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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第1章:終わりのない平和みたいに(Мост над неспокойной водой)
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015_魚(ΙΧΘΥΣ)

――あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って、戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

(『マタイによる福音書』、第6章第6節)

「おっちゃん、ちゃんと立てよ」


 軒先でうずくまっている男性に、ジュネが声をかける。


 楽しい時間にも、終わりがやって来る。時刻が十時を回り、“おおさじ亭”の飲み会も解散になった。万歳(ウラー)三唱を終えると、チカラアリ(びと)たちは、めいめい帰路につく。店に残っているのは、クニカたちと、浴びるほど酒を呑み、前後不覚になっている一部の客だけだった。


「いい年して呑み過ぎだろ。あっ! ここで吐くな! よそでやれ!」

「いいか?」


 ジュネを遠くに見ながら、リンがクニカに声をかける。


「待って」


 大皿に残された最後の料理の一片を、クニカは箸で摘まむと、タッパーに押しやった。チカラアリ(びと)たちは大喰らいだったが、それでも余った料理をかき集めれば、タッパー三つ分、風呂敷包み一袋分になった。


「できた!」

「行くぞ」


 勝手口から、クニカとリンは、“おおさじ亭”をそそくさと抜け出す。


「ジュリ、見てみろよ、完食だよ!」


 クニカたちと入れ替わりに、店内からは、ジュネの声が聞こえてくる。


「嬉しいもんだよ。しっかしみんな、よく食べたな」


 ジュネには少しかわいそうだが、ほんの少し残った料理は、今、クニカが背負う風呂敷に入っている。残り物の料理を待ち望んでいる人たちがいるのだ。クニカとリンは、今からその人たちに会いに行く。


 角を曲がったところで、クニカのお腹に腕を回すと、リンが翼を広げる。いつもの格好になって、二人は空を飛ぶ。


「ヒューッ!」


 上空からの風を受けて、リンが口笛を吹く。高度が上がり、ウルトラ市街の眺望が、クニカの視界に(あら)わになる。電気の供給も、送電線の復旧も道半ばであるから、街全体は暗めだった(“おおさじ亭”の電気は、灯油を利用した発電機でまかなっていた)。街の中心の、大瑠璃宮殿ラズール・ドヴァリエーツだけは、(こう)(こう)と明かりが灯っている。


 クニカたちが向かうのは、その反対方向だった。



   ◇◇◇



「あそこだ」


 オミ川の東岸に向かって、五分ほど飛んだ先、リンが言った。暗闇の中、亜熱帯の木々の合間から、かすかな明かりが漏れている。


「降りるぞ」

「気をつけて」

「分かってる」


 リンが高度を下げたのと同時に、クニカも魔力の焦点を、地上に切り替える。ウルトラ市から一歩でも外に出てしまえば、まだまだ危険が多い。“黒い雨”に打たれた人間のなれの果て――コイクォイたちが、周囲をうろついているとも限らない。


 手のひらに魔力を集中させると、クニカは火球を作り、空に浮かせる。コイクォイは凶暴で、かすかな音でも聞き逃さない。その代わり、頭部が変形してしまっているために、視力は失われている。音にさえ注意すれば、餌食になる心配はない。


「クニカ、火、正面!」


 リンに言われ、クニカは火球を正面に持ってくる。暗闇の中で、照明を左右に振って合図する人の姿が見えた。


「ニコル!」

「久々だな」


 青年の側に、クニカとリンは着陸する。


 ウルトラへと向かう旅の途中で、クニカが知り合ったのが、このニコルという青年だった。ニコルは、北の大陸にあるサリシュ=キントゥス帝国の兵士だったが、戦うことに嫌気がさし、逃げ出していた。


「ほかの奴らは?」


 不思議そうに、リンが周囲を見渡す。


 半年ほど前、サリシュ=キントゥス帝国の軍隊は、ウルトラの東にあるサンクトヨアシェという街の郊外で、基地を作っていた。基地は、ウルトラに攻め込むために設けられたものだったが、クニカたちを巻き込んだ事件により、完全に破壊されていた。


 そのときに逃げ出したのは、ニコルだけではなかった。兵士たちは、装備こそ最新鋭のものだったが、北の大陸から無理やり徴兵された者が多く、士気はなかった。生き残った兵士たちは、サンクトヨアシェとウルトラの合間の地で、息を潜めて生活していた。


「ほかの奴ら、どうしたんだよ?」

「驚くなよ?」


 答える代わりに、ニコルはかがむと、地面の中に両手を差し込む。


「あっ」


 クニカが声を上げる。金属の(きし)む音とともに、地面が口を開けた。地下へ通じる秘密の階段が、そこにはあった。


「扉職人がいるんだよ」

「すごいな」

「ソイツの知恵と経験を借りて、こうして秘密の扉ができた。ほかにも四つあって、当番で見張ってる。今日の当番は、オレってわけさ」


 立ち尽くしているクニカとリンを、ニコルは手で招く。


「早く。コイクォイが来ないうちに」



   ◇◇◇



 ウルトラへと到達してから、クニカとリンは、人目を忍んでは、サリシュ=キントゥス帝国軍の残党のもとに、足しげく通っていた。


 かれらは脱走兵であるから、帝国軍に戻っても、脱走の罪に問われ、死刑に処されてしまう。その一方、キリクスタンの人たちに気付かれてしまえば、今度は敵国の人間として罰せられるかもしれない。初めは、ニコルを気にかけてやって来たクニカたちだったが、今ではすっかり、ほかの人たちも気に入ってしまっていた。だからクニカは、かれらの身の安全が保障されるようになるまでは、何とか手助けを続けたいと、そう思っていた。


 クニカとリンは、入り組んだ通路を奥まで進む。地下の隠れ家は、相当深いところまで掘り込まれており、壁面は、トタンやブリキ、レンガで覆われていた。


 塹壕のような道を黙々と歩いていたクニカは、通路の脇に溝が掘られていることに気付いた。


「側溝なんだ。万が一雨が降っても平気なのさ」


 得意げに言うと、目の前の扉を、ニコルは開く。扉の向こう側は広間になっており、辺りには人が寝そべっていた。皆、クニカとリンには顔なじみだった。


「〈みんな。二人が来たぜ〉」


 サリシュ=キントゥスの言葉で、ニコルがみな呼びかける。“竜”の魔法属性のお蔭で、クニカはニコルの言葉が分かる。


「オオ、くにかチャンタチカ」

「久シ振リダ」


 片言のキリクスタン語を話しながら、サリシュ=キントゥスの人たちが、一斉にやって来る。ニコルと違って、ほかの人たちは、まだキリクスタン語が上手ではない。


「みなさん、これ、」


 持ってきた風呂敷包みを、クニカは皆の前に掲げた。


「リンの親戚が作った料理です。余りものだけれど、良ければ」

「ウワー!」

「ゴハンダーッ!」


 ひとりが風呂敷を受け取ると、中央にあったテーブルの前に、それを持っていく。ほかの男たちも皆、テーブルの周りに集まった。


「〈ああ、いい匂いだ。毎日ジャーキーとコンビーフじゃ、飽きてくるよ〉」

「〈オレにも嗅がせてくれよ〉」

「〈その煮魚、旨そうだな〉」

「〈独り占めしようなんて考えるなよ。みんなで分けよう〉」


 サリシュ=キントゥスの言葉で、皆はあれこれ言い合っている。


「〈待て、まて、大切なことを忘れている〉」


 テーブルに置かれた料理を、肩越しに眺めていたひげ面の男性が、拳を振り上げながら言った。


「〈まずはお祈りだ。それを忘れちゃならん〉」

「〈おお、そうだった〉」

「なあ、何やってんだ?」


 ニコルに向かって、リンが(ささや)く。クニカと違って、リンはサリシュ=キントゥスの言葉が分からない。


「お祈りだよ」

「祈る? 何でだよ?」

「そりゃあ、神様を賛美するためさ」

「晩ごはんで? やっぱり、サリシュ=キントゥス人の考えることって、変わってんだな」

「よく言うよ」


 リンの言葉に、ニコルが口をとがらせる。


「そっちなんか、祈りそっちのけで『神様は何人いるでしょうか?』とか『宇宙は何個あるでしょう』とか、クイズばっかりじゃないか。御言葉を聞いて、それを受け入れれば、信仰は実を結んで、何倍にも膨れ上がって、天に届くんだ。聖書にも書いてあるだろ」

「そんなこと、書いてあったかなァ」


 ニコルの言葉に、リンは首を傾げる。


 北の大陸でも、南の大陸でも、“基督(キリスト)教”が信仰されている。問題は、その中身だった。北の大陸の“基督(キリスト)教”は、クニカも知っているような、地球世界で学ぶ内容そのものだったが、南の大陸の“基督(キリスト)教”は、チャイハネが話すような、知らない聖句、知らない聖人、知らない教理に溢れかえっていた。だから二人の話は、微妙にすれ違っている。


「何だよ、クニカ」


 リンが鼻を鳴らした。


「笑いをこらえてる、みたいな顔しやがって」

「ハッハッハ! 無理もないさ。どうせリンは、学校の“修身”の時間中、ずっと寝てばかりいたんだろ? 信仰が足りないと、地獄に落ちちまうぜ」

「う、うるさいな」

「〈おい、ニコル!〉」


 広場の東側は、壁面が掘られており、そこには、ちょっとした祭壇が形成されていた。


「〈ほら、お前も祈れって!〉」

「〈分ったよ〉。クニカ、リン、一緒に――」


 ニコルに言われるがまま、リンはしぶしぶと言った感じで、ニコルの隣に(ひざまず)いた。クニカには不思議なことだったが、ニコルから何かを誘われたとき、リンは絶対に(ニェット)とは言わないのだ。


 クニカも正座すると、目を閉じる。祭壇の一番手前にいた男性が、聖句を読み上げるのが、クニカの耳に届く。


 神様、と、両手を胸の前で組み、クニカは“神”に呼びかける。このときクニカは、頭の中で自然と、夢の中に出てきた“黒い巨人”を思い描いていた。


(わたしが、この世界にやって来た意味。それを、教えてください)


 クニカは、祈り続ける。そのうちに、聖句が止んだ。


「〈さあ、みなさん。お祈りはこれで終わりです〉」


 聖句を読んでいた男性が、立ち上がって皆に呼びかける。


「〈それでは、クニカちゃんが持ってきた料理を、皆で分かち合うことにしましょう〉」



   ◇◇◇



 祈りを終えたサリシュ=キントゥス人たちは、クニカが持ってきた料理の残りを、皆で分けて食べ合った。クニカは既に“おおさじ亭”でたくさん食べたので、親切な男性のひとりが、代わりに淹れてくれた茶を飲んだ。


「アリガトウナ、くにかチャン」


 両手をリウマチに冒された男性を、クニカは“救済の光”で癒す。


「シカシ、くにかチャンハ、本当二ヨク出来タ子ダヨ。オ父サン、オ母サンモ、キット鼻ガ高イダロウヨ」

「ハハ……ありがとうございます」


 額の汗をぬぐいながら、クニカは答える。ウルトラの人たちとは異なり、サリシュ=キントゥスの人たちは、クニカが人々を癒した後も、まずは神を褒めたたえ、それからクニカのことを褒めた。サリシュ=キントゥス人にとって、信仰は大切なもののようだった。


 お蔭でクニカは、自分の魔法を解き放つときも、ウルトラにいるときほど、神経質にならなくて良かった。居心地の良さという点では、ここはクニカにとっても紛れもなく“隠れ家”だった。


「さてと。あれ?」


 そろそろ帰ろうと考えたクニカは、あることに気付いた。リンがいない。


「リン?」

「りんチャンナラ、アッチノ扉カラ出テ行ッタヨ」

「にこるモナ」


 トランプで気晴らしをしていた男たちが、笑い声を上げた。


「行ッテゴラン、扉ノ向コウニ、馬小屋ガアル」

「そうなんですか?」


 もともと牧場の出身であるニコルは、馬の世話を生業としていた。リンはきっと、ニコルに誘われて、馬を見に行ったに違いない、と、クニカは考えた。


「見に行ってきます」


 立ち上がると、クニカは広間を抜ける。地下道は上り坂になっており、そのまま地上へと繋がっていた。


 扉を開け、周囲を見渡したクニカは、そこがサンクトヨアシェの裏手にある、山のふもとだということに気付いた。ここならば、高い山に囲まれているため、ウルトラからもサンクトヨアシェからも気付かれにくい。一帯には竹垣が張り巡らされており、コイクォイが来るおそれもなさそうだった。


「コイクォイが心配か?」


 闇夜の向こう側で、ニコルの声が聞こえた。クニカはどきりとする。なぜか忍び足になると、声のする方角へ、クニカはそっと近づく。目が闇夜になれた頃には、馬の鼻息に紛れる、リンとニコルの声が聞こえるようになってきた。


「ウマって、臆病なんだろ? もしコイクォイが来たら――」

「それがだな、一か月ほど前なんだけど、朝、飼い葉おけに水をやろうとしたら、小屋の前でコイクォイが死んでたんだ。蹴っ飛ばされちまったんだろうな」

「うわあ」

「大丈夫さ。人間には気立てが良いんだ。あと、馬たちの側にいて、分かったことがある」

「何?」

「こいつらと一緒にいると、コイクォイが来ない。コイクォイになると、人は野生を取り戻すのかもな。自分よりでかい生き物を、本能で避けてるんだと思う」

「撫でてもいい?」

「ああ。“ホクト”は、撫でられるのが好きなんだ」


 前方にいるリンが、腕を伸ばす。小屋の影に隠れているために、馬の姿は見えない。それでも、馬のいななく声が、クニカの耳にも聞こえてきた。


「だ、大丈夫?」

「平気だよ。鼻の下、伸びてるだろ? 喜んでる」

「人間と同じなんだな。ニコル、馬に乗れるようになるのって、どのくらい時間がかかるんだ?」

「興味あるのか?」

「ちょっとだけ」

「練習が第一さ。今度来たときに、乗せてやるよ」


(何で自分……隠れてるんだろう?)


 リンとニコルの様子を見守っていたクニカは、ふと、自分の振舞いのおかしさを自覚した。クニカが飛び出してきたところで、リンもニコルも何も言わないだろう。だが、クニカはなぜか、二人をそっとしてあげた方が良いと、そんな気持ちになっていた。


「フフフ、ヤッパ良イヨナ」

「うわっ?」


 隣で声がしたために、クニカはのけ反った。広間にいた若者の一人が、クニカの側にいた。


「悪イナ、驚カスツモリハ、ナカッタンダヨ」

「びっくりしたな」

「シカシ、イイ感ジダヨナ。アイツラ、オ互イニ惹カレ合ッテイルンダナ」

「へえ。……ン?!」


 ぶっ込まれた言葉の意味が分からず、クニカの脳内を、トマトを振り乱しながら、スパゲッティナポリタンが横切っていく。“любить друг друга(惹かれ合っている)”というフレーズから、影がたなびき、実体を帯び、腕が生え始め、自分の頭をつまんで、どこかへ放り出そうとしている――そんな感覚を、クニカは味わった。


 惹かれ合っている?


 リンが?


 ニコルと?


「ええっと、その」


 その場で踊りながら、クニカは尋ねる。


「その『惹かれ合っている』っていうのは、『惹かれ合っている』っていう意味での、『惹かれ合っている』っていうことですか?!」

「アー……。ソノツモリダケド……」


 クニカの支離滅裂な質問に、相手の若者もたじたじになっている。


「惹かれ合っている」


 言葉を繰り返しながら、クニカはもう一度、遠くにいるリンとニコルとを見た。お互いを見つめ合いながら、リンとニコルは語り合っていた。

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