表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第6章:神の子は都(みな)沓(くつ)を履く(Каждый ребенок Божий носит обувь.)
144/165

144_可能と現実(Возможное и реальное)

 リテーリアが暴れたせいで、“歳星の間”はめちゃくちゃで、使える状況になかった。加えて、ニフシェの奥義“楽園の鐘”の衝撃で、星誕殿(サライ)の窓という窓は、すべて割れていた。


 かくして、“歳星の間”のほど近くにある大食堂に、一行は落ち着いた。やはり窓は割れていたが、広い分だけ、破片が飛び散っていないスペースがあった。


「おい、料理するぞ」


 ガラスの破片を集めようとしていたリンのことを、ニフシェが呼び止める。


「いや、オレは別に――」

「シュム、ミーシャ、掃除は任せた」


 リンの手から、ほうきとちりとりを奪い去ると、ニフシェはそれを、ミーシャに預ける。


「ほら、カイ、料理! 空豆炒るぞ」

「おっしゃー!」


 露骨に嫌そうな顔をするリンと、拳を振り上げて大はしゃぎしているカイを同道して、ニフシェは厨房まで突っ込んでいく。


 そんなニフシェの姿を見送りながら、ジイクとアアリの姉妹が、何かを話し込んでいた。いつもは高く、通る声で話すアアリも、今は声をすぼめていた。“次の巫皇(ラ・ワン)”、“臨時の使徒騎士会”。それでも、いくつかの言葉は、クニカの耳に入ってくる。アアリが何かを言うたびに、ジイクは静かにうなずき返していた。


 姉妹を横に見ながら、クニカは椅子に座り、物思いにふけっていた。机には、金属の容器に入ったレモネードがある。食堂に入ってすぐに、チャイハネが作ってくれたものだった。チャイハネは今、別室で、フランチェスカの看病をしている。


 レモネードを少しずつ飲みながら、容器の表面に結露した水分を、クニカは指につけ、机に落書きする。


――もう救世主になんかならなくていい。キミはキミになる。


 丸、三角、渦巻き、他愛のない図形を指でなぞりながら、クニカはずっと、ニフシェの言葉を思い出していた。“救世主”。クニカはその言葉を、それこそ十字架か何かのように背負っていた。ニフシェの言葉は、その重さを引き受けてくれたどころか、十字架そのものをクニカからかつぎ上げ、どこかへ投げ飛ばしてしまったかのようだった。


 事実クニカは、自分の心が軽やかになっていたことを実感していた。そして、その軽やかさが後ろめたいのも、クニカにとってまた事実だった。


 この世界を救うためには、クニカが必要不可欠である。ペルガーリアも、ほかの巫皇(ジリッツァ)も、使徒騎士たちも、そのために命を賭けた。戦争には勝ったが、街は焼け野原になった。多くは死んだが、クニカは期待に応えられなかった。“救世主”にもなれていない。サリシュ=キントゥス帝国では、“霊長の魔法使い”が復活しようとしている。今まさに、世界は滅びようとしている。


 そんな中、クニカはぼんやりと椅子にすわり、レモネードを前にして、軽やかな気分に浸っている。なんという無責任! なんという情けなさ! しかし、「重圧から解放された」という喜ばしさを、クニカはまぎれもなく直観している。それは否定できなかった。思考は際限なく散らばっていき、クニカは目が回る思いだった。


〈クニカ〉


 そのとき、クニカの頭の中に、シノンの念話が飛び込んできた。


〈すぐ来てくれ〉


 目的地までの道のりが、思念(エンノイア)として送り込まれてくる。フランチェスカが意識を取り戻しかけていることを、クニカは知った。


 食堂を抜けると、クニカは二階に上がる。廊下に落ちているガラスの破片を踏みしめながら、クニカは目的の部屋にたどり着く。


 部屋には、チャイハネとシノン、それからフランチェスカがいた。フランチェスカはベッドに横たわっており、苦痛に表情をゆがめている。


「破片は全部取り除いた」


 (のう)(ぼん)に、チャイハネは(かん)()を置く。膿盆の中では、ガラスやモルタルの破片が、血にまみれていた。


 フランチェスカの右脚が、ベッドにむき出しにされている。右脚は穴だらけで、ひき肉のようになっている。


「あとは任せたよ」


 チャイハネに言われ、クニカはベッドに寄る。フランチェスカの腕を取ると、クニカはその手を、みずからの額にあてがい、目を閉じる。“救済の光”。まぶたを閉じていても、まぶしさは伝わってくる。隣でシノンが、息を呑むのがわかる。


 クニカは目を開ける。フランチェスカの脚は、もとどおりになっていた。


「左脚もだ」


 チャイハネに言われるがまま、クニカはフランチェスカの左側に回り込んだ。左脚の傷は、そこまで大きくない。“救済の光”により、またたく間にかさぶたができ、そのかさぶたも消え去っていく。


「フラン、聞こえるかい?」


 チャイハネの呼びかけに、フランは目を開ける。


「ここは?」

星誕殿(サライ)だ」

「戦争は?」

「終わったよ」


 フランチェスカは、ベッドから身を起こした。見ず知らずの場所に迷い込んだかのように、フランチェスカは周囲を見回している。


「エリーは?」


 フランチェスカは尋ねる。


「エリーは無事?」


 フランチェスカは、誰かが答えるのを待っていた。チャイハネは答えなかった。フランチェスカの視線が、クニカに向いた。


 よみがえってきた記憶を前にして、クニカは立ちすくむしかなかった。闇がエリッサに触れた瞬間。みずからの血潮にまみれるエリッサの亡骸。生み出された新たな生き物。リンの銃撃。


「ごめん」


 クニカは答える。それ以上は何も言えなかった。誰も何も言わず、みながじっとしていた。


「クニカのせいじゃない」


 フランチェスカが言った。フランチェスカがそう言う前に、永遠の時間が流れたように、クニカには思えた。クニカが聞きたかったのは、そんな言葉ではなかった。フランチェスカが言いたかったのも、そんな言葉ではなかっただろう。


 では、どんな言葉であればよかったのか。そのためには、自分がもっと強くなければならなかったことを、クニカは理解していた。しかし、それは可能性ではあったとしても、現実ではなかった。自分たちの間を横たわっているのは、時間ではなくて現実だったのだと、クニカは気付いた。


「クニカのせいじゃない」


 首を横に振りながら、フランチェスカは繰り返す。フランチェスカは泣いていた。


「寝るんだ、フラン」


 もう一度寝そべるよう、チャイハネはフランチェスカに促す。


「今は寝るんだ。何も考えちゃいけない」

「姉のときもそうだった」


 枕に頭を埋めながら、フランチェスカは言った。


「ミカもそうだった。エリーも。私の知らないうちに」

「フラン――」

「ひとりにしてほしい」


 クニカの言葉に、フランチェスカはそう答える。


「ひとりにしてほしい」


 クニカたちは、部屋を出ていくしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ