035_オリジナル(оригинал)
「今のは……?!」
密林を震わせ、大気を突き抜けた鋭い音に、チャイハネもシュムも顔を上げる。
「銃声です。――あっ?!」
音のした方向に振り向くと、シュムが声を上げる。チャイハネが振り返ったときには、ミーシャが一目散に、木々の合間へ分け入ろうとしているところだった。
「オリガだ」
チャイハネは言った。
「ニフシェもいるはずだ」
「何の騒ぎです?」
そのとき、中央のトレーラーのコンテナが開き、プヴァエティカが顔を出した。プヴァエティカは眉をひそめており、うろん気な表情だった。
「銃の音でしょう? いったい誰が――」
「オリガか、ニフシェです」
ミーシャが消えていった先を、チャイハネはにらむ。
「この辺りにコイクォイはいない」と、ニフシェはそう説明していた。エンジンを再稼働させた代償として、ニフシェは手を油まみれにしてしまったため、それを拭い去るべく、茂みの奥へ入っていった。そんなニフシェの後を、オリガが追いかけている。
これらを勘案すると、今の銃声は、人に対して向けられたものだ。しかし誰が、何のために?
「行ってみましょう」
「待ってください」
サンダルを引っ張り出し、道に降りようとするプヴァエティカを、シュムが止める。
「危険です、何があるのか――」
「私たち非戦闘員を放り出して、使徒騎士たちは行ってしまいました」
「非戦闘員」という言葉を強調して、プヴァエティカは言う。
「であれば、むしろ取り残されている私たちの方が危険。そうではないですか?」
「それは……」
「『見出すとき、動揺するであろう』、」
『トマスによる福音書』の一節を、プヴァエティカは諳んずる。
「『動揺するとき、驚くであろう。そして、万物を支配するであろう』。私たちは差異をとらえ、存在者を見極めて、初めて存在を了解することができる。何が起きたのかを知ることは、わたしたちの務めです」
「かもしれませんけれどね、臺下。それでも――」
「わ、わ、わたしも……!」
コンテナの、半開きになった扉の奥から、か細い声が聞こえてきた。もうひとりの巫皇・エリッサである。エリッサは、扉の影に身を潜めながら、緑の瞳を震わせていた。
「わたしも、行きます。ひとりなんて、耐えられないです……」
「決まりですね」
言うが早いか、ミーシャの後を追うようにして、プヴァエティカも木々の奥へと分け入っていく。
慌てて靴を履き出したエリッサを置いて行かないようにしながら、チャイハネもシュムも、プヴァエティカの後を追った。
「まったく」
虫が飛び込んでこないように、口と鼻を覆いながら、チャイハネとシュムは先を急ぐ。一分も歩かないうちに、チャイハネたちは開けたところにたどり着いた。
この辺りも、元々は集落の一部だったのだろう。その証拠に、周辺を覆う植物は、成長の早いツタ植物だけである。足元に目を向ければ、地面は石畳に覆われていた。
チャイハネたちの前方には、ニフシェと、オリガと、ミーシャがいる。ニフシェは、地面に膝をつき、長剣を構えてオリガに対峙している。オリガもまた、ニフシェを見降ろしつつ、左手に握り締めた銃の照準を、ニフシェの額に向けていた。
追いついたエリッサが、小さく悲鳴を漏らす。ニフシェは右耳から血を流しており、オリガもだらりと下げた右腕から、血が流れていた。
そんなオリガとニフシェの間に立って、ミーシャは両者を仲裁している。右手に構えた剣で、ミーシャはニフシェの長剣を受け止めており、左手をオリガにかざし、銃口を塞いでいる。
オリガが斬られるか、ニフシェが撃たれるか――その刹那に、ミーシャが割って入ったのだろう。
「そこをどけ、ミーシャ」
小刻みな笑い声を漏らしながら、オリガが言う。
「キャー。」
「どかないって言うんなら、キミごと撃ち抜くぜ。同罪だ」
「ちょっと待って、タンマ」
眼鏡を外すと、対峙している二人の使徒騎士を前にして、チャイハネは言う。
「いったい何をやって……」
「おっと、近づくな」
歩み寄ろうとしたチャイハネを、オリガが制する。
「見て分かるだろ? あたしが今、体勢で優位なんだ。でなけりゃコイツ、お前を殺してた」
「ええ?」
「オリガ、その傷……」
チャイハネの後ろから、シュムが口を開く。
ニフシェが地面に膝をついている一方、オリガはニフシェを見下ろす位置で、銃を構えている。オリガの言うとおり、「体勢で優位」と言えば、優位なのかもしれない。
しかし、ニフシェよりもオリガの方が重傷なように、チャイハネには見えた。ニフシェは、顔の右半分が真っ赤に染まっているが、目を凝らしてみれば、単に血が飛び散っているだけで、受けている傷は大きくない。その一方で、オリガの右腕はだらりと垂れており、その下には血だまりができていた。
自分たちがやってくる前に、何があったのか。チャイハネは想像する。まず、オリガが発砲した。チャイハネたちが最初に聞いた銃声も、これだろう。
ニフシェの頭に風穴を開けるはずだった銃弾は、しかし、ニフシェの右の耳たぶを斬り取っただけだった。引金を引こうと指がきしむ音、又はオリガの呼吸を聞き分け、ニフシェは間一髪で銃撃をかわしたのだ。
と同時に、ニフシェは長剣を抜き放ち、銃を構えるために伸びていた、オリガの右腕のつけ根を刺し貫いた。チャイハネの見立てでは、オリガは肩を脱臼している。右腕を折りたたむことも、これ以上伸ばすことも、今のオリガには至難の業だろう。引金を引くことなど、もってのほかである。だからオリガは、右手から左手へと、銃を持ち替えている。
「それで? 何をやっているのです?」
チャイハネたちに代わって、プヴァエティカが尋ねる。
「内輪で殺し合いの真似事ですか? ちゃんばら遊びならば――」
「こいつは裏切り者です、臺下」
ニフシェを見据えながら、オリガが言った。ニフシェは何も答えない。
「裏切り者?」
「ええ。こいつの姉は、ニフリート・ダカラー。ペルガーリア星下の暗殺を企て、一年前にキラーイ火山の噴火口に落ちて焼け死んだ……」
言葉を切ると、一瞬だけオリガが眉をひそめた。血の雫が血だまりにはねる音が、チャイハネの耳に、やけに大きく聞こえる。
「しかし、ニフリートは生きている。生きていて、サリシュ=キントゥス帝国と結託し、この南大陸を脅かそうとしている。ニフシェは、ニフリートの妹。その急先鋒なんです」
「証拠は?」
「ありません。これは星旨。星下の意向です」
オリガの言葉に、チャイハネもシュムも、互いに顔を見合わせる。はっきりとした証拠がないにもかかわらず、「ペルガーリアの意思」ということだけで、オリガはニフシェを殺そうとしている。
「内輪の話は聞き飽きました」
プヴァエティカが言った。チャイハネも同意見だった。
「それで、オリガ? この後どうするんです?」
「決まってるでしょう」
オリガは露骨に嫌そうな顔をした。
「あたしらの話が内輪揉めだっていうんなら、いくら臺下でも、この殺生を止める筋合いはありませんよ」
「当然です。好きにしてください」
「プヴァエさん……?!」
様子を見守っていたエリッサが、プヴァエティカの言葉に、目を白黒させる。
「でも、それじゃ……」
「なるほど、これで分かりました。ペルジェが何を考えているのか」
エリッサの言葉をかき消すようにして、プヴァエティカが話を続ける。
「なぜ、あなたたちがクニカに同伴しないのか? 私はそれが不思議でした。でも、今ならば分かります。ペルガーリアとあなたは、ニフシェがクニカに接近することを怖れた。だから、クニカを単身でチカラアリに追いやってでも、ニフシェと引き離す必要があった」
「へへえ!」
珍しく嬉しそうに、オリガが言う。
「ご理解のとおりですよ、臺下。辛抱してみるもんだ」
「であれば、ニフシェを殺すのは惜しいことではないですか?」
「はい?」
「考えてもみてください」
オリガの脇を通り過ぎると、プヴァエティカは、手押しポンプの把手を押した。あふれ出る水を飲むと、プヴァエティカは話を続ける。
「サリシュ=キントゥス帝国と、ニフシェの姉は通じている。そしてニフシェは、その姉と通じている。とすると、ニフシェを経由して、私たちはニフシェの姉や、ひいては帝国の動向を掴めるかもしれない」
「ええ」
「ならば、ニフシェの魔法を封印して、生かしておくのはどうでしょう? もしかしたら、共感覚を利用して、向こうが正体を露見するかもしれない。あるいは、嫌疑が晴れるかもしれない」
プヴァエティカの意図を理解し、チャイハネはほくそ笑む。エリッサと同様に、プヴァエティカもまた、ニフシェが殺されることには反対なのだ。
「いや、しかしですね……」
プヴァエティカの提案に、オリガは困惑しているようだった。
「危険というもので――」
「それにですね、オリガ。もし、本当の裏切り者が、あなただとしたら?」
「何だって?」
「『ペルガーリアはニフシェを殺したがっている』とは、あなたが言ったことです。あなたの一方的な意見だけを信じるわけにはいきません。ニフシェの言い分を聞いてみたいものですね。あなただって、意見があって二人を止めたわけでしょう、ミーシャ?」
「キャー。」
ミーシャは黄色い声を上げる。オリガが煙たそうに目を細めた。
プヴァエティカの言うとおり、もし、ニフシェを殺すことがシャンタイアクティの巫皇、騎士たちの総意であるというのならば、ミーシャが二人を制止したことに理由はない。
プヴァエティカとニフシェに、オリガが代わるがわる目線を移していることに、チャイハネも気付いた。オリガは今、プヴァエティカが提案したことの妥当性と、ニフシェの潜在的な危険性と、ペルガーリアの命令に背くことの必要性を、天秤にかけているのだろう。
「フン。分かりました。いいでしょう」
とうとう、オリガが言った。その言い方は、渋々、といった感じだった。
「その代わり、コイツのために、トレーラーはまるまる一台使わせてもらいますよ。そこに監禁する」
「好きにしてください。あなたに任せます。異論はありますか?」
「キャー。」
これまでと同じように、ミーシャは黄色い声を上げる。
「……いいえ」
ぼそぼそとした声で、ニフシェは言った。
「ミーシャ、ニフシェから剣を預かれ」
銃をしまい、ミーシャから剣を受け取ると、オリガはニフシェを前に歩かせながら、トレーラーまで戻ろうとする。そのときを見計らって、チャイハネはオリガの傷口を眺めてみる。チャイハネの見立てどおり、傷は無視できない深さだった。
「オリガ、その傷――」
「かすり傷だよ」
チャイハネを一瞥もせずに、オリガはその場を離れていった。
「もう、何なんですか。あのオリガっていう人は」
「後で苦しむぜ」
腹を立てているシュムの隣で、チャイハネは言った。日が陰り、雲行きは怪しくなっていった。




