141_君は僕の目(Ты - мои глаза.)
巡洋艦から抜け出すと、カイとミーシャは、泳いで海岸を目指す。海の表層は重油に覆われていたが、降り出した雨のお陰で、わずかなすき間があった。そのすき間を縫うようにして、カイとミーシャは、海から顔をのぞかせる。やがて二人は、シャンタイアクティの浜辺へと降り立った。
海岸はめちゃくちゃになっていた。戦闘機の尾翼や、プロペラの残骸が、砂にまみれ、煙を噴いている。テトラポットの近くでは、溶けのこった氷が、海藻とともに油にまみれ、転がっていた。
身体を汚さないように注意しながら、カイとミーシャは、浜辺を歩く。やがて二人は、目的地までたどり着く。プヴァエティカが倒れている場所だった。
「私は大丈夫です」
二人が近づいてきたことに気付くと、プヴァエティカはそう言った。しかし、立ち上がることはおろか、起き上がることさえ、いまのプヴァエティカには難しいようだった。プヴァエティカは肩で息をしており、顔は青ざめ、ひどく疲れているようだった。
「それよりも、ニフシェのところへ」
「キャー。」
ミーシャが黄色い声を上げる。それからミーシャは、
「にぎってくださーい。」
と、カイに手を差し出した。
カイはその手をじっと見つめるだけで、取ろうとしない。
ミーシャは首を傾げてみせた。
やはりカイは、ミーシャの手を取らなかった。
「手を貸してください、カイ」
ミーシャをよそに、プヴァエティカは、カイに声を掛ける。プヴァエティカの腕を取ると、カイは彼女の身体を起す。
カイが、プヴァエティカを立ち上がらせたときにはもう、ミーシャはその場にいなかった。星誕殿にいるニフシェのところまで、ミーシャは向かったようだった。
「ミーシャの手を取りませんでしたね?」
堤防まで、カイはプヴァエティカを運んでいく。一つ目の段差を乗り越えたとき、プヴァエティカが、カイに尋ねた。
「ン!」
「わざと残ったでしょう? あのままニフシェのところへ向かったら、あなたは捧げ物にされていた」
「ウーン。」
「殺すつもりですよ、あの子は、ニフシェのことを」
「ウーン……」
神妙な顔つきのまま、カイはしばらくうなっていたが、それからおもむろに、
「ワカンネ!」
と答えた。とびきりの笑顔だった。
「フフフ……」
プヴァエティカは笑った。
◇◇◇
「来たな」
ニフシェは言った。星誕殿の正門を背後にし、ニフシェはずぶ濡れだった。
足音のする方向に、ニフシェは顔を向ける。視力を喪っているために、そうすることに意味はなかったが、目が見えていた頃の名残だった。
「ミーシャ!」
ニフシェは叫ぶ。茂みをかき分け、足音が近づいてきた。
目は見えなくとも、周囲の生命や、静物が放つ霊気から、ニフシェはそれらの本質を直観することができていた。足音はミーシャのもので、かき分けられた茂みは、ゼラニウムが生えていたところだ。ゼラニウムの花の赤さを、赤さの質感を、ニフシェはまざまざと思い浮かべることができる。
「キャー。」
声とともに、衣擦れの音がニフシェの耳に入る。ミーシャは、手を差し伸べようとしていた。
「にぎってくださーい。」
「ボクを殺そうとしたろう、ミーシャ?」
ニフシェは言う。
「『強い魔力を備える者は、身体に疾患を来す』。失明を原因にして、ボクは魔術性疾患の因果を逆転させた。逆魔法さ。ボクは“巨人”だ。ペルガーリアも、ニフリートも、もうボクには勝てない。キミもだ、ミーシャ。だからボクを殺すのを諦めた。どうした? 何か言ってみろ」
ニフシェに言い寄られても、ミーシャはただ、
「キャー。」
と、黄色い声を上げるだけだった。
「『死ぬのを待つ』? ハッ!」
ニフシェは鼻を鳴らす。差し出された手を、ニフシェは握り締めた。
「まあいい、ミーシャよ。ボクが星誕殿を去るその日まで、キミはボクの目だ」
二人は連れ立って、“救世主”のところまで歩いていく。




