146_岐路(Перекресток)
――爾がかの場を恐るるならば、諸々の活動のゆえに、後ろへと引き篭もるべし。【『アロゲネス』、第12節】
「キミは天才だ」
カイの煎った空豆を、一口ほおばるやいなや、ニフシェが言った。
「絶妙な煎り加減だ。香ばしくて、青臭さが消えていて、それで空豆の風味が残ってる。並大抵の人間じゃムリだ」
「ン!」
カイは得意そうだった。
「ほら、リン、自分のと食べ比べてみろよ」
「カイの方が……旨いかも」
「クニカも」
空豆の入った片手鍋を、ニフシェはクニカに差し出す。空豆をひとつつまむと、クニカはそれを口に含んだ。甘い香りが、クニカの鼻孔を抜ける。
「おいしい」
「そうだろう?」
「ニフシェ」
アアリが声を掛ける。
「話があるの」
「臨時の使徒騎士会だろ?」
片手鍋を、ニフシェはカイに返す。
「ボクも提案したい議題がある」
「シノンを呼んでくるわ。オリガも」
「オリガはいいよ」
ニフシェがそう言った矢先、食堂の天井から、大きな音が聞こえてきた。発砲音だった。
「オリガだよ」
全員の視線が上を向く中、ひとりニフシェだけが、相変わらず空豆を食べていた。
「自殺さ」
そう口にするニフシェを、クニカは見つめる。自殺という言葉を口にし、平然としているニフシェは、クニカには不気味だった。
「行っておいで、クニカ」
クニカの視線に、ニフシェも気付いたようだった。
「行けば分かる。何より、オリガにはキミが必要だ」
「クニカ」
リンに言われ、クニカもうなずき返す。二人は二階へ向かった。
◇◇◇
「オリガ!」
クニカもリンも、事態がどこで発生しているのか、すぐに分かった。それは、廊下の向こう、開け放たれた扉の奥から、シノンの声がしたためであり、廊下に飛散した窓ガラスが、降り積もった雪のようになって、足跡を刻んでいたためでもあった。
部屋に入ったクニカの目に、真っ先に飛び込んできたのは、壁に飛び散った血糊だった。床にはオリガが倒れていて、シノンが彼女の身体を支えている。
オリガの右の瞳は濁っており、息をしようとするたび、細い管の中を、風が通り抜けるような音がする。口からは血の泡が吹きこぼれている。自分の肺を撃ち抜いてしまったようだった。
「入ったら、自殺しようとしてた」
自らのこめかみに指を立てると、シノンは引き金を引く仕草をしてみせた。
「危なかった。どうしてこんな、バカな真似を――」
こめかみに銃口を突き付け、引き金を引いたそのとき、たまたまやってきたシノンが、オリガに飛びかかったのだろう。銃弾は反れたが、顎はくだけ、右胸を貫通してしまったようだ。
「今やっと、ひとり治療が済んだのに」
後ろからの声に、クニカは振り向く。煙草を口にくわえたまま、チャイハネが肩をすくめている。
「また怪我人か。クニカ、治せるかい?」
「うん」
「治すのか?」
クニカの返事に、リンが神妙な表情をする。リンが拳を握り締めていることに、クニカは気付いた。
ウルトラを旅立つ前、“カタコンベ”での一件を、クニカは思い出す。あのときのオリガは、ニコルたちを死に追いやろうとし、平然としていた。リンには、それが許せないのだろう。
「あのさ、リン」
クニカは呼びかける。
「オリガにさ、死んでほしいわけではないでしょ?」
「それは――」
リンは何かを言いかけたが、それからふっとため息をついて、
「お前の言うとおりだ」
と答える。クニカには、その言葉だけで十分だった。
オリガに近づくと、クニカは手を伸ばす。オリガは緩慢に足をばたつかせていたが、上半身はシノンに押さえつけられていて、身動きがとれない状態だった。“救済の光”が、クニカの手から溢れる。時間が巻き戻っていくかのように、オリガのめくれ上がった皮膚、飛び散った肉片が元通りになっていく。
光が収まる。オリガは恨めしそうに、クニカを見つめていた。
「クニカ、ありがとう」
シノンが言う。
「オリガ、何で自殺しようとしたんだ」
シノンは尋ねる。オリガは答えない。
「オリガ?」
すわり込んだまま、オリガはシノンから目をそむける。やはりオリガは答えなかった。
「ダンマリか」
シノンが言う。シノンの口調は変わらなかったが、それまでにあった気遣いのようなものが、言葉から消え失せていた。
「あなたが生きて、ルフィナは死んだ。私は、あなたを恥ずかしいと思う」
立ち上がると、シノンはクニカたちの脇を通り抜け、そのまま去っていってしまった。
「もう行こう」
チャイハネに促され、クニカもリンも部屋を出る。部屋にはオリガだけが取り残されたが、彼女を顧みる者は誰もいなかった。




