった。

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