表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第3章:シャンタイアクティ少女行(в СянтайАкти)
42/165

042_今のままで(Как сейчас)

「チャイ、キスしてください」


 シュムの声に、チャイハネは目を開ける。赤いビニール製のシートの上に、(はん)(ごう)や空き缶、ペットボトルの水が転がっている。二台目のトレーラーの脇に設けられた、ちょっとした野営地(キャンプ)である。


 ダムを抜けてから、半日が経過していた。一行はペレ川を沿うようにして東へ進み、ヴィジャヤナガル州を抜け、今はチャオウスラバヤ州へと入ったところだった。


 一行を乗せたトレーラーは、”アエンデ”と呼ばれる市の近くにある、山のふもとで停留している。アエンデの町を縦に抜ければ、一行はウルトラとシャンタイアクティを結ぶ、もうひとつの国道に合流できる。その国道を使えば、シャンタイアクティまでの道のりを、更に短い日数で乗り越えることができる。


 しかし、アエンデの市街に向かって、夜にトレーラーを乗り入れるのは危険だった。”黒い雨(ドーシチ)”により、どれほどの犠牲者が市内におり、どれほどの数のコイクォイがたむろしているのか、夜陰の中では確かめようがないからだ。このため一行は、一夜をふもとで明かし、日が高くなってから、アエンデに入り込む計画だった。おびただしい数のコイクォイが道を阻むのならば、市を縦断する計画は諦めなければならない。


 今、チャイハネは、野営地に陣取って、寝ずの番をしているところだった。シートの上には、白いペンキで魔法陣が描かれている。展開される結界は、”黒い雨”とコイクォイとから、チャイハネを防御してくれる。


 チャイハネが寝ずの番をしていることにも、理由がある。”(サヴァ)”の魔法使いであるチャイハネは、夜に目が冴え、昼に眠くなる。加えて、昼よりも夜の方が遠目が利いた。チャイハネが見張り番に(ばっ)(てき)されたのは、このことが理由である――はずだった。


「もう、チャイったら」


 シュムが(ほお)を膨らませる。


「寝てたでしょう?」

「ゴメン」


 頭を掻くと、夢の記憶を吐き出すようにして、チャイハネは息を漏らした。


 あの後、チャイハネの父親は、ひとりで休暇旅行に出かけ、その先で亡くなった。旅行先から返された骨壺を受け取った時、チャイハネは途方に暮れるというよりも、むしろ悔しさのようなものを味わった。みずからが内面化した規律が、父親に死を賜ったのだろう。それはチャイハネにも分かったが、と同時に、父がみずからの責任を回避するために、死に逃げたようにも、チャイハネは感じられた。


 その後すぐに、チャイハネは家を飛び出した。行く当てなどなかったが、戻るつもりはなかった。


「おかしいな」


 首を振ると、チャイハネは言った。


 ”梟”の能力が開花してからというもの、夜に眠くなることなど、チャイハネには稀であった。心当たりがあるすれば、昼間にニフシェから呑まされた”自白剤”である。


「もしかしたら、”霊化”が進んでいるのかもしれませんよ?」

「霊化? 誰かの魔力に感化されてる、ってかい?」

「そうです」

「それはないな。だいたいさ、霊化が進んでるなら、あたしは寝ちゃいないさ。夜は冴えてるはずだし、昼間の寝入りも良くなってるはずさ」

「一周回って、逆に眠くなってしまうのかも」

「逆に、ね。ハハハ」


 タバコを吸おうと上着のポケットをまさぐるが、チャイハネは見つけられなかった。トレーラーの中に、置き忘れてしまったようだった。


「それで? シュムはどうして起きてるの?」

「それが……寝付けなくって」

「寂しくなっちゃったとか?」

「もうっ、違います。ドキドキしてるんです」

「何で?」

「私、朝になったら、ミーシャと街へ行くんです」


 ふもとに広がるアエンデの街を、シュムは見やる。


「夕方に、オリガに言われたんです、『ニフシェに頼れないから、力を貸してほしい』って。どうしたんです、チャイ?」

「いや? ただ、私だったら……断るだろうな、ってさ」


 本当は、もっとはっきりしたことを言いたかったが、チャイハネは、あえて言葉少なにとどめた。


「あたしら、非戦闘員なんだぜ? 危ないことは一般人のやることじゃないよ」

「でもチャイ、ニフシェが捕まってしまったのですから、私たちだって、できることをやらないと」

「だとすれば、街に繰り出すのは『できないこと』だと思うけどね。だいたいキミ、前科があるじゃん」

「にゃーん……」


 ”前科”という言葉に、シュムはしおらしくなる。


 ”黒い雨”の騒乱の最中、町からの脱出を試みたシュムは、コイクォイに噛まれ、危うく命を落とすところだった。一命を取り留めたのは、チャイハネの献身的な救護と、たまたまクニカとリンとが通りかかったお蔭である。


「ね? だからさ、無謀なことなんかしないでさ――」

「そうだ、チャイ。だったら、これはどうです?」


 チャイハネの前に、シュムは手を差し出した。


「握ってみてください」

「こう?」


 言われるがまま、チャイハネは手を握り返す。その途端、握った手を通じて、シュムの(アウラ)のようなものが身体に流れ込んでくることを、チャイハネは感じ取った。


「フフン、チャイ。霊化が進んでるのは、チャイだけではないんです」


 シュムの顔と手とを代わる代わる見つめるチャイハネに対し、シュムは肩をすくめる。


「”霊化”の話を大瑠璃宮殿ラズール・ドヴァリエーツで聞いてから、私、なるべくミーシャたちと行動するようにしたんです。そしたら……自分でも分かるぐらい、魔法を使うのが軽くなった、というか――」


 シュムは、(パンテーラ)の魔法使いである。発揮した魔力は、そのまま身体能力に影響を与える。俊敏に走り回ったり、軽々と木に登ったりする芸当は、シュム以外には真似できない。


「今だったら、私、もっとうまく動ける自信があるんです」

「へぇ」


 と、チャイハネは生返事をした。しかし、シュムの言うことは間違いでないだろう、と、チャイハネは直感する。シュムの魔力は、チャイハネでも分かるくらい強くなっている。今のシュムならば、不意を突かれてコイクォイに噛まれたりすることはないだろう。


「それに、ミーシャが着いてきてくれます。彼女、私たちより年下ですけれど、強いですし……」

「確かにね」


 眼鏡を外すと、チャイハネはまぶたを手でこする。


「ルゥ=ラァ家……御三家(チムピオーン)の子女だからね。魔法の才能は段違いのはずさ。ゆくゆくは、彼女も巫皇(ジリッツァ)になるんだろうけれど――」

「あの子がですか?」

「そうさ。ルウ=ラァ家は御三家の筆頭だから、まず間違いない」


 チャイハネにとって気になるのは、ミーシャのコミュニケーションの取り方だった。ミーシャはよく、「キャー。」という(なん)語を話す。そんなミーシャの様子は、(カサートカ)の魔法属性である、カイに通じるものがあった。もしかしたら、ミーシャもカイと同じように、海棲類の魔法使いなのかもしれない。


「カイ、か……」

「どうしたんです?」

「今ごろどうしてるかな、って。リンも、クニカもさ」


 南大陸・キリクスタン国の地図を、チャイハネは思い描く。チャイハネたちが今いる辺り、アエンデの街からまっすぎに北上すれば、ちょうどチカラアリ市にぶつかるだろう。北大陸・サリシュ=キントゥス帝国からの軍隊の最前線。クニカたちは、そこで”次期チカラアリ巫皇”を探している。


「大丈夫です。クニカがいるじゃないですか」

「だといいけどね……」

「それよりも、です!」


 後ろに回り込むと、シュムはチャイハネの肩越しに腕を回す。


「私たちが、ちゃんとシャンタイアクティにたどり着かないと。クニカたちを心配させてしまいます」

「元気だね、シュム?」


 シュムの紫水晶(アメジスト)色の瞳を、チャイハネは覗き込む。


「ミーシャたちと一緒になって、私、自信が出てきたんです」

「オリガとミーシャから、多くを学んでる、ってことだろ?」

「ええ……」


 チャイハネの問いかけに、シュムの声が小さくなる。先ほどから、シュムがわざと「ミーシャたち」と呼んでいることに、チャイハネは気付いていた。


「思い切って訊いちゃうけどさ、シュム。オリガについてどう思ってる?」

「……私、あの人とは、仲良くなれないと思います。たぶん」

「ハッハー」


 チャイハネは笑った。


「小悪魔ですねえ、シュムさん。あたしが当事者だったら、涙ちょちょ切れちゃいますよ」

「チャイ、私って今、すごくみんなの役に立てている気がするんです」


 からかいをよそに、シュムはまっすぐなまなざしで、チャイハネを見つめてきた。


「ほら、ウルトラにいたとき、一緒に話したじゃないですか? 『シャンタイアクティで、仕事を見つけたい』って。あのときには、チャイに笑われてしまいましたけれど、やっぱり、私でもできることがあるんだなって、そう思えるようになったんです」

「今のままでも――」


 そこまで言いかけて、チャイハネは凍り付いた。自分にとっての「今のまま」と、シュムにとっての「今のまま」とが食い違っていることに、気付いてしまったからだ。チャイハネが両腕の中で抱え込もうとしている”今”の中に、シュムはもう存在しない。シュムはしなやかに身体を弾ませ、チャイハネの手の届かない”今”に向かって、まっすぐ前を向いている。


――シュム、キミと出会ってなかったら、あたしはどうなってたかな?

――私がいなくても、チャイはチャイです。


 チャイハネの心の中に、先日の記憶が蘇ってくる。輪郭も、稜線もないような、ぼんやりとした記憶。しかしながら、うかつに触れようとする者を切りつけてくるような、そんな厳しい記憶。


 違うんだ、そうじゃないんだ。――あのときチャイハネは、そう言おうとして、できなかった。では、今はどうか? ニフシェの早業で自白剤を呑まされた時、チャイハネは、「幸せでない」と答えた。その答えに一番驚いたのは、ほかならぬチャイハネ自身だった。


 自分は幸せなのだろうか? チャイハネは自問する。もし幸せでないとしたら、それはどういうことか? こうしてシュムが隣にいて、互いに愛し合っているというのに。


 でも、もしそれが(ローシ)だとしたら?


 自分は本当には、シュムを愛していないのだとしたら?


 問いかけの前に、チャイハネは立ちすくむしかなかった。


「チャイ、私、もう一度眠ってみます」


 隣であくびをしながら、シュムが言った。


「チャイも、無理しないでくださいね」

「分かってるよ」


 内心の動揺をシュムに感付かれないよう、平静を装いながら、チャイハネは言った。


「お休み、シュム」

「――あ、チャイ。寝る前に、キスしてください」


 目を閉じたシュムの唇に、チャイハネは自分の唇を重ねる。その間、チャイハネはずっと、息を殺していた。息をしようものなら、自分の動揺が、心臓の鼓動として、シュムに伝わってしまうように思えたからだった。


「フフフ、また、霊化が進むかもですね」


 そう言って、シュムはトレーラーの中へ去って行った。何も言えず、チャイハネはその背中を見送る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ