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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第1章:終わりのない平和みたいに(Мост над неспокойной водой)
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004_おおさじ亭(Таверна”ЛОЖКА”)

――あなたは、私たちが断食することを欲しますか。私たちはどのように祈り、どのように施すべきでしょうか。そして、私たちはどのような食事の規範に則って食べるべきでしょうか。

(『トマスによる福音書』、第6節)

 階段を降りた先には、ジュリが待っていた。


「お、おは――」

「イェーイ! バトンターッチ!」


 クニカの挨拶(あいさつ)もそこそこに、ジュネはバンザイしてみせる。


「ほら、万歳(ウラー)!」

「う、万歳(ウラー)……」


 ジュネのテンションに気圧(けお)され、クニカも両手を高く掲げ、手を合わせる。


 本当は。ジュネは「ハイタッチしようぜ!」と言いたかったのだろう。だが、間違って「バトンタッチしようぜ」と言ってしまったのだ。しかしクニカは、そっとしておくことにした。


「いやー。いい天気だな!」


 軒先から見える空は、青く晴れわたっている。昨晩、“黒い雨(ドーシチ)”が降っていたことなど、嘘のようだった。


 鼻歌を歌いながら、ジュネは厨房の脇に据えてある冷蔵庫から、瓶を取り出した。瓶に貼られた青いラベルから、クニカはそれが、ウルトラの地ビール“ビア・ウルトラ”であると分かる。


「朝からさ、おてんとさんがさ、気持ちいいよな?! 気のせいか!」


 カウンター近くの席に腰を下ろすと、ジュネは、カウンターの縁に、瓶の口を勢いよく叩きつける。金属音とともに、ビンの王冠が弾け、床に転がる。コップをたぐり寄せると、ジュネはひとりで“ビア・ウルトラ”を注ぎ、飲み始めた。


 厨房と座席のある一階こそ、この建物で一番重要な場所だった。“おおさじ亭”、それが、この居酒屋兼住宅の正式名称(イーミャ)である。ジュネは、“おおさじ亭”の店主であり、料理番だった。


「ぷはー! 最高だな! 生きてて良かったな?! 気のせいか!」

「気のせいじゃ、ないんじゃないかな?」

「ちょっと、姉ちゃん!」


 遅れてやって来たジュリが、会話に割って入る。


 ジュネとジュリは姉妹であり、ジュネの方が六歳ほど、ジュリよりも年上である。妹のジュリと同じように、ジュネも銀髪で、色白で、()せている。違いがあるとすれば、ジュリの瞳が赤色の一方で、ジュネは青い瞳の持ち主であること、それから、ジュネはショートヘアで、毛先にパーマがかかっていることくらいだった。


「ダメでしょ! 朝からビールだなんて!」

()ってェこと言うなよ」


 妹を尻目に、ジュネは二杯目のビールをコップに注ぎ始める。ビールの泡が吹きこぼれ、床に落ちた。


「今日は記念すべき『“おおさじ亭”復活!』の日なんだから」

「朝から飲まなくたって……」

「けちけちすんなって! 何かジュリ、そういうところ、()ぁちゃんに似てきたな。気のせいか!」

「ニャーン!」


 言い返すためのネタを失ったのか、ジュリはひと声上げると、厨房の席に座り、そっぽを向いてしまった。


 妹のジュリが“(コーシカ)”の魔法属性である一方、姉のジュネは“(サバーカ)”の魔法属性だった。それが原因なのか分からないが、言い合いになると、いつもジュリは、ジュネに言い負かされていた。


「そうだ、クニカ! 料理が冷めちまう!」

「う、うん」


 ジュネに促された先には、朝食が湯気を立てている。サンドイッチだった。隣のマグカップからは、コーヒーが湯気を立てている。


「バインミー(註:サンドイッチのこと)だよ。うずらの卵とさ、レタスと、配給のランチョンミートが残ってたから、それを薄切りにして……あと、魚醤(ニョクマム)! ロージャん()で作ってる魚醤入れたんだ」


 座ると、二切れあったバインミーの、一切れを、クニカはほおばる。魚醤の酸っぱい香りと、パンの香ばしさとが、クニカの鼻孔をくすぐる。


「う……?!」

「どうだ?!」

「お、美味しい……」

「うおーっ! おい、聞いたか?」


 立ち上がったジュネは、厨房で頬杖をついていた妹の肩をひっつかむと、思い切り揺さぶり始めた。


「ちょっと……!」

「聞いたか? ジュリ! 聞いたろ?! 『美味しい』ってさ! フォーッ!」

「聞いた、聞いた!」

「ロージャにも言ってやんねえと! 『お前ん(とこ)の魚醤、評判だったぜ』って! よし、行こう! すぐ行こう! フォーッ!」

「ちょっと……」


 ビールを手に持ったまま、ジュネは外まで駆け出すと、すぐに見えなくなってしまった。


「あーあ、行っちゃった」


 姉が出て行ったのを見届けると、ジュリは客席まで戻ってきた。それからジュリは、クニカの真横に座る。


「あのさ、ジュリ、」


 バインミーを飲み下しながら、クニカは言った。


 クニカはいま、四人掛けのテーブル席に座っている。向かいの席に座れば良いものを、どういうわけか、ジュリはクニカの真横に座っている。おまけに、クニカが振り向けば、鼻がくっついてしまう程の距離まで、ジュリは近づいている。


「あの、ちち、近いよね、わたしたち?」

「クニカ、ありがとうね」

「え?」

「ジュネのことよ! ジュネ、昨日からずっと『興奮して眠れん』とか言っててさ。部屋でずっと暴れてて、反復横跳びとかし始めちゃって」


 クニカとリンの部屋の、廊下を挟んだ向かい側に、ジュネとジュリの部屋はある。昨日は雨の音がうるさかったせいで、向かいの部屋でそんな騒動が起きていたことなど、クニカもリンも気付かなかった。


「そうだったんだ」

「ほら、あの人、料理大好きだからさ」

「そうだよね」

「クニカちゃんが来る前なんか、ずっと“おおさじ亭”は休業で、ジュネもあたしも、お店どころじゃなくって。ジュネなんか、特に料理が生きがいみたいな人だから、ふさぎ込んだり、お酒に逃げたりしてて」


 そういえば、と、ウルトラ市にたどり着いたころの記憶を、クニカは反芻(はんすう)する。クニカたちは、人づてに“おおさじ亭”の話を聞きつけ、そこに転がり込んだ。


 初めて目にした時の“おおさじ亭”は真っ暗で、ジュリは不安そうにしていたし、ジュネは――今と変わらず――飲んだくれていた。今と違うのは、飲んだくれていた時のジュネは、ほとんど喋らなかったことだった。あの時のウルトラ市は、“黒い雨”のせいで混乱し、おびただしい人が死に、疎開してきた人たちで喧騒に包まれ、市場(ルイナク)は封鎖され、食糧は配給制に切り替えられていた。当時のジュネは、料理の腕を振るうこともできず、お酒に逃げるしかなかったのだろう。


「だから、クニカちゃんのお蔭で、ジュネ、また元気になったんよ。『わんわんわん!』って、いつもウルサイけど、それでも、あたしにとっては、大事な家族だから。あ、こういうことって、ジュネが直接言うことなんだろうけど、あの人、ああ見えて照れ屋さんだから」


 ジュリの話を聞くうちに、クニカの脳裏には、昨晩の記憶がよみがえってくる。自分はどうして、この世界にやって来たのか? その理由は分からない。しかし、ジュリの生きがいを取り戻すことができたのなら、自分は良いことをしたのではないか、と、クニカは自信を持った。


「さ、クニカちゃん! そろそろ時間よ! “宮殿”まで送ったげる」

「うん!」


 急いでバインミーを食べ終えると、クニカはジュリと共に、“おおさじ亭”を後にする。

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