162_楽園に関する問答(Вопросы и ответы о рае)
ニフリートに先導され、クニカとセツは、地下の通路を進む。三人の目の前に、エレベーターが姿を見せた。
「ここを降りれば、皇帝の部屋だ。行こう」
エレベーターの扉が開き、三人は中へ入る。
「ねえ、ニフリート」
扉が閉まった後、クニカは声を掛ける。
「手、つないでもいい?」
「どうして?」
「その……なんとなく。ここを抜けるまででいいから」
答える代わりに、ニフリートは右手を差し出す。ありがとう、と言いながら、クニカはその手を取った。右手をセツに、左手をニフリートに、クニカはそれぞれ手を繋ぐ。
隣で、ニフリートが小刻みに肩を震わせる。彼女は笑っていた。
「いいな、手を繋ぐって」
ニフリートは言った。
「オリジナルも、本当はこういうことをしたかったんじゃないかな」
扉が開いた。暗い部屋の中へ、三人は一歩を踏み出す。
「そこで待ってて」
クニカから手を離すと、正面のパネルに近づいて、ニフリートが操作を始める。照明が灯り、部屋の全貌があらわになる。中心にはカプセルがあった。
「皇帝はこの中さ」
パネルを操作しながら、ニフリートが言った。
「数百年もの間、皇帝はコールドスリープで眠り続けている。本当に必要なときだけしか目覚めないし、目覚めたとしても、基本はカプセルの中さ。皇帝は死を怖れている――」
ニフリートの説明を聞きながら、しかしクニカは、別のところに釘付けになっていた。照明が灯ってすぐ、自分の脇にある展示ケースの存在に、クニカは気付いたからだった。パソコンや、ゲームや、教科書や、お菓子の入っていた袋――ケースの中には、それらが横たわっている。いずれも、クニカにはなじみ深いものだ。
皇帝の部屋に、どうしてこれらのものがあるのか?
「ニフリート……!」
恐怖に似た感情を覚え、クニカは思わず、ニフリートの名を叫ぶ。
「キミと同じなんだ、皇帝は」
操作を終えたニフリートは、パネルから離れ、展示ケースの側に近づく。
「数百年前に、かれは地球世界から、この世界へ落ちてきた」
「そんなことが……」
「そうさ。後は、皇帝から直接訊いてみるといい」
そう言うと、ニフリートはエレベーターの手前まで下がる。
「皇帝!」
ニフリートが声を上げる。カプセルから、光が漏れ始めた。
「望みどおりに、霊長の魔法使いのセツと、竜の魔法使いのクニカとを連れてきた」
――この日を待っていた。
部屋に備えられたスピーカーから、老いた男性の声が響く。声に合わせ、カプセルから漏れる光も拍動する。
「あなたは何者なの?」
展示ケースと、カプセルとを交互に見ながら、クニカは尋ねる。
――君と同じだよ。はるかな昔に、私はこの世界へ転移した者だ。
皇帝は語る。
――地球世界の思い出は、私には宝物だ。どうすれば元の世界に戻れるか。これまでの人生は、それを探るための戦いだった。あるとき、私は目をつけたのだ、この世界の創世神話を。
創世神話――霊長と竜の逸話を、クニカは思い出す。
――もし、霊長の魔法使いと、竜の魔法使いがそろえば、この世界を作り替え、地球を復元できるのではないか……私はそう考えた。この帝国のすべての資源を使って、私は“竜の魔法使い”を、それを耐えられるだけの人間を作ろうとした。何度失敗しても、私は諦めなかった。そして奇跡が起きた。キミが生まれたのだ。
遠い昔、サンクトヨアシェの基地で見た光景が、クニカの記憶によみがえる。薄暗い室内に並べられた、円筒形のガラスの容器。ガラスの容器は、発光する液体に満ちており、その液体に包まれ、子供たちが胎児のように丸まっていた。子供はみな、自分自身とどことなく似ている――。
隣にいるセツを、クニカは見やる。皇帝の実験により、クニカとセツは、この世に生を享けた。ニフリートを複製するクローンの技術も、その派生にすぎない。
――はじめ私は、キミを回収しようと思った。“霊長の魔法使い”の蘇生のためには、キミの命が必要だと、そう考えたからだ。しかしこの世界を滅ぼしてしまえば、“霊長の魔法使い”は生まれる。――だからセツ、キミは生まれたのだ。
光るカプセルを、セツは見つめている。皇帝の野望を理解できるほどには、セツの心は汚れていないようだった。
――さぁ、クニカ、セツ、私からのお願いだ。この世界を、どうか地球世界として復元してほしい。ただそれだけを目的に、私はこの数百年を生きてきたのだ。
皇帝の声が、一段と大きくなった。
答える前に、クニカはセツと目を合わせた。
自分とセツとが、ここにいる意味。
この場にいて、手をつなぎ合っていることの意味。
「できない」
クニカは、首を振った。
「そんなことはできません」
これまでに出会ってきた、全ての人たちの表情が、クニカの脳裡をよぎる。ある人は笑っていて、ある人は泣いていて、ある人は怒っていて、ある人はだれかを愛していた。
「あなたが滅ぼした世界でも、多くの人が生きていました。残酷な人や、ひどい人もいたけれど。でも、そんな人たちの前にも、世界は開かれていた」
クニカは答える。
「どんな人たちであっても、あなたが終わらせたはずの世界では、生きるに値する人たちでした。どんな世界であっても、そこに生きる人たちにとって、充分に豊かな世界だったと思います。だから――」
セツと握り合う手に、クニカは力をこめる。
「私も、セツも、地球を復元したりはしません。私たちが望むのは、もう一度、この世界を再生させることだからです」
クニカは言い切った。後悔はなかった。
――それが君たちの答えか。
「はい」
クニカはうなずいた。傍らのセツも、クニカに微笑んでみせる。
――よろしい。
部屋の壁に穴が開き、穴の中から、無数の機械の腕が飛び出した。機械の腕は、クニカとセツの間に割って入り、二人を引き離そうとする。
「セツ!」
クニカは叫んだ。
――霊長の魔法使いさえいれば、充分なのだ。
皇帝の声が響く。
――この程度では動じない。これまで何度も、不可能を可能にしてきた。今回もそうするつもりだ。
「セツ!」
クニカはもう一度叫ぶ。機械の腕に掴まれ、クニカと、セツと、互いにつなぎ合っていた手が離れる。
その瞬間――セツが叫んだ。声にならないセツの叫びの中に、
やめて!
という言葉を、クニカは確かに聞き取った。それは、クニカにとっても、曇りひとつない、紛れもない本心だった。
叫びと同時に、セツの全身がまたたき、光がほとばしった。光に貫かれ、機械の腕たちは粉々になる。その光は、ニフリートが放つような、青白い、鉛色の光でもなければ、クニカが用いる“救済の光”でもなかった。
セツにしか放つことのできない霊長の光明を前にして、世界全体が白く染め抜かれる。その光が、稲妻のようになって皇帝のカプセルへ殺到し――、その段階で、クニカは意識を失った。