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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第2章:暗い光・輝く闇(Темный свет, Сияющая тьма)
22/165

022_第一の使者(Каспер)

人々は、私がこの世に平和をもたらすためにやって来たと思うであろう。そしてかれらは、私がこの世に火と、剣と、戦争とをもたらすためにやって来たのだということを、知らないのだろう。

(『トマスによる福音書』、第16節)

 軒先を出ると、リンはあくびをしながら、ポケットからタバコの箱を取り出した。今しがた“ハサミ研ぎ”の仕事をした家の小母さんが、料金の代わりにくれたものだった。


 ウルトラ市の北側、レスアキオウと呼ばれる街区の一角に、リンはいる。ウルトラ市では下町の部類で、蜘蛛(くも)の巣のように、路地が入り組んでいる。


 午前中いっぱい作業に当たっていたリンだったが、十分に仕事は果たせた。これから“おおさじ亭”へ戻り、リンは昼寝をするつもりだった。


(チャイハネが喜ぶぞ……)


 (たがね)(つち)、それから()(いし)の入った緑のリュックサックを背負い、バケツを左手に提げ、リンは通りへ出ようとする。


「やあ、研ぎ職人さん」


 そのとき、リンの背後から声がした。()(だい)(じゅ)の木陰、ベージュ色の塀を背にして、少女がひとり、しゃがみこんでいる。


 少女は赤色の髪を、腰の辺りまで垂らしている。飾り気のない黒いブラウスに、黒いズボンを穿いていた。木陰にいるためか、少女は色白に見える。少女は革製の背嚢(ランドセル)を、座布団代わりにして腰掛けていた。足は投げ出されており、(ブーツ)がリンに威圧感を与えた。少女はタバコを吸っていた。


「こんにちは」


 挨拶はしたものの、リンは、少女をいぶかしく思った。何よりも、昼間から軒下で、タバコを吸っているような人間は、リンには苦手な人種だった。


「悪いんだけどさ、」


 リンのうろんげな視線など、少女は意に介していないようだった。鞘に納められた短剣を、少女はリンに突き出す。


「研いでほしいんだ、これ」

「明日に頼むよ」

「へえ、めずらしい」


 少女が目をむく。


「チカラアリ(びと)も、休むことがあるんだな! これは一大事だ、日記(ディニヴニーク)に書かないと」

「安息日だろ?」


 少女の言い方に、リンはむっとする。


「チカラアリ(びと)だって、午後くらい休むさ」

「カタイコト言うなって。『彼、安息の日にも羊のために働きたるなり。彼、()の溝に落ちたるを見出したるがゆえなり』って言うだろ?」

「あー……」


 “聖典の引用(アグラファ)”に、リンは顔をしかめる。


「あったかな、そんなの」

「『真理の福音』、第二十六章」


 タバコの吸い殻を、少女は投げ捨てる。吸い殻は石畳に当たり、火花を散らして潰える。


「『安息の日に救いを(なみ)することなかれ』、さ。苦しいことばかりが仕事じゃない。煩悩(プラネー)に溺れる人を救うのは、使命なんだ。より積極的に解釈すれば、第二十六章は、むしろ煩悩(プラネー)こそが完全性に至る道だ、と読むこともできる。あたしたちは誰だって、楽園(バルベーロー)の鍵を胸の(うち)に秘めている」

「へえ」


 リンは感心した。


「詳しいんだな。お説教を聴いたみたいだ」

「そうだろ? 今の解釈は一般的じゃないから、義務教育レベルじゃ習わない」

(何だよ、コイツ)


 リンはますますむっとする。


(ずいぶんひけらかすな。シャンタイアクティ(びと)みたいな奴だ)

「それで? やってくれる気になったかい?」

「特別だからな」

「そうかい? ありがとう! キミは御国に近づいたよ。あたしが保証する」


 少女の言葉を聞かないよう、心を(から)にしながら、近くにあった脚立を椅子の代わりに、リンは腰掛ける。リュックサックを降ろすと、絞ったぞうきんをバケツの上に乗せ、リンは砥石を置いた。


 短刀を、リンは鞘から抜き放つ。()かれた刀身が、青白い光を放った。


 リンは息を呑む。光の冷たさを前にして、両腕に鳥肌が走った。


「これは……ムリだ」

「ん?」


 短刀を鞘に収めると、リンはそれを少女に返す。


「悪いけれど、オレには研げない。刀鍛冶に任せた方がいい」

「フフン。そうだろう」


 少女は得意げに、リンから短刀を受け取る。


「『そうだろう』って……」


 リンはあっけに取られた。


「オレを試したな?」

「そうカッカすんなって」

「ちぇっ。もうお前みたいな客はお断りだ」

「悪かったよ。ところで、キミ、出身はどこだい?」

「チカラアリだ」

「チカラアリのどの辺?」

「旧市街だよ」

「ああ、旧市街!」


 少女の顔が明るくなる。


「知ってんのか?」

「任務で行ったことがある」


 “任務(ミッシャ)”。その言葉がリンには引っかかったが、問いただす暇もなく、少女は喋る。


「いい場所だったな。石造りの建物が良かった。派手さはないけど、緻密だった。シャンタイアクティとは違う」

「当たり前だろ。一緒にするな」


 シャンタイアクティとの比較の話になると、チカラアリ(びと)はムキになる。


「ウチらの職人は、シャンタイアクティみたいにちゃらんぽらんしてないんだ」

「ははは。そうだ。ステンドグラスも良かったな。天女アスイだっけ? あの大聖堂――」

「新市街の方だよ、大聖堂は」

「そうだっけ? ところでだけど、リン」


 バケツから水を捨て、砥石をしまい始めていたリンだったが、少女はそんなリンのポケットを指さし、尋ねる。


「ポケットに入ってるのは、何だい?」

「これか? タバコだな」

「そう? ねぇ、せっかくここで出会えたよしみだ。あたしらもう、マブダチみたいなもんだろ? だから、一本、マケトイテオクレヨ!」

「え? お、おう……」


 リンが答えるやいなや、少女は手を伸ばすと、ケースの蓋を開け、タバコを一本取り出した。目にもとまらぬ早業だったため、リンは反応できなかった。


「ぷはーっ。うまいねー」


 タバコをくゆらせながら、少女が言う。


「タバコだけが、人生をみじめさから救ってくれる」

「ええ……?」


 リンは苦笑いをしかけたが、ふと、チャイハネも似たようなことを言っていたのを思い出す。


「そんなもんかなぁ」

「そんなもんさ。ところで、キミ、出身はどこだい?」

「チカラアリだ。……ん?」


 リンは答えた。しかし、何かがおかしい気がした。


「チカラアリのどの辺?」

「チカラアリの……旧市街だ」

「ああ、旧市街!」

「そ、そうだ」

「懐かしいなァ、任務で行ったことがある」


 少女は、鼻から紫煙を吹き出した。


「いい場所だったな。石造りの建物が良かった。派手さはないんだけど、緻密だった。シャンタイアクティとは違う」

「あ、当たり前だろ。一緒にするなよ」


 リンはムキになった。しかし、やはり何かがおかしい気がした。


 短くなったタバコを、少女は地面に投げ捨てる。


「ウチらの職人はだな、シャンタイアクティみたいには、ちゃらんぽらんしてないんだ」

「ははは。そうだ。ステンドグラスも良かったな。天女アスイだっけ? あの大聖堂――」

「それは、新市街の方だよ」

「そうだっけ? ところでだけど、リン、キミの持ってるのは何だい?」

「これは、タバコ、だな」

「そう? ねぇ、せっかくここで出会えたよしみだ。ボクらもう、マブダチみたいなもんだろ? だから、マケトイテオクレヨ!」

「お、おう」

「ありがとう!」


 リンが答えるやいなや、少女は手を伸ばすと、ケースの蓋を開け、タバコをもう一本取り出した。


「いやー、タバコだけが、人生をみじめさから救ってくれるよ。ところで、キミ、出身は――」

「おい、ちょっと待て」


 何がおかしいのか、リンもようやく気付く。少女の胸倉を掴むべく、リンは右腕を伸ばす。


「お前、さっきからそうやって――」


 少女の胸元に、リンの手が埋まる。


「え?」


 リンは声を上げた。今、リンは少女の胸倉を、確かに掴んだはずだった。ところが、少女の姿はすでにない。菩提樹の木の下で、リンはひとり、右手の拳を握り締めている。


「ははは、ちょっとトロいかな」

「あっ?!」


 背後からの声に、リンはぎょっとする。リンの目と鼻の先で、少女は悠然と、二本目のタバコを吸っていた。


「お前……どうやって……」

「読んだのさ、キミの思考を」


 紫煙を吐きながら、少女は言う。煙は風になびき、少女の背後に流れる。


 このとき、リンは初めて、少女が背嚢(ランドセル)とともに、長剣を背負っていることに気付いた。


「あたしの名前はオリガ」


 少女は――オリガは、名乗った。


「オリガ=サ・ウィル=キムル。任務(ミッシャ)では本名を(かく)すのが原則だけれど、今回は特別だ」


 リンは息を呑む。


「任務、って――」

(しん)(げん)を拝しているんだ、あたしらは。ビビるなよ? キミを斬りに来たわけじゃない」


 短くなったタバコの吸い殻を、少女は投げ捨てる。


「連れてってくれよ、あたしを。“竜の娘”のところまで」

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