028_東の巫皇(Дева Восточного)
――父は、生命をうけた者たちに、私を通じて、その生命を開示するのである。
(『ペトロの黙示録』、第2章)
今度こそ、クニカの番だった。
右手に力を込め、クニカは「白い稲妻」を握り締める。振りかぶると、クニカはそれを、オリガに投げつける。
至近距離にいたせいで、今回はオリガも避けられなかった。稲妻の直撃を受け、オリガの身体が、反転した世界から浮き上がる。オリガはそのまま、クニカの視界を垂直に落下し、すり鉢状にくぼんだ所へ叩きつけられた。
“地面の浮力”に支えられ、クニカの身体は、自然と地上まで持ち上がる。降ってきた土埃に気付き、クニカは天井を見る。
クニカもようやく、状況を理解する。稲妻を喰らい、地中からふっ飛ばされ、オリガは天井に叩きつけられていた。
「オリガ!」
天井にめり込んでいたオリガが、そのまま床へ落下する。床に叩きつけられる直前に、オリガの身体は抱きとめられる。抱きとめたのは、使徒騎士のひとり・ニフシェだった。
「すごいじゃん、クニカ!」
「チャイ?」
クニカは振り向く。両手の拳を突き出しながら、チャイハネが近づいてきた。クニカが、オリガから対戦を申し込まれた後に、チャイハネは病院から呼び出されたのだろう。
「な、役に立ったろ? 『あたしの考えた最強の“竜の娘”』が? いいモノ観れたよ」
「来てたんだ、チャイ」
「おい、クニカ!」
声に振り返ろうとした矢先、クニカは背後から抱きしめられる。リンだった。
「リン?」
「よくやったぞ、クニカ!」
まくし立てるようにして、リンが言う。興奮しているのか、リンの鼻息がうなじにかかる。
「リン、くすぐったいって」
「胸がスカッとしたよ。偉いぞクニカ、胸を張れよ! ちゃんとシャンタイアクティ人を懲らしめたんだから」
“ディエーツキイ・サート”で、チカラアリのちびっ子たちに読み聞かせた絵本、『正義のチカラアリ人とにっくきシャンタイアクティ人』を思い出し、クニカは苦笑いする。
「クニカ、良かったです!」
エリッサも、クニカのところまで駆け寄ってきた。
「刺されたときは、どうなるかと思いました……」
「ごめんね。びっくりさせちゃって」
「えっと、オリガさんは大丈夫です?」
エリッサに促され、クニカたちは、シャンタイアクティの一行に目を向ける。
「オリガ、しっかり」
目を閉じたままのオリガに、ニフシェは腕を貸している。隣では、ミーシャがカイと手をつないだまま、二人を見守っていた。
「オリガ」
クニカたちの見つめる前で、オリガが唐突に目を開いた。目を開けるやいなや、ニフシェの手を払いのけるようにして立ち上がると、オリガはクニカの正面に向き直る。
「オリガ、大丈夫――」
「しつこいな!」
ニフシェの声をかき消すほどの語気で、オリガが言う。と同時に、クニカはオリガの“心の色”が、瞬間的に真っ赤に光るのを見て取った。
オリガは、ニフシェのことを嫌っている。クニカたちがそのことを確信したのは、だいぶ後になってからだった。
首を左右に傾げ、オリガは身体をよじる。その動作に伴い、関節の鳴る音が、オリガの首と背中から聞こえてくる。稲妻をまともに浴びて、オリガも堪えたのだろう。
皆が見守る中、オリガは右手の人差し指をクニカに向ける。
「――どうです?」
オリガが何かを言い出そうとした矢先、広間のドアが開け放たれ、プヴァエティカが入ってきた。
ここに来てようやく、広間の外、ウルトラ市全体が、夜のように暗くなっていることに、クニカは気付いた。雨雲が、ウルトラ市を覆っていた。“黒い雨”が降ってこないのは、プヴァエティカが結界を張り終えたからだ。
プヴァエティカが入ってきたことで、オリガは口を開くきっかけを失ってしまったようだった。腕を組むと、オリガはニフシェとミーシャの後ろまで引き下がり、そっぽを向いてしまった。
「何かありましたか?」
「いえ、何も」
そっぽを向いたまま、オリガがプヴァエティカに答える。
「『何も』って」
クニカの隣で、リンが鼻を鳴らす。
「クニカは、ボクたちの予想以上です」
オリガに代わって、ニフシェが答える。
「そうですか」
プヴァエティカが言った矢先、天井がきしみ、土埃が降り注いだ。ドームの天井にはひびが入っており、目を凝らしてみれば、人の形――に見えなくもない。
「経緯は、後でソーニャから聞くことにします」
籐製の椅子に、プヴァエティカは腰を下ろす。
「ドームの修繕費を誰宛てにするかも。いずれにしても、クニカが“竜の娘”であることは、当人が証を立てたようですね? 何のために“シャンティの乙女”からやってきたのか。そろそろ、あなた方が理由を明らかにすべきときではないですか?」
「ミーシャ」
背後にいたミーシャに、ニフシェが声を掛ける。一同の前に進み出ると、ミーシャは背負っていた背嚢から、何かを取り出した。
それが何であるのか、クニカが確かめるより前に、ミーシャはそれに、息を吹きかける。それは床に張り付いて、緑色の光を放ちはじめる。魔法陣だった。
魔法陣の中央に、ミーシャが身体をすべり込ませる。次の瞬間、ミーシャはがくりとうなだれ、動かなくなる。
「ど、どうしたんです?!」
「チャネリングだ」
エリッサの上ずった声に対して、チャイハネが答える。
「誰かが、ミーシャを媒介にして、共感覚を送ってる」
「ご明察だ」
ミーシャの位置から、声が聞こえた。その声は、男性のように低い。息を呑む声が、クニカの周囲から上がる。
しかしクニカは、声に聞き覚えがあった。エリッサと出会ってすぐの白昼夢で、クニカが出会った、緑の長髪を持つ女性――ペルガーリアの声だ。
「オリガ、いるんだろう?」
胡坐を掻くと、“ミーシャ”は顔を上げ、オリガに呼びかける。うやうやしく、オリガは“ミーシャ”の脇にひざまずいた。
「ここに、“星下”」
「オレが誰なのかを、紹介してやってくれ」
「ミーシャの身体を駆って話されているのは、シャンタイアクティの六百九十九代巫皇、ペルガーリア・トレ=シャンタイアクティ星下です。ここにいる使徒騎士一同・オリガ、ニフシェ、それからミーシャは、西の巫皇・プヴァエティカ・トレ=ウルトラ臺下に拝謁し、かつ、“竜の娘”であるクニカ・カゴハラ様に見えるため、西の都・ウルトラまで参った次第です」
オリガは、クニカを手で示す。クニカを見ると、”ミーシャ”は肩をすくめ、ウインクしてみせる。その仕草は、まさしくペルガーリアの仕草だった。
ぎこちなくお辞儀をしながら、クニカは、朝に見た夢を思い出す。ペルガーリアこそが、シャンタイアクティの巫皇だったのだ。
「ありがとう、オリガ。とまあ、こんなわけだ。電話でもできれば良かったけれど、今はどこも通信がやられちまってるからな。回りくどいけれど、星使を派遣する、昔ながらのやり方を採用した」
「久しぶりですね、ペルジェ」
頬杖をついた姿勢で、プヴァエティカが言う。
「三年ぶりでしょうか? まだ、私が巫皇に就任する前で、あなたはそれを見届けてから、シャンタイアクティに戻って使徒騎士に昇叙された。お変わりないようですね。声だけですが」
「おかげさまで。ただ、あなたは」
ペルガーリアは何かを言いかけたが、結局、言うのを諦めたようだった。
「それにしても、ずいぶんとたくさん集まってるな。照れるな。そちらさんは?」
「は、ははは。ははははは」
プヴァエティカの隣で、エリッサが汗だくになっている。
「は、は、初めまして! わ、わたし、わたしは――」
「ハハハ、お初に。エリッサ・トレ=ビスマー猊下。マダム・ルーチェから話は聞いてるよ」
「え……ルーチェ先生から?」
「そうさ。あのヒトも元・シャンタイアクティの騎士なんだ。オレも頭が上がんないんだ」
そう言いながら、ペルガーリアは無邪気に笑ってみせる。今までの話は、他愛のない話だったが、ペルガーリアの声は大きく、声音が低いために、クニカは自然と、ペルガーリアの話に聞き入ってしまっていた。
「えへん、えへん」
オリガが、わざとらしく咳払いをする。
「星下、本題に入られては」
「ああ。帝国の話は、もう知ってるな?」
帝国――。その言葉を聞き、クニカはエリッサと顔を見合わせる。
北の大陸を領土に持つサリシュ=キントゥス帝国が、クニカたちのいる南の大陸・キリクスタン国に攻めこんでいる。クニカもエリッサも、ついさっき、プヴァエティカから聞いたばかりである。
「聞きました。この大陸に攻め込んでいる、って!」
エリッサが答える。
「そう。残念ながら事実だ。初めに降った“黒い雨”と同時に、奴らはやってきた。まずチカラアリが掌握されて、それから東、西に進軍を開始している。どっちも抑え込めているが、いつまで保つか分からない」
「それで、どうするつもりです?」
今度はプヴァエティカが言う。
「懸念は三つある。ひとつは、帝国軍の進撃。ひとつは、この“黒い雨”。あとひとつが、チカラアリ巫皇の不在だ」
ペルガーリアは続ける。
「だが、三つの懸念は、一本筋が通せる。チカラアリの巫皇が立てば、東西南北、四地域の巫皇が揃う。そうすれば、“黒い雨”を封印するための結界が張れる。あとは“聖戦”だ。体勢さえ整えられれば、勝機はある」
「黒い雨を封印する」、その言葉に、クニカの胸は高鳴った。もし、それができるのならば、南大陸の現状はひっくり返る。
「そのためには、まずチカラアリを解放しなければならない――」
「なぜです?」
ペルガーリアの言葉を、プヴァエティカが遮る。
「チカラアリを解放しなくとも、チカラアリの巫皇ならば、シャンタイアクティ巫皇の権能で立てられるはずではないですか? 『チカラアリの巫皇が後継者を指名せずに没したときは、シャンタイアクティの巫皇がその任を負う』、ゼラブランカ公会議協約の、第十一条です」
「ちょっと……」
クニカの隣で、リンがめずらしく、弱気そうに呟いた。
リンの呟きを聞いて、クニカもはっとなる。チカラアリは、リンの生まれ故郷だ。生き延びるためにウルトラまでやってきたリンだが、故郷のことは、リンの心にずっとあったのだろう。
「チカラアリを解放する」、そんなペルガーリアの言葉は、「黒い雨を封印する」という言葉と同じくらい、リンの胸には響いたはずだ。プヴァエティカの応答は、そんなリンの心情を蔑するものだった。
「ずいぶん厳しいことを言うな」
口笛を吹くと、ペルガーリアは腕を組んで、覗き込むようなしぐさをする。その視線は、リンに向けられていた。
「奴さん、可哀そうだとは思わないのか?」
「オレは……別に……」
「ただな、先代のチカラアリ巫皇は、後継者を指名している。それで、その後継者は生きている」
「どこにいるのです?」
「チカラアリさ。レジスタンスを組織して、帝国軍と戦ってる」
「死ぬのを待つのが得策では?」
「そうは思わないな」
ペルガーリアは答えたが、答えるまでには、やや間が開いた。
そもそも、ペルガーリアが答えるまでの間、広間は水を打ったように静まり返っていた。
「あ、あの……!」
クニカは言いかける。重苦しい空気と、プヴァエティカの物言いを和らげたいと考えたためだった。しかしクニカは、そのときになって、プヴァエティカの“心の色”が青色を湛えているのを見てしまった。
「どうしました、クニカ?」
「何でもないです」
プヴァエティカに尋ねられ、クニカは先が続けられなくなる。プヴァエティカの言うことは、冷たいことばかりだった。ただ、プヴァエティカの言うとおりにすれば、被害は最小限で済むかもしれない。あくまで為政者として、プヴァエティカは最善にこだわっているのだ。プヴァエティカの心の色から、クニカはそれに気づいた。
「アンタの言ってることは、リーダーとしては正しい」
ペルガーリアが言う。
「ただ、ウチらは指導者であるより前に、まず巫女だ。人に希望を与えなければならない。綺麗事であったにせよ」
「そうですね」
長い金髪を、プヴァエティカは手で梳く。
「それは、あなたの言うとおりです」
「ええっと、そうしたら?」
ペルガーリアとプヴァエティカをかわるがわる見つめながら、エリッサが言った。
「そうしたら、どうなるんです……?」
「チカラアリの奪還さ」
ペルガーリアが言った。




