161_アルファにしてオメガ(Альфа и Омега)
手を取り合いながら、クニカとセツは通路を進む。通路には照明が灯っていたが、光は弱く、見通すことができるのは、ほんの少し先までだった。
クニカの耳が、自分たちのものではない、誰か足音を拾う。逆方向から、誰かがクニカたちの方へと近づいてきている。
「大丈夫だよ」
セツを匿うようにして、クニカは通路の正面に立つ。立ち尽くすクニカの前に、相手の姿があらわになった。亜麻色の髪を肩まで垂らし、青色のシャツを着た、サンダル履きの少女――ニフリートがそこにいた。
ニフリートと対峙し、クニカは立ちすくむ。戦うことになるのではないか。そんな不安とは裏腹に、クニカは違和感を覚えずにはいられなかった。これまでに出会ったどのニフリートも、青白い、鉛色の光の印象を帯びていた。目の前のニフリートには、それがない。
手に持っていた懐中電灯の光を、ニフリートは、クニカの背後に投げかける。
「溶けてるよ」
ニフリートの言葉に、クニカはきょとんとしてしまった。
「後ろ、うしろ」
「え? ――あ」
ここまで言われて、クニカもようやく気付く。セツを後ろに匿ったとき、クニカは、セツと手を離してしまっていた。振り返ってみれば、セツは、口元の辺りまで溶けてしまっており、自分自身の水たまりに浸かって、セツはあっぷあっぷしていた。
クニカは慌てて、セツの手を取る。“竜”の魔法が開花し、周囲が光に包まれる。光が蒸発したときには、セツの身体はもとどおりになっている。
「ダイジョウブ?」
「あ……」
ニフリートの青い瞳を、クニカはじっと見つめる。ニフリートは、本心から自分たちを心配してくれている――。
「はい……」
「ビビるなよ。キミと敵対するつもりはないから」
ニフリートは言った。その言葉も、本心からのようだった。
「あなたは?」
「ニフリートだよ。分かるだろう?」
咳ばらいを挟んでから、ニフリートは答える。
「キミはもうすでに、ボクのクローンに、嫌になるほど出会っているはずなのだから。けれど、ボクはほかのボクとは違う。ボクはΩなんだ」
「オメガ?」
「ほかのボクと違って、ボクは魔法が使えない。オリジナルのニフリートが、魔法が使えない自分自身のクローンを、一体だけ要請した」
「どうして?」
「分からない。たぶん、気まぐれだと思う」
ニフリートΩは、肩をすくめてみせる。
「だけど、悪い気分じゃない。むしろ、自分でも信じられないくらい、今は健やかに生きている。――けだしオリジナルのニフリートも、本当は今のボクみたいに生きたかったんじゃないかな? ボクはあまり生きるのに器用ではないけれど、今は丁寧に生きていける自信があるよ。もっとも、前提となる世界がなくなってしまっているけれど」
「わ、わたしは――」
「知ってるよ。クニカ。分かるさ」
ニフリートは笑った。
「それで……ニフリートは、どうしているの?」
「ずっと宮殿で過ごしてきた。お茶を淹れたり、本を読んだり、模型を作ったりしながらね。あと、皇帝の世話もしている」
“皇帝”。その言葉を前にして、クニカは奥歯を噛みしめる。
「会いに来たんだろ、皇帝に?」
クニカはうなずいた。
「じゃあ、着いてきて。皇帝もキミたちに会いたがっている。――あ」
きびすを返そうとしたニフリートは、再びクニカたちに向き直る。
「お嬢さん、名前は?」
クニカの腕に、セツがしがみついてくる。そんなセツの様子を見て、クニカは状況も忘れて噴き出してしまった。セツが不安に思うのも当然だ。彼女にとって、ニフリートは二人目の“他人”なのだから。
「この子はセツ」
セツに代わって、クニカが答える。
「口がきけないみたいで」
「初めまして。大いなるセツ」
セツの正面に立つと、ニフリートは手を伸ばした。何か良くないことをされると思ったのだろう、セツは目をつぶり、肩をすくめる。
そんなセツの髪の毛を、ニフリートはそっと撫でた。
「いい名前ですね」
その言葉に、セツは目を見開く。ほっぺたが赤くなった。
「あなたを生むために、大勢の人間が死んだ。世界も死んでしまった。にもかかわらず、あなたと、もうひとりとだけが、世界を救うことができる。笑えないでしょう? そんな場面に、魔法を使えないボクが立ち会っている」
セツの頭から手を離すと、ニフリートはクニカに向き直った。
「それじゃあ、クニカ、セツ、行こう」
ニフリートに案内され、クニカとセツは、更に奥まで進む。