024_第三の使者(Бальтазар)
照りつける陽射しの下、ウルトラ市の南西部に位置する“乙女の恵み”と呼ばれる汽水域で、カイは先ほどから、魚を待っていた。
「カイちゃん! 捕まるかい?」
朝早くから漁に出て、すでに引き上げ始めていた漁師のひとりが、カイに声をかける。
「ちょっかいはやめとけよ」
隣にいたもうひとりが忠告した。
「カイちゃん、集中してんだからさ」
ゴーグル越しに水面を眺めながら、カイはうなる。カイの耳に、漁師たちのやり取りは聞こえていなかった。
サリストク、イル、アッシート、オミ。四つの川の結節点にある島が、ウルトラである。
中でも個性的なのが、アッシート川である。この川は、ウルトラの南西部から、南大陸の西海岸までつながっているが、淡水を海へ運ぶとともに、海水をウルトラまで逆流させていた。
このため、アッシート川全体が巨大な汽水域を形成しており、川の流域、特にウルトラ南東部の水辺は、“乙女の恵み”と呼ばれ、水深の深さから、有数の漁場として発展していた。“鯱”の魔法属性であるカイにとって、“乙女の恵み”は、重要な仕事場だった。
カイが魚を捕まえる方法は、独特だった。水辺の中央、浅瀬に立つと、カイは両手を広げ、魚が通り過ぎるのをじっと待つ。カイは全く身じろぎをしないため、魚たちもカイの存在を忘れ、いつしかその側を通り過ぎるようになる。腕の届く範囲に魚が来ると、カイは長い腕を伸ばして、魚を素手で捕まえる。カイの動きは大胆で、しかも迷いがない。狙った魚は、百発百中だった。
カイは、赤い縁取りの、大きめのゴーグルを身に着けている。“乙女の恵み”で仕事をする漁師のひとりが、余ったゴーグルをカイにプレゼントしたのだ。以来、ゴーグルはカイのお気に入りで、水の中に入るとき、カイは必ずゴーグルをつけていた。
そのとき、カイの前方で、魚が大きくはねる。尾びれだけでも、カイの両手の平より大きい。海の魚が、アッシート川の逆流する海水を伝って、ここまで迷い込んだのだろう。
カイは微動だにせず、大魚が来るのを待つ。大魚は、カイに気付いておらず、悠然と、弧を描くように泳ぎながら近づいてきた。
カイの目の前を、魚影が過ぎ去ろうとする。
「――フンッ!」
予備動作なしに、カイは両手を水に突っ込むと、魚を掴む。このままいつも通り、カイは魚を抱え込むようにして持ち上げ、腰にぶら下げている魚籠の中に放り込む――つもりだった。
「ムムッ?!」
だが、今日はいつもと違った。カイがいくら力を込めても、大魚はなかなか、水中から姿を見せようとしない。大魚の様子もおかしかった。カイに引っ張られているというのに、大魚は小刻みにしか抵抗しなかった。まるで、反対側から別の力に引っ張られているせいで、大魚自身もどうしようもない、といった様子だった。
「ムムム……!」
歯を食いしばり、カイは力を込める。ほんの少しだけ、大魚の影が水面に近づく。このときカイは、小さな人影が大魚の下にいて、大魚の頭を抱えていることに気付いた。相手は、カイの半分ほどの背丈しかない。しかし、水の中を自在に泳ぎ回る人影の様子を見て、カイは、相手も自分と同じくらい、泳ぐのが得意なのだ、と理解した。
相手もカイと同じように、この大魚を捕まえたい、と思っているようだった。カイも負けていられない。
相手はカイよりも小柄だが、完全に水に浸かっている。相手が、もし自分と似ているのならば、きっと陸地に顔を出しているよりも、水中にいる方が力を発揮できるだろう、と、カイは考える。
カイはふと、あることをひらめいた。
一匹の魚を、反対方向から引っ張り合っているから、大変なのである。ところが今、カイの位置からは、水中にいる相手の影が見える。頑張れば、カイは手を伸ばして、相手を掴むことができるかもしれない。
大魚から手を放すと、魚を捕まえるとの同じ要領で、カイは人影に向かって腕を伸ばした。その間に、相手は魚を抱え込んでいたが、おかげで、相手とカイの距離は、近くなっていた。
「むん!」
相手を捕まえると、カイは持ち上げる。水中から、少女が引き上げられた。少女は、カイよりも一回りは子供だった。大魚を抱きしめたままの格好で、少女は持ち上げられる。
少女は、紫色の長い髪を持ち、そのうちの二房を、てっぺんでお団子状に束ねている。瞳の色も紫色で、目の形は丸かった。眉はちょっと太めで、ほっぺたは赤く、輪郭は丸い。少女は、背中に長剣を背負っていた。
「おーっ?!」
カイは思わず、声を上げる。身体的特徴は別として、カイは少女から、自分と同類であるという雰囲気を感じ取った。
「ウオーッ!」
「キャー。」
カイの声に呼応して、少女も声を上げる。少女の声から、カイは、少女もまた、カイのことを自分と同類と考えているようだ、と感じ取った。
「ウオーッ!」
「キャー。」
少女は大魚を抱きしめ、カイは少女を抱きしめる。お互いに黄色い声を上げながら、二人は岸まで泳いでいった。
カイは今、少女の気持ちをくみ取って、あるところへ行こうとしていた。少女の相棒が向かっているであろうところ、西の巫皇の宮城・大瑠璃宮殿に。




