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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第2章:暗い光・輝く闇(Темный свет, Сияющая тьма)
20/165

020_灰色と青(синий и серый)

 ずぶ濡れになったクニカが、顔を上げたときには、エリッサはいなかった。


「そ、そんな」


 “(みず)(がめ)の間”にひとり取り残され、クニカは途方に暮れる。


 エリッサが緊張しきっていることは、クニカにもわかった。しかし、まさか浴槽を飛び出し、そのまま逃げ出してしまうなど、想像もしていなかった。


「あっ!」


 クニカの背後から、声が上がる。振り向いてみれば、ソーニャが立っている。


 ソーニャは、お茶と菓子を載せたお盆を持っていた。エリッサとクニカのために、用意したのだろう。


「クニカ様、どうしてずぶ濡れなんです? というより、(げい)()は?」

「ええっと……逃げ出しちゃって」

「ど、どういうことです?」


 ソーニャに詰め寄られ、クニカは状況を説明する。ソーニャは、はじめは真っ青だったが、しまいには真っ赤になった。


「もうっ、クニカ様!」


 一部始終をクニカが語り終えるやいなや、ソーニャが叫ぶ。


「あなたという人が、お側におりながら!」

「す、すみません」


 クニカは小さくなる。


「あの、今からエリッサを探しに――」

「ハイ、みんな、しゅーごー!」


 クニカの発言など、どこ吹く風だった。ソーニャの声に合わせ、どこからともなく、侍従の女の子たちがやって来る。みんなクニカより年下だが、全員クニカよりもしっかりしている(と、クニカは思っている)。


「良い子のみんな! クニカ様がぼんやりしている間に、南の巫皇(ジリッツァ)が、“水瓶の間”を逃げ出してしまいました!」

「いつもご面倒をおかけしています……」


 えーっ、とか、そんなー、と色めき立つ侍従の女の子たちを前にして、クニカはできるかぎり、こじんまりまとまろうとした。


「そんなわけで、みなさん! (だい)()(プヴァエティカのこと)にバレる前に、南の巫皇(ジリッツァ)を見つけて、この“水瓶の間”に連れ戻しましょう! 南の巫皇(ジリッツァ)は、すっぽんぽんで、この宮殿をうろついているはずです! それじゃ、かいさーん!」


 ソーニャの号令に合わせ、侍従の女の子たちは、いっせいに宮殿内へ散らばっていく。


(すごい統率力だ)

「ほら、クニカ様も!」


 感心していたクニカも、ソーニャにお尻をどつかれる。


「ぽーっと突っ立ってないで、一緒に探してください!」

「は、はい」


 言われるがまま、クニカも“水瓶の間”を抜け出し、エリッサ探しに加わる。



◇◇◇



「どうしようかなァ」


 とは言うものの、実はクニカは、エリッサがどこにいるか、見当がついている。


 “(ドラクォン)”の魔法属性であるクニカは、他人の感情を、“心の色”として見ることができる。たとえ壁や床に隔てられていても、その向こう側にいる人物の感情を、クニカは見通すことができた。



 先ほどから、クニカは周囲の“心の色”を、慎重に探っていた。“心の色”は、人間の心臓の辺りを、煙のように漂っている。今、クニカが確認できる“心の色”は、大方が緑か、黄色だった。これまでのクニカの経験からしてみれば、緑は“平常心”、黄色は“警戒心”を表す色である。


 そんな中で、ひとつ、灰色と青の”心の色”を、クニカは見て取っていた。灰色は動揺を表す色で、青は、悲しみや、おびえを表す色だった。


 宮殿の人たちは、基本は平常心で業務に当たっている。警戒心のある人たちは、もっぱらエリッサを探している侍従たちだろう。


 では、灰色と青は? エリッサの可能性が高かった。


「よし、と――」


 中庭に面している列柱廊まで、クニカはやって来た。列柱廊からは、細い通路が数本枝分かれしている。そんな通路の片隅に、エリッサはうずくまっているようだった。


「もしもし」

「ひっ?!」


 クニカが声を掛けた瞬間、影に潜んでいたエリッサが、か細い悲鳴を上げる。通路は薄暗いため、褐色肌で黒髪のエリッサは、周囲に同化して見えた。


「く、く、クニカ様……!」


 緑色のうるんだ瞳で、エリッサはクニカを見つめてくる。


(に、似てるかも――)


 そんなエリッサの様子を見て、クニカは唾を飲み込む。


「クニカはビスマー(びと)に似ている」


 それが、周囲の人のクニカに対する評価だった。


 だが、肝心のビスマー(びと)に、クニカはこれまで会ったことがなかった。それが今、こうしてエリッサと対面してみれば、丸い瞳も丸い輪郭も、どことなくほんわかしているような印象も、全部自分に似ている――ように、クニカには思えた。


(わたし、こんな感じなんだ)

「ううっ、ゴメンナサイ」


 クニカの服の袖にしがみつくようにして、エリッサが言う。


「急に逃げ出しちゃって――」

「大丈夫?」

「恥ずかしかったんですよう」


 うずくまったまま、エリッサは答える。暗がりの中であっても、エリッサの頬が紅潮している様子が分かった。


「裸のままで、人と対面するなんて。それに、わたし、偉そうになんてできません……」


 エリッサの告白を聞きながら、クニカは内心で、感動に打ち震えていた。


 長い道のりだった。プヴァエティカと対面してからというもの、クニカはずっと、自分自身との対決を続けていた。


「いいかい、クニカ」


 心の中のクニカは、いつもこう語りかけてくる。


「キミはね、『巫女』というものを、いかにも清楚で、線が細くて、純真で、


『男の人となんて、手を繋いだこともありません!』


 という存在だと思っていたんだろう? だけど、プヴァエティカを見てごらん? 二の腕はちょっと太めだし、『服を着るのが面倒くさい』という理由から、裸で宮殿をのしのし歩いているし、脇の下のあせもはぼりぼり掻くし、痰壺には豪快に唾を吐くし、よく食べるし、よく飲む。でもね、クニカ。これが現実なんだ。受け入れなくちゃいけない。もしかしたら、キミの考えていた『巫女』こそ、世間一般のイメージとはかけ離れていたのかもしれないよ?」


 心の邪悪な声に、必死に抵抗を続けていたクニカだったが、「現実」という名の、高い壁の前に打ちのめされ、いつしかクニカは、現状を受け容れるようになっていた。


 だが、もうクニカは、邪悪な声に耳を貸さなくていい。今日クニカは、自分自身に勝ったのである。


 なぜなら、エリッサがいるから。この人を見よ! 彼女こそ、クニカの考える“巫女”を体現したような人ではないか。


 正義は勝った!


 世界は救われた!


(神様、ありがとう……!)

「クニカ様、泣かないでくださいよう」


 はらはらと涙をこぼしているクニカに対し、エリッサは、クニカとは別の理由で、泣きべそをかいている。


「泣きたいのはこっちですよう。わたし、どうすれば……」

「どうしよう。……あ」


 クニカはひらめいた。


「わたしに、いい考えがあるんだ」

「めえーっ……」

「いい?」


 エリッサの耳元に、クニカは近付く。



◇◇◇



「はあ、どうしましょう」


 そうひとりごちながら、ソーニャは”水瓶の間”まで足を引きずる。


 手すきの侍従たちをかき集め、総出でエリッサを探したものの、結局ソーニャは、エリッサを見つけ出すことができなかった。


 まもなく、プヴァエティカの(クパニエ)の時間が終わる。そしたらプヴァエティカは、


「ソーニャ、南の巫皇(ジリッツァ)が逃げ出してしまった、と聞きましたが?」


 と尋ねてくることだろう。


「何を言ってるんですか、(だい)()。ソンナコト、アルワケナイジャナイデスカー。ヤダナー。アツハツハー!」


 などと取り繕ったところで、プヴァエティカにはお見通しである。ソーニャとしては、


(だい)()、違うんです。悪いのは私じゃないんです。クニカ様がぼんやりしていて」


 と言い逃れるしかない。さもなければ、ソーニャは罰として、食べる予定だったお昼ご飯を、全部プヴァエティカに横取りされてしまうだろう。


(どうしよう。どうやって、クニカ様に責任をかぶせようか)


 悪だくみをしながら、ソーニャは“水瓶の間”に戻ってくる。


「あれ?」


 ふと顔を上げたソーニャは、声を漏らした。水槽の中に、女の子が二人入っている。ひとりはクニカで、もうひとりは、先ほどから探し回っていたはずの、南の巫皇(ジリッツァ)・エリッサである。クニカとエリッサは、水槽の中で、ソーニャが用意したお茶菓子を頬張っていた。


「やあ、ソーニャ」


 すました顔つきで、クニカが言う。


「クニカ様? 連れ戻したんですか、(げい)()を?」

「何を言ってるんだい、ソーニャ」


 もったいぶった口調で、クニカが答える。


「〈さっきからずっと、エリッサはここで、わたしと水槽に浸かっていたじゃないか〉」

「さ、さっきからずっと、エリッサ様はここで、クニカ様と水槽に浸かっていた」


 クニカの言葉を、ソーニャはくり返す。言われてみれば確かに、エリッサはここで、クニカと共に水槽に浸かっていた――ような気が、ソーニャにはしてくる。


「ソーニャ、大丈夫?」

「ええっと、何だか……頭がぐるぐるしてきて」

「きっとソーニャは、働き過ぎなんだよ。〈お仕事は後輩ちゃんに任せて、たまにはゆっくり休ん〉だらどう?」

「お、お仕事は後輩ちゃんに任せて、たまにはゆっくり休む」


 クニカの言葉を、ソーニャはくり返した。そのうちソーニャは、お仕事は後輩ちゃんに任せて、たまにはゆっくり休もう、という気分になってきた。


「たまにはゆっくり休む――」


 それもいいかもしれないな、と思いながら、ソーニャは(きびす)を返し、“水瓶の間”の外へ出る。ソーニャの頭の中では、休暇届がぐるぐる回っていた。



◇◇◇



「どう、エリッサ?」


 ソーニャが去るのを待ってから、クニカはエリッサに尋ねる。


「すごいです、クニカ様!」


 エリッサは目を輝かせていた。


 こっそりと“水瓶の間”に戻った二人は、紅茶とお茶菓子を食べながら、ソーニャの帰りを待っていた。戻ってきたソーニャが、目を白黒させているのをねらって、クニカは暗示をかけたのである。効果はてきめんだった。


「どうなることかと思いましたよう。ありがとうございます、クニカ様!」

「えへへ。あとさ、エリッサ、『クニカ』でいいよ」

「え?! で、でも」

「わたしもさ、偉そうにするの苦手なんだ」

「そうなんですね! じゃあ、クニカ! これからよろしくお願いします!」


 クニカは笑った。

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