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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第3章:シャンタイアクティ少女行(в СянтайАкти)
40/165

040_【君が好きだ/君が嫌いだ】(Бейтсон, Грегори)

――【この枠内の陳述はすべて嘘である。 きみが好きだ。 きみが嫌いだ。】(グレゴリー・ベイトソン、『精神の生態学』)

「よ、元気そうだな」


 靴ひもをしばり直し、トレーラーの外へ出たチャイハネは、オリガに声を掛けられた。オリガは煙草を吸っていた。


 一行は、大陸の中央部に差し掛かっている。今はシャンタイアクティ領・ヴィジャヤナガル州に入り込んでいた。


 ヴィジャヤナガル州は、ペレという大河に、その領域が縦断されている。チャイハネたちは、川に建設されたダムの傍らで、トレーラーを停車し、休憩しているところだった。


「行ってきたのかい」

「結構な収穫だった」


 オリガは額の汗をぬぐう。


「もしかしたら、車がうち捨てられているかもしれない。読みが当たったよ。ミーシャと、アンタのツレが――」

「シュムだ」

「シュムがガソリンを詰めて戻ってくる。寄り道したのは正解だった。あたしは一足先に……あ、タバコは内緒な」


 そう言うと、オリガはタバコの吸い殻を放り投げる。吸い殻は放物線を描き、塀を越え、ペレ川へと吸い込まれていく。


「それにしても、ダム観光ってのも悪くないな」


 大きく伸びをして、オリガは塀に背を預ける。


「見晴らしがいい場所に行くってのは、気分が晴れるもんだ。いつもは暗いニュースばかりだけど――」

「それで?」

「え?」

「そろそろいいんじゃないっスかね、星誕殿(サライ)の騎士さん」


 オリガに近づくと、チャイハネは眼下の川を眺める。ダムの水門からは、大量の水が、滝のようになって落ちていた。


「言いたいことがあるんだろ? あたしらは”非戦闘員”なんだ。命は預けてる」

「なら話は早い」


 オリガが笑う。


「けどその前に、あたしにも教えてくれ。どこへ行こうとしてた?」

「外の空気を吸いに、ね」

(ローシ)だね」

「嘘じゃない」

「視線が右上を向いていた」

「視線と嘘には、統計的に有意な差がないんだ」


 眼鏡を外すと、チャイハネは目元を拭う。


「科学で証明されてる」

「なあ、ビビんな」


 浮ついた調子でオリガが言った。


「あたしらが罰するのは身内だけさ。ニフシェを助けに行くつもりだった。そうだろ?」

「そんなところだな」


 眼鏡をかけ直すと、チャイハネはオリガの右肩を見つめる。


「才能がないもんでね、本当に助けの()る重症者から、嫌われちまってんだ」

「おいおい、あたしは平気さ」

「嘘だね」

「嘘じゃないさ」

「視線がずっと、右上を向いていた。左下も向いていたけれど」

「面白いな! 今の切返し、いつか使えるように、日記に書いとくよ」


 チャイハネに近づくと、オリガは腕を伸ばし(左腕だった)、チャイハネに何かを握らせる。爪先ほどの大きさの、一粒の丸薬だった。


「自白剤だ」


 オリガが言う。


「そろそろ昼だ。エリッサが食事を準備している。ニフシェの食事に、それを混ぜるんだ」


 手のひらに乗った丸薬を、チャイハネは凝視する。丸薬は、チャイハネの目にひときわ大きく、重く感じられた。


「味はしない。水にも油によく溶ける。飲めば効き目はすぐに出る」

「こういうのは、アンタらの仕事だろ?」

「普段はな。ただ、あたしが行っても警戒される。ミーシャには頼めない。きっと捨てちまうから」

「誰が行っても同じだろ」

「たしかに! ――だったら、アンタでもいい」


 オリガは、チャイハネの手を握る。


「アンタは、ニフシェの怪我が気になっている。治療ついでに、食事を運ぶ。食事には偶然、自白剤が入ってる。簡単だろ?」

「簡単だな」


 丸薬を手に、チャイハネはその場を離れる。これ以上チャイハネは、オリガと話したいとは思わなかった。



   ◇◇◇



 ニフシェのいるトレーラーに近づいた矢先、コンテナの扉が、内側から開いた。


「元気そうで良かったですね」

「キャー。」


 コンテナから、二人の影が地面に降り立った。ひとりはビスマーの巫皇(ジリッツァ)・エリッサであり、もうひとりは使徒騎士のミーシャだった。


 チャイハネは二人の様子をうかがう。


「いいですか、ミーシャ?」


 そう言いながら、コンテナの扉を、エリッサは後ろ手で閉める。エリッサは、ちょうどチャイハネに背を向けており、チャイハネには気付いていない。一方、チャイハネはミーシャと目が合った。


「今、ニフシェさんのお見舞いに行ったことは、わたしと、ミーシャだけの秘密ですからね! きっと、オリガさんに見つかったら、怒られてしまいますから」

「キャー。」


 ミーシャは莞爾(にこにこ)していたが、後ろにいるチャイハネのことを、気にしているようだった。


「どうしました、ミーシャ?」


 エリッサは、ミーシャの視線に気付いたらしい。急に背筋を伸ばすと、エリッサは真後ろを振り向いた。チャイハネは、エリッサと目が合った。


「ははは、ははははは!」


 エリッサの額から、汗が滝のように流れる。エリッサを困らせるつもりがなかっただけに、チャイハネも困ってしまった。


「ええっと、料理?」

「は、はい! そ、その、料理をしていて、ニフシェさんのところに持って行って――」


 チャイハネは、エリッサと目を合わせようとしたが、エリッサの視線があちこちに泳いでいるせいで、それができなかった。


「あ、でも、やってませんから!」

「やってない?」

「えっと、その、ニフシェさんに料理を届けるついでに、怪我が大丈夫か訊いたりとか、『力になれることがあったら、何でも言ってくださいね』とか励ましたりとか……。そんなこと、やってませんから!」

「あはん。なるほどね」


 チャイハネは相づちを打った。


「それで、怪我はどうだって?」

「『まだ痛むけれど、オリガさんの方が心配だ』って。……あ」


 ここでようやく、エリッサも気付いたらしい。


「チャイハネさん、お願いです、その……」

「分かってるよ」

「ホントですか? 良かったぁ……」


 胸をなでおろすエリッサを見るうちに、チャイハネは、彼女の姿がクニカに重なった。クニカもエリッサも、嘘をつくことが下手だった。


「ところで、チャイハネさんは、どうしてここに?」

「何しに来たと思う?」


 汗を拭うふりをして、握りしめていた丸薬を、チャイハネはポケットにしまい込む。


「ニフシェさんの看病だったら、嬉しいです」

「そうかい? そりゃ残念」


 ふとチャイハネは、あえて真実を言ってみようか、と思いついた。


「実はね、ニフシェに毒を盛るつもりなんだ」

「え……!」


 エリッサの顔が引きつる。


「なんてね。冗談さ。診療だよ」

「本当ですか? やったあ……!」

「キャー。」


 チャイハネはため息を漏らした。ニフシェの看病にやって来たのは、嘘ではない。ただ、ポケットに入れてある丸薬も、チャイハネの目的であることに変わりはない。


 もし、”真実”を()き通していたら? エリッサは、どんな表情をしたことだろう?


 二人と入れ違いに、チャイハネはトレーラーへと乗り込む。



   ◇◇◇



 コンテナの一番奥で、ニフシェは胡坐(あぐら)をかいている。瞑想の途中なのか、ニフシェは目を閉じ、丹田の前に手を組んでいた。


 ニフシェは、鉄条網と有刺鉄線でできた、小さな檻の中にいる。道中で発見したバリケードを分解し、オリガが(こしら)えたものだ。鉄線の針は内側を向いており、ニフシェは背が高かったから、身じろぎするだけでも窮屈そうだった。


「元気そうじゃないか」

「そうかな?」


 チャイハネの言葉に、ニフシェは力なく笑った。


 檻の前では、食事が湯気を立てている。トウガラシ風味のツナの缶詰に、刻んだワラビを()え、ナンプラーを掛けた料理と、乾パンが少し。蔬菜は、休憩の都度、エリッサが見つけてきたものだろう。


巫皇(ジリッツァ)になる前までは、山菜集めが日課だったんだって」

「え?」

「エリッサさ。彼女たちと会ったろう?」


 顔を手で(あお)ぎながら、ニフシェが言う。コンテナの天井には、室温を下げるための魔法陣が描かれている。魔法陣は、まだインクの匂いが強かった。


「さっき、ミーシャが描いた。彼女、人の顔を描くように、魔法陣が描ける。センスがいい」

「快適ってワケか。鉄格子以外は」


 鉄格子の前にしゃがみ込むと、チャイハネはニフシェに顔を近づける。


「傷を見せてくれ」

「ボクは周りの人に恵まれてる」


 ニフシェはおとなしく、チャイハネに右半身を向ける。チャイハネの見立てどおり、出血はひどかったが、耳たぶが切れてしまっていただけだった。


「ボクのは、大した傷じゃない」

「だな。唾つけときゃ治る」


 チャイハネの言葉に、ニフシェは笑う。ニフシェが急に笑い出したために、傷用(なん)(こう)を準備していたチャイハネは、ガーゼを取り落としてしまうところだった。


「動かないで」

「ウチの騎士みたいなことを言う」

「シャンタイアクティの?」

「そうさ、『擦り傷なんか、乳醤(バター)を塗っておけば治る』って、センパイたちからよく聞かされた」

「バター? それはオススメしないな」


 耳の周りを覆うように、チャイハネは包帯を巻く。


「寝るときは、右半身を上にするんだ」

「利き腕は下にして眠るんだ。寝込みを襲われて、斬り付けられても、利き腕だけは無事なように。癖になっててね」

「なら、それでもいい。ただ、触るなよ? 感染症にでもなったら、()(かい)は全部切除だ」

「ありがとう」


 伏し目がちに、ニフシェは言う。チャイハネは奇妙な気分だった。目の前にいる、自分と同い年のこの少女に、裏切りを企てる勇気があるとは思えない。それでいて、ニフシェは現状を、(しょう)(よう)と受け入れているように、チャイハネには思えた。


 “裏切り者”の嫌疑をかけられていることについて、ニフシェはどのように考えているのか、本心はどこにあるのか。ポケットに隠していた丸薬が、チャイハネの心の中で、大きな比重を占める。


「良かったら、食べない?」


 ニフシェが声を掛ける。


「後ろの木箱に、干しブドウもある。半分持っていくといい」

「ああ」


 チャイハネは相づちを打った。


「なら、あたしが取り分ける」


 料理の乗せられたトレイを持って立ち上がると、チャイハネは後ろを向いた。木箱から、干しブドウの入った袋を取り出す。


 チャイハネは、ツナ缶を取り分ける。ポケットから丸薬を取り出すと、そっと料理に落とす。丸薬は、ツナの油に反応し、あっという間に溶けてなくなった。


「さあ、アンタの分だ」

「おっと!」


 鉄格子の中で、無理に立とうとしたニフシェが、前につまずく。食器が音を立て、先割れスプーンが床に落ちる。


「ごめん、拾うよ」


 素早くスプーンを拾うと、ニフシェはトレイに乗せ直す。それから、ニフシェはツナ缶のスープを(すく)うと、それを飲み始めた。


――飲めば効き目はすぐに出る。


 オリガの言葉を思い出しながら、チャイハネはニフシェに尋ねる。


「なあ、ニフシェ。あんた、オリガに“裏切り者”呼ばわりされてるだろ。どう思う?」

「分からない」

「分からない?」


 チャイハネは、ツナ缶のスープを一口飲む。


「どうして?」

「怖いんだと思う。姉の復活が」

「ニフシェの姉さん……名前、何だっけ?」

「ニフリートさ。ニフリート・ダカラー。ペルガーリアとは同い年で、ボクたちからは二歳離れている」


 素直に答えるニフシェを前にして、チャイハネは安堵する。丸薬の効き目は、本物のようだった。


「ニフシェは? やっぱり姉さんが怖い?」

「怖くない、と言ったら、嘘になる」

「たったひとりだろ? どうしてみんなして怖がるんだ?」

「使徒騎士と言っても、強さはまちまちなんだ」


 ニフシェはすでに、ツナ缶の皿を空けていた。


「使徒騎士の中でも、強さには差がある。使徒騎士より上の階層はないから、トップの強さは天井知らずになる。ウチらの代では、ペルガーリアとニフリートが“巨人(ギガント)”だった」

「巨人?」

「同世代の中でも、圧倒的に強いと、そう呼ばれる。ボクたちが束になっても、ニフリートには敵わないかもしれない。ましてや裏切り者に、背後から刺されるかもしれないとなったら、オリガじゃなくたって、怯えるのは当然さ」

「それで、“分からない”って?」

「もしボクとオリガの立場が逆だったならば、やっぱりボクも、同じことをしていたかもしれない」

「フーン」


 チャイハネは乾パンをかじる。ニフシェの答えは、チャイハネの望むものではない。


「チャイ、キミ、食べるのがゆっくりなんだね?」


 ニフシェが尋ねた。


「いや、いつもはもうちょっと早い」

「じゃ、どうして?」

「アンタが何を話すのか、聞きもらしちゃまずいと思ってさ。……ん?」


 話している途中で、チャイハネは奇妙な感覚に捕われた。ニフシェに尋ねられてすぐ、絡まった糸がほどけていくような心地で、チャイハネは考えていたことを正直に話してしまっていた。


「ミーシャとパートナーになる前は、オリガとパートナーだったんだ」


 うろたえているチャイハネをしり目に、ニフシェは話し続ける。


「オリガの手の裡くらい、ボクにも分かる。卑劣だと思う。民間人を巻き込むなんて」

「どうやって……?」

「スプーンを落としただろう? あのときさ。キミがこのツナの料理に、何かを仕込んだのは分かった。それは毒じゃない。キミは医者だから、毒を盛ることは、プライドが許さない。とすれば、自白剤くらいしかない。だから皿を入れ替えた」


 手元のツナの料理皿を、チャイハネは凝視する。落ちたスプーンに意識が向いてしまっていたため、皿が入れ替えられたことに、チャイハネは気付かなかった。


 しかし、取り分けた皿は、両方ともチャイハネが持っていた。いかにチャイハネの意識がスプーンに向けられていたとしても、自分の手元にある皿を入れ替えることなど、思いもよらなかった。


「ビックリしたかい?」

「ビックリしたよ」


 自分でも笑い出したくなってしまうくらい、チャイハネは素直に答えてしまう。


「じゃあ、今度はボクの番だな。キミ、友達から“チャイハネ”って呼ばれてるけど、それは本名じゃない。本当の名前は?」

「***だ」


 自分の意思とは裏腹に、チャイハネは、ニフシェの質問にすんなりと答えてしまう。そして、正直に答えることに、チャイハネは快感さえ覚えていた。


「その名前は棄てたんだね」

「そうだ」

「そこを穿(せん)(さく)するつもりはないさ。隠しておきたいことの一つや二つ、生きていれば誰だってある。シュムとの関係は? ガールフレンド?」

「そう……」

「いいな。幸せかい?」

「いや、全然」


 ニフシェは目を丸くする。しかし、一番驚いていたのは、ほかならぬチャイハネ自身だった。


「幸せじゃない?」

「そうさ」


 繰り返しの質問にも、チャイハネは率直に答える。チャイハネは、自分が全く異国の言葉を話してしまっているかのような感覚に包まれ、あけすけに全てを答えていたことの気味悪さなど、すっかり忘れ去ってしまった。


 幸せではないとして、自分とシュムとの関係とは、いったい何なのか?


 チャイハネは、まったく答えが出なかった。

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