003_ジュネとジュリ(Июнь и Июль)
背後から身体をまさぐられ、クニカは目を覚ます。腕は、クニカの身体を回り込み、シャツの下、へその辺りまで指が伸びている。
「リン、ちょっと」
くすぐったくなって、クニカは身をよじる。
「やめてって。……うげえっ?!」
クニカは声を上げた。へそをまさぐっていたはずの指が、いきなり突き出され、乳房をわしづかみにしたのである。
掛布団を翻すと、クニカはベッドから飛び出した。朝の陽射しに、室内は穏やかに照らされている。
時計は、四時半を指している。リンはすでに、仕事に出かけてしまっている時刻である。
「フフン。実績解除よ、クニカちゃん」
掛布団から、少女が姿を現した。銀色の長い髪に、赤い瞳を持った少女は、リンに似て色白だった。リンの従妹・ジュリである。
「どうしたん? 顔を真っ赤にしちゃって」
ベッドから這い出すと、ジュリはいたずらっぽい目つきで、クニカを見つめてくる。猫の魔法属性を持つジュリは、何かとクニカにちょっかいを出してくる。
「まさか、コーフンしちゃったんじゃ――」
「リンじゃなかったから、ビックリしたんだよ」
「フーン。ま、そういうことにしといてあげる」
そう言うと、ジュリはウィンクしてみせる。クニカはどきりとした。ネコ系統の魔法使いの仕草は、全体的につやっぽい。おまけにクニカは、転生する前は男性だった。そうした仕草を見せられると、どぎまぎしてしまうのだった。
「それはそうとして……」
自分が挙動不審になっているさまは、容易に想像がつく。だからクニカは、それをごまかすために、あえて自分から話を持ち出した。
「ジュリ、今日、いつもより早いよね?」
「何言ってんのよ、クニカちゃん!」
ジュリの目が吊り上がる。クニカはしまった、と思った。
ジュリも、リンも、キリクスタン国の北部・“チカラアリ”という地域の出身である。チカラアリ人は素直で、正直者で、嘘をつくのが苦手な反面、血の気が多く、せっかちな人ばかりだった。リンはもちろんだが、ジュリも、感情がはっきりしている。
「今日は、市場が開放される日じゃない」
「あ……」
「忘れてたんでしょ?」
ジュリに言い寄られ、クニカはたじたじになる。
クニカと、リンと、それから仲間たちが、“黒い雨”を逃れて、この西の都・ウルトラまで避難したのが、半年ほど前になる。それからは、クニカの助力もあって、ウルトラはまたたく間に復興した。
そんなウルトラを悩ませてきたのが、食糧難だった。ウルトラは漁業の街であり、魚はたくさんあるが、穀物や畜産物がない。
しかし、つい一週間ほど前に、西の都・ウルトラと、南の都・ビスマーをつなぐ交通網が復旧した。南の都・ビスマーは、高地にあるため、“黒い雨”がほとんど降らず、復興が早かった。今日は、ビスマーから運び込まれた野菜や果実、肉などが、ウルトラの市場に並ぶ日だった。
「クニカきゅん、」
クニカの目の前に、ジュリが立つ。
「クニカ“きゅん”?」
この世界に転移する前、幼稚園の年中さんくらいだった時に、クニカは幼稚園の先生から“クニカちゃん”と呼ばれたことはある。“きゅん”付けで呼ばれたのは、今日が初めてだった。
後ずさろうとしたクニカだったが、靴のかかとが、壁に当たる。ジュリはじわじわと、距離を詰めていた。
「あのね、クニカきゅん。あたしね、そーゆーボンヤリしてるとこ、ダメだと思うんよ」
「えっと、その、うぶうっ?!」
たじろいでいるクニカの頬を、ジュリは両手で押さえつける。
「あっぷあっぷ、」
「ダメよ、目ェ逸らしちゃ。ちゃんと人の目を見て話さないと、伝わるはずのものも伝わんないでしょ」
「うぶぶっ。ぷはあっ?!」
ジュリの手を、クニカは払いのける。
「えっと、ジュリ」
「フフン」
「あの、ちち、近いよね、わたしたち?」
すでにジュリは、クニカの目と鼻の先にいる。助けを呼ぶ相手はいない。
「それで?」
「だから、その……そ、そこを、そこを通してくださいッ!」
「ダメよ」
即答だった。
ちなみにクニカは、ちゃんとジュリの目を見て言った。
ジュリが手を伸ばすと、壁に手を付いた。壁がドン! と音を立てる。
「フフン。クニカきゅん。これからあたしが、手取り足取り、クニカきゅんにいろんなことを――」
ジュリが言いかけた、そのときだった。
「おおい! いつまで寝てんだあ?!」
一階から、大声とともに、金物が打ち鳴らされる音が響いてきた。
「起きようぜ? 起きようぜ! 朝飯だ! 朝飯! 朝飯が呼んでるぜ! 朝飯待ってるぜ! わんわんわんわんわん――!」
「フゥウウウーッ!」
一階からの大音量に、ジュリが猫のようなうなり声をあげる。
「朝からうっさいんだから! あっ、クニカちゃん?!」
そっとジュリの脇を通り抜けると、クニカは階段まで、一目散に駆け出した。
「ジュリ、また後でね!」
「いいところだったのに!」
何が「いいところ」なのか分からなかったが、とにかくクニカは、ジュリから逃れることができた。
階段を降りた先には、ジュネがいる。