029_秘密主義者(Секретарь)
チカラアリの奪還。ペルガーリアの言葉に、周囲は息を呑む。
「チカラアリ巫皇の後継者を支援して、サリシュを正面から叩く。と同時に、ウルトラ巫皇とビスマー巫皇はシャンタイアクティに入り、結界を張るための準備を進める」
ペルガーリアが説明する。
「内陸を通れば、シャンタイアクティまでは安全だ。危険はコイクォイ程度だ」
コイクォイ“程度”というペルガーリアの言い方が、クニカには新鮮だった。ウルトラへ避難するまでの旅の途中で、クニカたちはどれだけ、コイクォイに脅かされたことだろう。
「だから、ウルトラを発つ隊は、二つに分かれることになる。クニカ」
ペルガーリアはクニカに呼びかける。
「はい」
「キミには、チカラアリへ向かってほしい。それで、チカラアリ巫皇の後継者を支援する――」
「待ってくれ」
リンが声を上げる。
「あ、オレはリン、っていうんだけど」
一同の視線が、一気に押し寄せたために、リンは怯んだようだった。しかし、すぐに持ち直して、リンは続ける。
「チカラアリは最前線なんだろ? いくらクニカが“竜の娘”だからって、前線に駆り出すのは、その……」
「ハハハ。クニカに優しいんだな」
「いや、オレは……」
リンの顔が、たちどころに赤くなる。
「オレは……別に……」
「心配要らない。クニカに戦ってもらおうなんて、こちらも思っちゃいない。クニカには向こうのレジスタンスに合流してもらう。それだけで価値がある。キミだって分かるだろう?」
「オレが?」
「そうさ。キミ、クニカとは相当親しいな? クニカと一緒にいて、キミ自身も変化したはずだ。魔法の調子はどうだ?」
ペルガーリアの言い方は、意味深な響きを帯びていたが、クニカには思い当たる節があった。
「そう言われると」
リンも同じようだった。
「クニカと一緒になってから、魔法を使っても、くたびれなくなったな」
「それだよ」
ペルガーリアが、指を鳴らす。
「魔法使い同士が近くにいることで、“霊化”が起きる。互いの魔法に共鳴して、その霊験に感化される。リン、キミはクニカと一緒にいることで、魔力が増幅した。今のキミなら、訓練すれば、北の大陸まで飛び続けることだってできる」
リンと出会ったばかりの頃を、クニカは思い出す。“鷹”の魔法属性であるリンは、背中から鷹の翼を生やすことができた。その頃のリンは、翼を生やすだけで脂汗を掻いていたし、長く飛ぶことなど、もってのほかだった。
しかし今のリンは、ウルトラ市中を飛び回っても平気だ。出会った頃に比べれば、リンは格段に魔法に習熟していた。ただ、クニカはずっと、それが「リンが飛ぶことに慣れたからだ」と思い込んでいた。まさか、自分といることによって発生する効果だとは、クニカは思ってもみなかった。
「ウチらが騎士団を構成して、魔法使いの子女を集めるのは、“霊化”をねらう意味もある。魔力の絶対量の多寡にかかわらず、“霊化”はどんな魔法使いにも良い影響を与える。戦う必要はない。レジスタンスと合流する。それだけでいい。クニカの安全は、こちらの騎士が保障する」
「はい、ペルジェ」
ペルガーリアの言葉を承けて、ニフシェが言った。
「私と、ミーシャに任せてください」
「いや……そのことなんだが、ニフシェ。キミとミーシャ、それからオリガには、プヴァエとエリーの護衛を頼みたい」
「え?」
ニフシェが訊き返した。
「護衛ですか?」
「そうだ。とんぼ返りになってしまって、すまない」
「ちょっと待ってくれ」
リンが再び口を差し挟む。
「だれがクニカを守るんだよ?」
「シャンタイアクティから、二人の使徒騎士を派遣する。ここにいる使徒騎士でも遜色ないが、念には念を入れて、クニカはオレの“両腕”で守る」
「――いいですか、ペルジェ?」
黙って話を聞き続けていたプヴァエティカが、おもむろに口を開いた。
「聞こう、プヴァエ」
「サリシュ=キントゥスの軍隊が侵攻している、その最前線がチカラアリ。そういうことですね?」
「そうだ」
「チカラアリには、クニカを送りたい、と」
「そのとおりだ」
「クニカは“竜”の魔法使いだけれど、戦闘員ではない。だから、少なくともクニカに負かされないレベルの使徒騎士を護衛につける、と」
「まぁ、そうなるわな」
オリガが、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「しかし、こちらにいる使徒騎士は、誰もクニカの護衛につかない」
「大丈夫だ。チカラアリに行っても、クニカは安全だ」
ペルガーリアからは見えない位置で、チャイハネがわざとらしく舌を出していた。
うろん気な様子で、プヴァエティカが首筋を指で引っかく。
「安全ですか?」
「そうだ。くり返しになるが、クニカに全く護衛をつけないわけじゃない」
“くり返しになるが、”というフレーズを、ペルガーリアは特に強調した。
「既にチカラアリには、もう二人使徒騎士を送り込んでいる。強さは折り紙付きだ」
「そうですか。ところで、ウルトラに来てもらったお三方も、指折りの使徒騎士の方ではなかったですか」
「そうだ」
「はじめは二人だったのを、わざわざ筆頭まで付け足して、はるばるウルトラまでやって来ている」
「そうなるな」
「その目的は、『“竜の魔法使い”を見極める』ため――」
「間違いない」
「にもかかわらず、三人とも、クニカを置いて帰ってしまうのですか?」
「差し出がましいようですが、臺下」
ペルガーリアに代わって、オリガが言った。
「私たちは星下の藩屛であり、何よりもまず、星下を中心に物事を考えなければならないんです。そりゃもちろん、クニカも大切ですけれど、クニカは巫皇ではないですからね――」
話している間にも、オリガは次第に早口になっていく。
オリガの言うことは、そのとおりかもしれない。しかし、少なくともこの場で話すことではなかった上、ペルガーリアの形勢を悪くするような内容だった。自分の言っていることが悪手だったことに、オリガ自身も、途中で気付いたのだろう。だから早口になったのだろうが、そのくらいならば、途中で黙ってしまった方がマシなように、クニカには思えた。
クニカはそっと、オリガの同僚であるはずのニフシェを見つめる。ニフシェは唇を引き結んでいた。口に出してこそ言わないが、オリガの発言が面白くないのだろう。
「私が言いたいのはつまり――」
「事情が変わったんだ」
取り繕おうとしているオリガを遮り、ペルガーリアが答える。
「事情とは?」
「事情は事情だ。それ以上は言えない」
面白くなさそうな調子で、ペルガーリアは視線を落とした。
このとき、どういうわけかクニカの心の中に、“鉛色の光”を帯びた、あの少女の影像がよみがえってきた。ペルガーリアは、その少女の行方を、執拗なまでに気にしているようだった。
ただ、それを言い出すことははばかられるように、クニカは感じた。その話は、「クニカがチカラアリに向かうこと」とは、直接関係がないからだ。それ以上に、この話をした途端、繊細な何かが一気に崩れ、もう二度と元に戻すことができなくなるように、クニカには思えた。
「それ以上は、言うことができない」
クニカの気付きを裏付けるかのように、ペルガーリアが言った。
座ったまま、プヴァエティカが足を組み直す。
「なるほど。言えない事情について、私たちは信頼しなければならない。簡単なことですね」
「そうだ。簡単だろう?」
「フフフ」
プヴァエティカは腕を組むと、わざとらしく肩をすくめて笑ってみせた。しかしクニカは、プヴァエティカの“心の色”が、瞬時に真っ赤になったのを見てしまった。
プヴァエティカは、何度も問いを重ねることで、ペルガーリアの言っていることが無謀で、荒唐無稽であるのかを示したかったのだろう。しかしペルガーリアは、プヴァエティカの問いを全て肯定した。無謀で、荒唐無稽に見える計画に、ペルガーリアはこだわっている。
だからペルガーリアは、プヴァエティカの質問に素早く回答を行い、余計なことは言わなかった。質問には最低限しか答えない、しかし、自分の言っていることは信じろ、自分の答えは絶対だ。それがペルガーリアの態度だった。
「エリー、どうしましょう?」
固唾を呑んで様子を見守っているエリッサに、プヴァエティカは尋ねた。
「ペルジェの言葉を、信じますか? あなたの意見を聞かせてください。私には難しすぎる――」
「ええっと、その……」
目線をせわしなく上下させながら、エリッサは答えようとする。プヴァエティカの言葉の裏に、ペルガーリアに対する皮肉が込められていることに、エリッサは気付いていないようだった。
「わたし、小さいとき、『巫皇はみんなを幸福に導く、導きの星だ』って習いました。だから、ペルガーリア星下を信じることで、それがみんなの幸せにつながるのならば、やっぱり、信じるべきなんじゃないかなって、そう思います……」
そう言うと、エリッサは俯いてしまった。
広間全体が、静けさに包まれる。
「そうですか。ならば、信じましょう」
ややあってから、プヴァエティカが答えた。プヴァエティカの回答を待つまでの間、クニカは、永遠とも思えるくらい長い時間が過ぎ去ってしまったかのような気がした。
「ビスマーの巫皇と、意見に相違はありません。私たちの心はひとつです」
「ありがとう、ありがとう」
プヴァエティカの質問に、ペルガーリアは言った。
「その心、確かに預かった。シャンタイアクティの巫皇として、恩に着る」
「話は決まりですね」
首をがくりと垂れると、ミーシャは床に身を投げ出した。ペルガーリアのチャネリングが切れたのだ。すかさず駆け寄ると、ニフシェがミーシャの身体を抱きかかえる。
そのときにはもう、プヴァエティカはソーニャを引き連れ、広間を出て行くところだった。




