027_ぼくのかんがえたさいきょうの救世主(синдром второго года средней школы)
「チャレンジ失敗だよ」
大瑠璃宮殿の広間にやってきたチャイハネは、あくびをかみ殺しながら、シュムに言った。
ウルトラ市中央病院で、午前中の医療事務の手伝いを済ませた後、そのまま午睡に入ろうとしていたチャイハネは、いきなりシュムに呼び出され、ここまで来る羽目になった。「チャレンジ失敗」とは、チャイハネが挑戦している「四時間睡眠チャレンジ」である。
「せっかくいい感じでサイクルができつつあったんだけどね? この代償は高くつくよ」
「そんなこと言ってる場合ですか、チャイ!」
タバコを咥えたチャイハネに対して、シュムがめずらしくすごんでみせる。
「見てください」
今、広間の中央には、クニカが立っている。対面には、赤髪の少女がいる。少女は背中に長剣を背負っている。使徒騎士で、オリガというらしい。
クニカの後方には、籐製の椅子が二脚ある。ひとつは空席だった。ウルトラの巫皇・プヴァエティカが座るためのものだろうが、“黒い雨”が市中に迫っているため、結界を張る目的で、中座しているのだろう。
隣の椅子には、白い長布に身を包んだ、褐色肌の少女が、緑の瞳を震わせながら、クニカに視線を送っている。あれが、ビスマーの新しい巫皇・エリッサだろう。
(あの子が……)
エリッサのことを見ながら、チャイハネは靴の裏でマッチをこすり、タバコに火を着ける。エリッサは、どことなくクニカに似ているように、チャイハネには見えた。
広間の円周上には、ほかにも人がいる。チャイハネの真向かいには、リンとカイがいる。リンは腕を組んており、カイは頭に魚籠を乗せ、身体を左右に揺らしている。
オリガの背後にも、二人の人物が控えている。二人とも長剣を背負っているから、シャンタイアクティの騎士だろう。
「あの二人は?」
「背の高い方がニフシェ、もうひとりがミーシャです」
「キャー。」
シュムの言葉に呼応するかのように、ミーシャが声を上げる。ミーシャの声はかん高く、チャイハネたちのいるところまで聞こえてきた。
「あの子、あたしらより年下だよね?」
「たぶん……」
「それで使徒騎士か」
チャイハネは感心した。
「えへん、えへん」
クニカとオリガの、ちょうど真ん中にいた侍女が、わざとらしく咳ばらいをする。侍従団長のソーニャである。
「ええっと、皆さまご存じのとおり、臺下は結界を張るべくこの場を離れておりますが、『進行については私に』というお言葉であったため、僭越ですが、進めてまいります」
クニカとオリガに、かわるがわる視線を送りながら、ソーニャが言った。
「ええ……『クニカ様が“竜”の魔法使いであるかどうか、それを確かめたい』ということが、この会の趣旨と理解しております。よろしいですね、お二方?」
「は、はい」
「確かめようは、いくらでもある」
クニカの言葉に被せるようにして、オリガが言った。
「北大陸の偽典では、大いなるセツは『山に命じて、海に飛び込ませることだってできる』と言っているそうだ。それを実践してもらってもいいけれど……。ま、戦った方が早い」
「しかし……」
言いにくそうにしながら、ソーニャが口を開いた。
「そちらは騎士のお歴々で、戦うことは朝飯前かもしれませんが、クニカ様は民間人で、まあ、その、ボンヤリしているというか、飽くまで私見ですけれど、そもそも、丸腰ですし――」
「それは大丈夫」
オリガは肩をすくめる。
「救世主を斬りに来たわけじゃない。飽くまでシャンタイアクティ巫皇の星命に従って、『カゴハラ・クニカが“竜”の魔法使い』かを確かめたいだけ。ハンデは当然ある」
そう言うと、オリガは腕を伸ばし、背負っている長剣の柄に触れる。
「あたしの一太刀を、かわすなり、防御するなりして、とにかく凌いだら、カゴハラ・クニカの勝ち。自慢じゃないけれど、騎士の一太刀に応えられる民間人はいない」
「大丈夫ですか、クニカ様?」
「う、うん」
ソーニャの言葉に、クニカは頷く。オリガがにやりと笑った。
「まずいですよ、チャイ!」
チャイハネの腕に、シュムがしがみつく。
「クニカが、真っ二つにされてしまいます!」
「心配いらないって」
タバコの煙を吐きながら、チャイハネが言った。
「でも、相手は使徒騎士です」
「使徒騎士“だから”だよ、シュム」
シャンタイアクティの騎士たちは、超常的な魔法を使いこなすことができる。剣術も、知識も、一般人では歯が立たない。
クニカに戦闘技術がないことくらい、オリガは見切っている。だから、戦闘の最中に、クニカがどんな魔法を使うのか。オリガの関心はそこにある。おそらくオリガは剣を振るうだろうが、しょせんは演技だろうである。髪の毛一本のすき間で剣を止めることくらい、使徒騎士には、鉛筆を振り回すよりも簡単なはずだからだ。
(それにね、シュム)
隣で心配そうにしている相方に向かって、チャイハネは心の中で呼びかける。
(実はね、クニカには、ちょいとばかり、仕込みをしてある)
「えへん。分かりました。ではもう、あえて止めはしません」
〈――発達した雨雲が、ウルトラに近付いています〉
ソーニャの咳払いの後に、ウルトラの市中放送が流れた。市中放送は、広間をこだまし、アナウンスの音声は、高く低く、音のうねりを作った。
「それでは――始め!」
「面白いものを見せてやるよ――」
開始の合図とともに、ソーニャが後ろへ引いたのを見届けると、オリガはニヤリと笑って、右手を頭上に掲げる。
「見てろ――」
オリガが、右手の拳を握り締めた。その途端、オリガの手の中から稲妻がほとばしり、白い雷光が、束のように集められていく。
「あれは……!」
「“天雷”だ」
チャイハネは言った。使徒騎士の中でも、高位にある者しか使うことができない奥義のひとつである。発動に隙がなく、標的を貫通するほどの威力にもかかわらず、魔力を消費しない。
本で読んだことはあるが、”天雷”の現物を見るのは、チャイハネも初めてだった。オリガの大げさな動作は、クニカに対する手加減だろう。
白い雷光の束を、オリガは床に投げつける。“天雷”は床に弾け、広間に拡散し、チャイハネたち観戦者の視界を奪う。
「痛った――」
眼鏡を外すと、チャイハネは固く目をつぶり、左手をまぶたの上に重ねる。梟の魔法属性であるチャイハネは、目を刺すような陽射しが苦手である。それが、白昼に見せられる稲光となれば、なおさらだった。
チャイハネが目を開けたときにはもう、オリガは弧を描くようにして、クニカに接近を試みているところだった。右手を伸ばすと、オリガは長剣の柄を握り締める。
その瞬間、オリガの姿が、蒸気に当てられたかのように揺らぎ、消えた。チャイハネが、再びオリガの姿を捉えたときには、オリガはクニカに肉薄しており、クニカの頭上高くから、剣を振りかざそうとしているところだった。
◇◇◇
クニカが非戦闘員であること。使徒騎士のオリガにとって、そんなことは一目瞭然だった。
だからオリガは、騎士としての強さは誇示しつつも、わざとらしく悠長に、クニカに接近したつもりだった。一撃必殺の奥義・“天雷”を床に撃ち込んだのも、あえて弧を描くようにクニカに接近したのも、クニカに時間を与えるためだった。
ただ、それではオリガも面白くない。そこでオリガは、目にも止まらぬ速さで剣戟を繰り出し、斬撃により発生した真空にみずからを滑り込ませ、クニカの頭上まで跳躍したのである。騎士ならば誰しもが用いるテクニックで、訓練を積んでいない者の目には、瞬間移動をしたように見える。
それでもオリガは、クニカに時間を与えるため、かなりの高さまで飛び上がってみせた。しかしクニカは、頭上に現れたオリガを目の前にしておきながら、微動だにしていない。”恐怖のあまり目をつぶる”といった仕草もない。
(ダイジョウブかな、この子)
オリガは心配になる。今のところオリガは、相当に手加減をしている。本来のオリガなら、最初の“天雷”で勝負を決めただろうし、一気に距離を詰め、クニカを斬ることだってできる。それらを敢えてしないのは、クニカがどの程度、自分の動きに反応できるのかを見極めたかったからだ。しかし、ここまで無反応だと、のれんに腕押しもいいところだった。
クニカは、オリガの想像以上にどんくさいのか――あるいは、オリガの実力を見抜いた上で、平然としているのか。
「もしもし、本気だよ?」
長剣を振りかぶり、滞空した状態で、オリガは尋ねる。
「斬っちゃうよ?」
「ど、どうぞ」
オリガの言葉に、緊張したような面持ちで、クニカは答えた。
そうか、それなら、と、オリガは長剣を振り下ろす。もちろん、本気で斬るつもりなど、オリガにはない。だから、オリガは剣の先端が、クニカの服の表面をほつれさせる程度の距離を保つつもりだった。
ところが、クニカがそれを許さなかった。あろうことか、クニカは一歩、オリガの前に踏み込んでくる。
「ちょっと――!」
オリガは慌てる。だが遅かった。振り下ろした長剣の切っ先が、クニカの肋骨に食い込み、クニカの身体に呑み込まれる――。
「あっ……?!」
オリガは声を上げた。オリガの長剣は、クニカの身体にめり込み、包み込まれていた。しかし、オリガの腕には、肉を断ち切った手ごたえが伝わってこなかった。クニカの身体からは、血しぶきどころか、汗の一滴もしみ出していない。
まるで、水に剣を浸けたかのような状態だった。地面に着地すると、オリガは半信半疑で、剣を動かしてみる。オリガの剣は、クニカの身体を貫いたまま、あちこちを動き回る。まるで、クニカの身体そのものが、形を帯びた水のようになっていた。
◇◇◇
「言ったろ、シュム? ほら、目ぇ開けなって」
両手で顔を覆っているシュムの肩を、チャイハネは叩いてみせる。一部始終を見守っていたチャイハネは、自分の思惑どおりのため、いい気分だった。
自分の身体を、液体のようにイメージして、剣戟や銃撃をかわす能力。――これは、チャイハネがクニカに仕込んだアイデアのひとつだった。講義の合間を縫って、チャイハネはクニカに、『ぼくのかんがえたさいきょうの救世主』を仕込んでいた。
「チャイ……そんなことができて、何かの役に立つのかなァ」
せっせとチャイハネが仕込みをしていたときの、クニカのぼやきである。ところが、チャイハネのアイデアは、今こうして役に立っている。
「面白くなってきた」
タバコを投げ捨てると、チャイハネは前かがみになって、成り行きを見守る。
◇◇◇
「マジか」
クニカの身体に“浸かって”いる長剣に、オリガは目を細める。
身体を鋼のように硬くして、剣戟を弾く能力を秘めた騎士ならば、オリガにも知り合いがいる。しかし、みずからの身体を軟らかくして、剣戟を引き受ける能力の持ち主など、オリガは聞いたこともなかった。
そのとき、オリガの目の前で、クニカが右手を高く掲げ出した。
次に何が起きるのか。それを予見し、オリガはギクリとなる。
「おいおい……」
今、クニカの右手の中に、光の束が集められつつあった。手の中に収まりきらない光の一部が、稲妻のようになって、クニカの手の周辺で火花を散らしている。
オリガが使った奥義・“天雷”を、クニカは見よう見まねで再現している。似ているのは外観だけで、原理は違うだろう。重要なのは、稲妻を作り出せるほどの能力を、クニカが持っている、ということだった。
「はあっ!」
かけ声とともに、クニカが“天雷”を投げつける。“天雷”の軌道を見切ったオリガは、クニカの身体から長剣を引き抜くと、身体をよじり、稲妻を剣で受ける。
電流は長剣に吸収されるが、衝撃だけはそうはいかない。吹き飛ばされる代わりに、オリガは後方に宙返りをして、衝撃を緩衝した。
わざとらしく手加減していた自分が、馬鹿にされたような気がして、オリガは面白くなかった。
「――審判!」
ソーニャに向かって、オリガは言った。
「は、はい?」
「かわすか、防御すれば、クニカの勝ち。あたしはそう言った。だけど、クニカはかわさなかったし、防御もしなかった。だから、試合は続行。いいね?」
「おい、卑怯だろ――」
オリガの斜め後ろから、ヤジが飛んだ。聞き間違いでなければ、それはリンの声だったが、オリガは無視を決め込んだ。
魔力を解き放つと、オリガは跳躍する。これからオリガがやろうとすることは、オリガ自身の真骨頂だった。
◇◇◇
「おい、卑怯だろ――」
反対側で叫ぶリンの声が、チャイハネの耳にも届く。
「何をするつもりでしょう……?」
チャイハネの腕にしがみついたまま、シュムが言った。
「さぁね。あのオリガって騎士も、本気みたいだ――」
チャイハネが言い終わらないうちに、オリガがその場で跳躍する。空中で目まぐるしく回転してみせると、オリガはそのまま、頭から広間の床に突っ込んだ。
「あっ――」
隣で、シュムが悲鳴を上げる。
だが、頭から床に着地した瞬間、床全体が揺らめき、オリガの身体が吸い込まれていった。まるでオリガは、地面の中に飛び込んだかのようだった。
「鯰か……」
チャイハネは腕を組んだ。チャイハネの見立てが正しければ、オリガは鯰の魔法使いである。鯰の魔法使いは、まるで水の中にいるかのように、地面の中を泳ぐことができる。特にオリガは、瀝青や石畳の中でさえ、場所を問わずに“泳げる”ようだった。
不意に、建物全体が大きく揺れる。
「地震……?」
「オリガだ」
背後にあった壁に手をつきながら、チャイハネは言った。地中を自在に泳ぎながら、オリガは地面を揺さぶっている。
一たびオリガに地中に潜られたら、地面を掘るか、地割れを起こすか、地面さえも貫通するような強烈な一撃を浴びせない限り、勝ち目はないだろう。
(どうする、クニカ?)
心の中で、チャイハネはクニカに呼びかける。
そのとき、バランスを崩していたクニカの脚に、何かが絡みついたのを、チャイハネは見て取った。オリガの腕だった。
◇◇◇
「うわっ……?!」
クニカは一瞬、跳躍した後のオリガの行方を、完全に見失っていた。しかし、地面が揺れたことにより、オリガが地中に“潜った”ことに、クニカも遅ればせながら勘付いた。
(どうしよう――)
そう思った矢先、クニカの左足に、暖かいものが絡みつく。
「あっ?!」
クニカは悲鳴を上げる。広間の床から腕が生え、クニカの脚にしがみついていた。オリガの腕だ。オリガの腕は、肘から手首にかけて、刺青に覆われている。刺青は、複雑な文様が幾重にも描かれたものであり、うっすらと光を放っていた。オリガの魔力を受けて、身体に刻まれた魔法陣が発光しているのだ。
(しまった……)
クニカは焦る。
実は、オリガがクニカから距離を取った時点で、この試合は終わるものと、クニカは勝手に思い込んでいた。そのために、チャイハネから仕込まれていた「自分の身体を、液体のようにイメージして、剣戟や銃撃をかわす能力」を、クニカは解除してしまっていた。
だが、クニカの予想以上に、オリガは決着にこだわっていたようだった。現にクニカは、オリガに足を取られてしまっている。
もし、チャイハネからの仕込みを継続していれば、オリガの腕はクニカの脚をすり抜けていたことだろう。それどころか、クニカは床を液体に見立て、一体化することだってできたかもしれない――。
(こ、これだ!)
クニカは閃いた。
オリガは、クニカの脚に、腕を絡めている。クニカの動きを封じるためだろう。地面の中からしがみつかれてしまっては、地上にいる人間は、手も足も出ない。
やり過ごす方法は、ひとつしかない。クニカもまた、地面に潜ればいい。
右手に構えられたオリガの長剣がきらめくのと、クニカが、地面に潜ることを“祈った”のは、ほぼ同時だった。次の瞬間、クニカは足場を喪い、自分の身体が地面に沈みこむのを感じ取った。
知らず知らずのうちに目をつぶっていたクニカは、目を開けてすぐに、喉の奥で歓声を上げる。“祈った”とおり、クニカは広間の下に潜り込んでいた。そこでは、地上で見える景色が、全て反転して見えた。色も反転しており、クニカは、写真のネガの中に飛び込んだようだった。
正面に向き直ったクニカは、オリガと目が合う。剣を構えたままの姿勢で、オリガは固まってしまっている。自分の行動が模倣されるなど、オリガは考えてもいなかったのだろう。
今度こそ、クニカの番だった。




