164_救世(Спасение)
「なるほど」
まばゆい光を浴びながら、“証人”であるニフリートは、ひとり呟いた。
宮殿の中で、ニフリートのいる一角だけは、まだ崩壊を免れている。しかし、瓦礫がニフリートを圧し潰すのは、時間の問題だった。
「再生する前の世界で、ボクは最後の人間だった。今度は、再生した後の世界で、ボクは最初に死ぬ人間というわけか」
全身を白く輝かせながら、“霊長”の魔法使いと、“竜”の魔法使いは、天へと昇っていく。それを眺めながら、ニフリートは笑った。
ニフリートの上に、大きな石の塊が降り注ぐ。
◇◇◇
「ハハ、そういうことか」
光の存在を直感し、ジナイダは笑う。
“黒い巨人”の爆撃に巻き込まれたはずなのに、ジナイダは今、こうして生きながらえている。クニカは、“霊長”の魔法使いと出会ったのだろう。出会い、共に手を携え、世界を再生させることに成功したのだろう。
肌に感じる暖かさ。この暖かさこそ、世界が再生された証にほかならない。世界は今、黒い雨からも、青く冷たい光からも逃れて、暖かい光にあまねく照らされている。
「しかしボクは、その光を見ることができない。こういう宿命か」
ジナイダは言った。
「まぁいい。ボクは光を拝めない。再生を果たしたこの世界で、滅んだはずの世界を、まぶたの裏に死ぬまで留め続ける。それもいい。死んでしまった奴らの死は、すべてボクが引き受ける。それがボクの運命で、ボクの家系の運命だ」
ジナイダは笑い続けた。
◇◇◇
「すげーっ!」
空を覆いつくす、黄金色の光を前にして、セヴァが声を上げる。“ディエーツキイ・サート”は、大人も子供も、光に見とれていた。
幾条もの光が、地上から、空の一点へと集中している。その一点はまばゆく輝き、第二の太陽のようだった。
「おねえちゃんだ!」
隣にいたミーナが叫ぶ。
「クニカねえちゃんだ!」
セヴァも拳を振り上げ、飛び跳ねる。
◇◇◇
「おおっ……?!」
空を覆う輝きを前にして、ジュリは思わず声を漏らした。ニコルも、ニキータも、光の前に息を呑んでいた。
「何、この光――」
「上手くいったんだ」
ニコルが答える。
「クニカたちが――リンたちが、やったんだよ!」
「ひゃっほう!」
そのとき、つないでいた手を離すと、ジュネが飛び上がった。
「ジュネちゃん?」
「料理だよ、料理!」
ニキータの尋ねに、ジュネは声を上げる。
「前に言ったんだ、『今日ほど、料理を作り続けて良かったな、と思った日はない』って。今日がそんな日なんだよ。ぐずぐずしちゃいられない。ご馳走作っぞ!」
「もうっ、ワケ分かんないんだから――」
慌ただしく厨房へ戻っていったジュネに、ジュリは唇を尖らせる。それでもジュリは、姉を手伝うために、厨房に引き上げていった。
◇◇◇
「目に焼き付けよう」
ともに手をつなぎ合う四人の準騎士たちに、イリヤは声を掛ける。互いの手に込める力は、自然と強くなる。そうでもしなければ、光の強さを前にして、自然とひれ伏したくなる衝動に負けてしまいそうだった。
「世界の黎明に、私たちは立ち会っている。の祝福を、私たちは未来につないでいく。私、頑張るよ」
イリヤの言葉に、四人の準騎士たちも、みなうなずいた。
◇◇◇
「すごい」
北の空からの光を前にして、フランチェスカは立ちすくむ。即位感情の時に感じた世界の歴史、エリッサに告白したときに感じた実存の許容。そのときの二つの感情が混然一体となって胸にせまるのを、フランチェスカは感じ取っていた。
世界は祝福され、生まれ変わった。これから先も、どうしようもない人や、悪い人や、ひどい人は出てくるだろう。しかし、そうした人たちを全て許容するほどの豊かさを、この世界は秘めている。どんな人間も取りこぼされず、どんな人間に対しても、世界は開かれている。そんな、世界が本来持っていた優しさと厳しさとの前に、フランチェスカは、みずからの目が開かれた思いだった。
「すごい――」
「終わりましたね」
隣では、プヴァエティカが咳き込んでいる。何気なく彼女の方を振り向き、フランチェスカは、プヴァエティカの手に血の泡がこぼれているのを見て取った。
「プヴァエ?」
「私たちは、歴史の生き証人になった」
そう言いながら、プヴァエティカは床にへたり込む。フランチェスカは、慌てて彼女に肩を貸した。
――星誕殿の留守はあなたに任せます。
――かしこまりました。
クニカたちを、アエリア=カピトリナに送り届ける前。ジナイダとプヴァエティカのやり取りが、フランチェスカの記憶によみがえる。星誕殿に残ると決まったとき、プヴァエティカは逍遥としていた。
もしかして。――床にこぼれた血の泡を、フランチェスカは凝視する。飼育していた高齢の象の死期が近かったときも、同じような血の色だった。
「今までずっと――」
プヴァエティカは答えなかった。
腕を回すと、フランチェスカは、プヴァエティカの身体を抱きしめる。
「フラン?」
「私はもう、愛し方を学んだよ」
戸惑うプヴァエティカに対し、フランチェスカは笑みをこぼす。
「これからの人生は、誰かを愛するために生きるよ」
互いに寄り添い合いながら、フランチェスカとプヴァエティカは、恩寵の光を浴び続けた。
◇◇◇
「チャイ――」
「見えてるよ」
腕にしがみつくシュムに、チャイハネは手を添えた。
「見えてるさ」
宮殿のあった辺りから、光の球体が、天に昇り始めている。地上に降り注いだ“黒い巨人”の青い光が、今度は光の球体めがけ集中していた。まるで、その部分だけ、時間が逆に戻っているかのようだった。
「すごい――」
チャイハネの隣で、アアリが息を呑む。
「祝福だ」
まぶたの上に手をかざしながら、ジイクも言った。
「生まれ変わっていく、世界が――」
「ルフィナにも――」
そのとき、チャイハネたちの背後から、声が上がった。
「シノン?!」
アアリが声を上げる。口を開いたのはシノンだった。シノンの目からは涙があふれていた。
「大丈夫なの?」
「ルフィナにも……見せてあげたかった……」
シノンは泣き続けた。
「おーっ!」
そのとき、カイが叫んだ。
「ニンゲンを捕る漁師!」
「キャー。」
カイに呼応して、ミーシャも黄色い声を上げる。
「え?」
カイが指さす方向に、チャイハネは目を細める。光が強すぎて、光球のうちに何があるのか、チャイハネには分からない。思わず眼鏡を外してみるが、チャイハネはやはり分からなかった。
「シュム、分かる?」
そう尋ねる間、チャイハネの心に、いたずら心が芽生えた。
「いいえ……?」
「もっと身を乗り出してさ、ほら」
自分に寄り掛かるよう、チャイハネはシュムに促す。シュムの姿勢が前のめりになり、チャイハネに頬が接近する。
その瞬間を狙って、シュムの頬に手を添えると、チャイハネは唇を奪った。
「愛してるよ、シュム」
「もうっ――」
長い接吻の後、シュムが言った。頬を真っ赤に膨らましていたが、キスの間じゅう、シュムはチャイハネに、全身を委ねていた。
「愛してる」
愛し合う二人を前にして、宮殿から解き放たれた光球が、天まで昇っていく。
◇◇◇
世界中の人々が、空を覆う黄金色の雲を目撃した。アエリア=カピトリナにいた人々は、世界から集められた光を受け、光の球体が、天へと上る様子を見た。光には中心があり、そこに何があるのか。多くの人が確かめたいと思ったが、光がまぶしすぎるあまり、だれもそれを見届けることはできなかった。
しかし、ただひとり、光に最も近いところにいた人が、光の中心に、二人の人物がいることを認めていた。
「クニカ!」
そのうちのひとりの名前を、その人物は叫ぶ。
リンだった。