163_光あるうちに光の中を歩め(Ходите в свете покА есть свет)
――爾ら光の子とならんために、耀る裡に光の中を歩め(おまえたちは光の子となるために、光のある間に光の中を歩みなさい)。【『約翰による福音書』、第12章第35節】
誰かに揺さぶられ、クニカは目を開ける。寝そべるクニカを、セツが心配そうに見つめていた。
「セツ――」
クニカは身を起こす。機械の腕たちは、粉々になって周囲に散乱していた。展示ケースは壊れ、室内は何もかもがめちゃくちゃだった。
カプセルに視線を向け、クニカは息を呑む。カプセルには亀裂が走っていた。クニカとセツの見守る前で、亀裂は大きくなる。とうとう、カプセルは砕け散った。蛍光色の液体が飛び出し、周囲に広がった。
カプセルの中に、クニカは目を凝らす。液体の奥には、黒い塊がうずくまっていた。それは、干からびた木片のようだった。
「これは……」
「皇帝だな」
クニカの背後から、ニフリートが答える。ニフリートは、天井から落下してきた巨大なパイプに挟まれ、地面に座り込んでいる。
「これが……でも……」
「思うに、皇帝の肉体はもう、とっくの昔に朽ち果てていたんじゃないかな」
クニカの疑問を見透かしたかのように、ニフリートが答える。
「たくさんの管に繋がれて、脳とか、意識をつかさどる器官だけは生きながらえていたけれど、身体はどうにもならなかった……」
言い終わるやいなや、ニフリートが咳き込んだ。このときクニカも、パイプの下敷きになったニフリートの下半身が、おびただしい量の血に濡れていることに気付いた。
「ニフリート?」
「ボクは死ぬみたいだ」
セツが、ニフリートのところに駆け寄る。
「泣くなよ」
涙を流すセツの髪を、ニフリートはなでる。
「でも、あなたは幸せだ。人は生まれることもあれば……死ぬこともあるのだと、あなたは知ることができた」
セツの手を、ニフリートも握り返す。
「クニカ、後はもうキミたちしかいないから、好きにすると良い。キミたちならば、世界を再生させることができる。再生させないことだってできる。どちらを選んでも、キミたち自身の意思だ。だれが止められよう」
ニフリートは続ける。
「だけど、キミの言葉を聞くうちに、クニカ、ボクの中にはある確信が芽生えた。それは、ボクがキミたちの決断の唯一の証人になる、ということだ。だから、どうかボクの命が尽きないうちに、最後の決断をしてほしい」
頷くと、クニカはセツの手を取った。目を閉じて、心の赴くままに祈れば、後は自然と、セツの力と、自分の力がひとつに合わさって、世界が息を吹き返すであろうと、クニカは直観していた。
しかし、そのときになったら、自分たちは?
(自分たちは……)
それは分からない。しかし、もし分かったとしたら、クニカもセツも、手とつなぐのを止めるのだろうか? きっとクニカは止めないし、セツだって止めないだろう。
クニカはセツの方を向いた。クニカのまなざしに気付き、セツは頬を赤らめ、笑みを返す。
二人とも、本来ならば、この世界にいてはならないはずの存在。それが今、この世界をもう一度世界として取り戻すために、自らの足で立って、前へ進もうとしている。
これでいいのだと、クニカは思った。神様! ――“黒い巨人”を思い浮かべ、クニカは心の中で呟いた。あの巨人が何者なのか、今のクニカには分かる。千年以上も昔、この世界に光を与えた“霊長”と“竜”――クニカとセツは、その伝説を繰り返そうとしている。
もしかしたら、この伝説は遠い未来において、再び繰り返されるかもしれない。いまやクニカとセツは、世界の鍵を引き継ごうとしている。今度クニカたちは、その鍵を引き渡すことになる。大いなる世代は、どこかの時代にいるわけではない。今を生きる全ての人類・全ての生命が、大いなる世代としての精神を引き継いでいくからだ。
どこからやって来たのかも分からず、これからどこへ行くのかも分からず、行った先に何があるのかも分からない。
だけど、クニカはいまこうして、このようにして、セツと手をつないで、光の中へ身を躍らせようとしている。手を通じてつながるセツのぬくもり。――これ以上に、いったい何を分かる必要があるというのだろう?
「行こう!」
自分自身に言い聞かせるようにして、クニカは言った。隣では、セツがうなずく。
クニカとセツの身体が、光に包まれる。