031_ファンナオ(πλανή)
――しかしあなたがたは、何事においても勝者となるであろう。
(『大いなるセツ第二の教え』、第32章)
「嘘だろ……」
クニカの頭上から、リンの声が聞こえる。
眼下に広がる光景を眺め、クニカも奥歯を噛みしめる。
サリシュ=キントゥスの脱走兵たちが作り上げた“カタコンベ”が、クニカたちの真下に広がっている。地下に隠されていたはずの”カタコンベ”は、今は地上にあらわになり、黒い煙を吐きながら、焼けただれていた。
ウルトラの市警軍に発見され、砲撃を受け、火を着けられたのだ。
「ニコルは?」
リンが声を震わせる。
「ニコルは……どうなったんだよ……?」
「リン、降りよう」
吹き寄せる黒い煙に、クニカは目を細める。
「探さないと、ニコルたちのこと!」
クニカの呼びかけに、リンは黙って高度を下げる。リンの目はずっと、燃え盛る一点に釘付けだった。クニカの記憶に間違いがなければ、その場所は、ニコルの馬小屋が隠されていた場所だ。
「クニカ、クニカ!」
地上に降り立つやいなや、クニカは呼び止められる。市警軍の兵士たちをかき分けて出てきたのは、チャイハネである。
「チャイ、来てたの?」
「出動要請さ」
チャイハネの着る白衣の裾は、煤けて黒ずんでいた。
「ここに、サリシュ=キントゥスの兵士たちが隠れてたんだ。初めは交渉するはずだったのに、いかれた奴が火を着けやがって――」
チャイハネが、言葉を切った。チャイハネの視線を追ったクニカは、その先に、立ちすくんでいるリンを見る。
「知ってたな?」
苦虫を噛み潰したような表情で、チャイハネが、リンとクニカをかわるがわる見つめる。
「ゴメン」
「何で言ってくれなかった」
「殺される、と思ったんだ」
クニカの代わりに、リンが青ざめた表情で答えた。
「あたしに? ハハ!」
チャイハネは眼鏡を外し、目元を腕でこする。うんざりしているときに、チャイハネがよくする仕草だった。
「人を生かすために、病院で働いてたつもりだったんだけどな」
「チャイ、ここにいた人たちは――」
「そうだ、そのことだ」
クニカの腕を掴むと、チャイハネは踵を返した。チャイハネに引っ張られ、クニカは先へ進む。
着いた先には、白い天幕が張られていた。天幕の下にはシートが敷かれており、何人かの看護婦が、負傷したサリシュ=キントゥスの脱走兵たちを手当てしていた。
サリシュ=キントゥスの人たちのうめき声に、クニカは顔をしかめる。頭から血を流している者、右半身が、やけどで真っ赤になってしまっている者。みな、クニカがよく知る人たちだった。
サリシュ=キントゥスの人びとの注目が、自分に集まったことを、クニカは感じ取る。あちこちを見回しながら、クニカはサリシュ=キントゥスの人々と目を合わせようとしたが、みなは慌ててクニカから目を反らす。
自分たちと関わりを持っていることが明るみに出たら、クニカだってどうなるか分からない。だから、素知らぬふりをしておこう――そんな気遣いを、クニカはサリシュ=キントゥスの人びとから感じ取った。それがクニカには堪える。
「こっちだ、クニカ……コイツだ」
天幕の一番奥に案内されたクニカは、息を呑む。一人の青年が、苦しそうにうめきながら、担架の上で身を悶えていた。切断された右腕が、青年の枕元にぶら下がっている。青年の顔は火傷で潰れており、左足は炎に包まれたためか、白く、灰のようになってしまっていた。
「ニコル……!」
青年の名前が、クニカの唇をついて出た。
「どうなってんだよ」
クニカの背後から、リンの声がする。
「火は、カタコンベの風下から着けられた。燃え広がった先にガソリンがあって、そこで炎が爆発した」
青年の右腕にあてがわれた包帯を、チャイハネは手際よく、新しいものに取り換える。
「煙突効果かな? とにかく、一気に燃え上がった。風上には馬小屋があって、彼はそこにいた」
目の前の青年がニコルだとは信じられず、クニカはニコルの右腕の断面を凝視してしまった。ニコルの右腕は、まるで果物か何かが半分にされてしまったかのように、鋭利に切り取られていた。
「生きてるだけで奇蹟みたいなもんだ」
ため息交じりに、チャイハネが言う。
「あたしの力じゃ、看取ってやることしかできない。クニカ、あたしの言いたいこと、分かるだろ?」
黙って頷くと、クニカは手を伸ばし、切り離されたニコルの右腕を取る。右腕を、元々あった場所に並べると、クニカは目を閉じ、これまでのニコルのことを――馬と戯れ、幸せそうだったニコルのことを、思い浮かべる。
「すごい――」
クニカの背中から、感嘆の声が響いた。瞼の裏が眩しく輝いていることを、クニカは感じ取る。クニカだけが、“竜”の魔法使いだけが発することのできる、“救済の光”だ。
目を開けた時にはもう、ニコルの右腕は元どおりになっていた。焼けただれた皮膚も、灰になりかけていた左足も、元に戻っていた。
「クニカ……?」
目を開けたクニカに対して、ニコルが声を掛ける。
「ニコル……」
「リンもか……」
元どおりになったばかりのニコルの右手を、リンが握り締める。
「良かった――」
「馬たちが……」
声を詰まらせながら、ニコルが言う。
「みんな……気立てのいい奴らだったんだぞ……どうして……」
「ニコル……」
「アンタだけでも生きてて良かったよ」
ニコルの首筋に、チャイハネは注射針を打う。
「今は忘れるんだ。眠った方がいい」
「そうだな……そうかもしれない……」
涙が頬からこぼれ落ちたときには、注射された睡眠剤の効果で、ニコルは眠りに就いていた。
「すごいな!」
クニカたちの後ろから、別の人物の声がする。使徒騎士のオリガがいた。オリガは、わざとらしく目を見開きながら、クニカたちへと近づいてくる。
「今ので、あたしも確信した」
一単語ずつはっきりと発音しながら、オリガが言う。
「怪我を一瞬で癒しちまうなんて! それも、敵の怪我まで! 何を考えているんだか。でも、それが救世主ってものだよ。衆生がためらうことさえやってのけてしまうのは、煩悩のない救世主だけだからさ」
「何が言いたいんだよ」
オリガの前に、リンが立ちはだかる。
リン、と、クニカは背後から声をかけようとしたが、リンの背中から殺気を感じ、は何も言うことができなかった。
「やめな、リン」
クニカに代わって、チャイハネがリンに言う。
「もういいだろ。これ以上けが人を増やして、いったい――」
「こいつらがここに隠れてるの、知ってたろ?」
チャイハネの言葉を遮るようにして、オリガが言った。「こいつら」と口にした時、オリガは横たわるサリシュ=キントゥスの人々を、顎で示した。
「そうだ」
リンが、拳を握ったり、ほどいたりする。
クニカは、汗が止まらなかった。
「それで? だとしたら、どうなんだ?」
「いや、別に? ただ……救世主に治してもらえるんなら、試し斬りのし甲斐があるな、って――」
クニカが止めようとするよりも、リンの拳がオリガに殺到する方が速かった。しかしそれ以上に、オリガが左腕を伸ばして、リンの拳を受け止める方が速い。リンの行動は、オリガに読まれていた。
「キレんなよ。落ち着けって」
半笑いを浮かべながら、オリガが言う。オリガとは対照的に、リンは歯を食いしばり、苦悶の表情を浮かべている。
オリガに受け止められたリンの拳は、関節まで真っ白になっている。拳を突き出そうにも、オリガの握力が強すぎるのだ。
オリガが、左腕を振りほどく。そのはずみで、リンは後ろに倒れそうになる。そんなリンを、クニカは後ろで支えてやる。
「よく考えろ。なっちゃいないだろ? どうして助ける? どうするんだ、こいつらが帝国と繋がってたら……」
「でも……ニコルはそんなことは……」
「クニカ」
うんざりした調子で、チャイハネが呟いた。クニカも自分の過ちに気付く。
「ニコルっていうのか、お前?」
眠りこけているニコルに、オリガは声を掛ける。
「いいな! ”救世主”に名前まで覚えられて。あたしだって、名前で呼んでもらいたいものだよ」
「いい加減にしろ!」
クニカから離れると、リンは再度、固く拳を握り締める――。
「やめなさい」
オリガに殴りかかろうと、リンが振りかぶったその時、天幕の入口から声がした。ウルトラの巫皇・プヴァエティカである。
「臺下?」
プヴァエティカの登場に、オリガが怪訝そうな表情を浮かべる。
「どうしてここに?」
「ウルトラは私の庭です」
プヴァエティカの言い方には、突き放すような響きがあった。
「庭で私が何をしていようが、私の勝手。違いますか?」
「いや、ぜんぜん?」
オリガは肩をすくめてみせる。
「それで、臺下。こいつらはどうするつもりです?」
「不問に処します」
「何だって?」
大声を上げてから、オリガはすぐに口元を腕でふさぎ、咳ばらいをした。
「なあ……ハハハ、」
黙って見守るクニカたちに目配せしつつ、オリガは笑い声を漏らす。
「感情のもつれがあることは認めるよ。あんただけじゃない。あたしにも非がある。悪かったよ。もっといい出会い方だってあった。一旦水に流そう。こいつらは殺すべきだ。感情論を抜きにしても――」
「感情論を抜きにするなら――」
プヴァエティカは、オリガの言葉を重ねながら言った。
「なおさら、ここの人たちは生かすべきです。そもそも、かれらはサリシュ=キントゥス軍の残党に過ぎない。基地は半年前にクニカが破壊しています。彼らにはもう、抵抗する術も、気力もないでしょう」
「話の分からないあんたじゃないはずだ」
低い声で、オリガが続ける。
「分かるだろ? 侵略してきた人間を殺さずに生かしている。それも巫皇が率先してやっている。周りの理解を、それで得られるのか?」
「それなら、大丈夫。とっておきの方法があります」
「何です?」
詰め寄って来たオリガを前に、プヴァエティカは人差し指を、唇の前にそっと持ってくる。
「それは言えません。言うことができません」
ペルガーリアとプヴァエティカとの会話を、クニカは思い出した。ペルガーリアは、プヴァエティカの質問に関し、一番大事な個所を答えなかった。プヴァエティカは今、それをオリガに仕返している。
「そういうことか」
オリガは鼻を鳴らした。
「世の中のためを思ってやっているっていうのに。そんなに、ペルジェのやり方が気に喰わないってか?」
「気に喰わなかったとして、それがこのことと、何の関係があるのです?」
「アッハッハー」
わざとらしく、オリガは笑ってみせる。オリガの“心の色”が、火のように真っ赤になるのを、クニカは見て取った。
「別に? ぜんぜん? 何の関係も?」
「どこへ行くのです?」
「煙草を吸いに、臺下。――私は、言うことができるんですよ」
オリガは天幕を抜け出し、どこかへと言ってしまった。
「アイツと一緒じゃなくて良かったよ」
オリガの姿が完全に見えなくなってから、リンが言う。
「我慢できないぞ、あんな奴!」
「リン、終わった話だ。キレんな」
肩で浅く息をつくリンを、チャイハネがなだめる。
「臺下、その、ありがとうございました」
プヴァエティカに対し、クニカは言う。
「あと……何も言えなくてごめんなさい」
「何の話です?」
「ええっと、宮殿の広間にいたときです」
クニカは言った。一番大切な部分で、ペルガーリアは口を閉ざしたが、もしクニカが問いただしていれば、ペルガーリアは真実を言ったかもしれない。
それに、ペルガーリアが何を気にしているのか、クニカは分かっていた。だからこそ、ペルガーリアに問いただす責任が、自分にはあったのではないか。クニカはそう考えていた。
「わたしがペルガーリアに訊いていれば、理由を教えてくれたのかも、って」
「過ぎたことです。忘れてください」
咳き込みながら、プヴァエティカが言う。
「ただ、エリッサには礼を言わなければ。私は、彼女に助けられました」
「そうなんですか?」
「ええ。あのままだったら、私はオリガに殺されていたかもしれない」
どう反応して良いか分からず、クニカは言葉に詰まる。
「冗談ではなくて、です」
冗談ですよね、とクニカが訊こうとした矢先に、プヴァエティカが言った。それ以上の説明はせずに、プヴァエティカは天幕を抜け出し、立ち去ってしまった。
「何もなければいいな」
クニカの隣に立つと、チャイハネは言った。その言い方は、半分はクニカに対しての言葉だったが、もう半分は、チャイハネが自分自身に言い聞かせているかのようだった。
「何もなければいい。本当に」
「うん……」
心臓の鼓動が激しくなっているのを感じながら、クニカは答えるしかなかった。




