表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第1章:終わりのない平和みたいに(Мост над неспокойной водой)
14/165

014_ぼんやりとした不安(Мглистая Тревога)

――私は、その小さな思念(エンノイア)を、世の中に置いたのだ。

(『大いなるセツ第二の教え』、第16節)

「チャイ、キスしてください」


 名を呼ばれ、チャイハネはベッドから身を起こす。ベッドの端には、シュムが座っている。


 ここは、“おおさじ亭”の二階。元々は客間だった部屋を、チャイハネとシュムが利用していた。


 壁掛け時計を、チャイハネは見やる。時計の針は、夜の十時を指している。


「みんなは?」

「一階で、お客さんを追い返しています」


 あくびをかみ殺すと、チャイハネは伸びをする。「イソジンを取って来るよ」という口実で、チャイハネは一階から抜け出した。そのまま知らず知らずのうちに、ベッドに横になり、寝入ってしまっていたようだ。ずいぶん眠った気もするが、まだ一時間も経っていない。


 (サヴァー)の魔法属性であるチャイハネは、その副作用で、夜に眼が冴え、昼に眠くなる。いつもはウルトラ中央病院で、長め昼寝をしてやりくりしているが、夜に寝たのは、最近では珍しいことだった。


「フフフ、大あくびですね。いい夢だったんでしょうね、きっと」

「え?」

「寝ながら、誰かと話してました」


 眼鏡を外すと、チャイハネは目をこする。寝言を呟いたおぼえも、夢を見ていたおぼえも、チャイハネにはない。


「覚えてないな」

「なら、良かったです」

「どうして?」

「喋っているとき、楽しそうでした」


 足をばたつかせているシュムを見て、チャイハネは察する。自分と楽しそうに話していた人に、シュムはやきもちを()いているのだ。


「ああ、思い出したよ。誰だったか」


 サイドテーブルに置かれたタバコのケースを、チャイハネは掴む。


「誰です?」

「その子、普段は澄ました顔をしてるんだけどね? ドジでさ、あたしの前では甘えん坊なんだ。ツンデレって奴なのかな?」

「それって……」

「駆けっこが早くて、木に登るのも得意。シュムって名前なんだけど――ハハハ!」

「もう! チャイ!」


 ふくれっ面をするシュムを見て、チャイハネは笑う。マッチを壁でこすって火を灯すと、チャイハネはタバコを点火した。


「すねるなって、シュム」


 シュムの頬に手を当てると、チャイハネは自分の唇を、シュムの唇に重ねる。


「あたしは、今が一番楽しいよ」

「ずるいです、チャイ」


 シュムは頬を赤くする。


「でも、私も幸せです」

「そりゃそうさ」


 そうは言うものの、チャイハネは、シュムの言葉が気がかりだった。忘れてしまった夢の彼方で、自分が話しかけていた人物とは、誰なのか。チャイハネの脳裏に、誰かの影が像を結ぼうとしては、霧散してしまう。


 チャイハネは、口から紫煙を吐く。心当たりはなかった。


「チャイ。そのタバコ、何本目ですか?」

「一本目だよ」

「“今日の”一本目ですか?」

「“一時間ぶりの”、かな?」

「もうっ、チャイったら。『タバコはやめる』って言ってたじゃないですか」

「タバコってのは、あたしにとっちゃあ信仰の問題なんだよ」


 冗談のつもりで言ったチャイハネだったが、シュムはクスリとも笑わなかった。


「少ない楽しみなんだからさ、あたしにとっては」

「ほかに楽しいことを見つけてください。でないと、困ります」

「どうして?」

「長生きしてほしいんです」


 手を伸ばすと、チャイハネの膝にあった掛布団を、シュムは自分の手元にたぐり寄せる。


「チャイ、”黒い雨”が上がって、平和になったら、私はシャンタイアクティに行こうと思うんです」

「シャンタイアクティに?」


 西の都がウルトラならば、東の都がシャンタイアクティである。ただ、シャンタイアクティの規模は、ウルトラとは比べ物にならないほど大きい。政治・経済・文化――そのどれを取っても、第一級の都市である。


「行ってどうするのさ?」

「都会へ出れば、仕事がたくさんあります」


 シュムは右腕を曲げると、ちからこぶを作る。


「私にだってできる仕事が、きっと――」

「ええ? エッヘッヘ!」

「もう、笑わないでください」

「ねえ、シュム。仕事なんてほかの人に任せて、キミはのんびり生きた方がいいと思うよ」


 吸っていたタバコを、チャイハネは灰皿でつぶす。


「だいたいキミさ、“幼稚園”のバイトだってクビになったじゃん」

「そ、それは……」

「普通やんないよ? 子供にフロント・スープレックス仕込もうとするなんてさ」

「にゃーん……」


 チャイハネの言葉に、シュムが小さくなる。


「その前だってさ、お手伝いに行った先の人ん()の軒先で、(けん)(すい)して(はり)をぶっ壊しちゃったじゃないか。向いてないんだよ、シュム、『報酬もらって何かをする』ってのが」

「ううっ、チャイ。それでも私、今日はちゃんと、お皿洗いの手伝いができたんです」

「ホントに?」

「はい。今日は、お皿を一枚も割りませんでした!」

「普通は一枚も割らないもんよ」


 とまで言ってしまうと、さすがにシュムがかわいそうだということくらい、チャイハネも分かっていた。だから、それを言う代わりに、


「へえ、そりゃ、良かったじゃん」


 と、チャイハネは言う。


「えへへ、チャイ。私だって頑張れば、仕事のお手伝いくらいできるんです」

「そうね、シャンタイアクティになら、キミにもできそうな仕事があるかもね」

「あ、私が行くときは、チャイも一緒です」

「あたしはいいよ。ウルトラで満足だよ」

「ダメです。私と一緒じゃイヤなんですか」

「んなワケないけど……」

「なら決まりです」


 丸めた掛布団を両腕で抱きしめ、シュムは隣に寝転がる。


「シャンタイアクティのどこかで、仕事を見つけて、二人で暮らして……」


 シュムが、自分に背中を向けているのを確かめると、チャイハネはタバコをもう一本取り出し、今度は指先に込めた魔力を使って、火を灯す。


「チャイだって、毎日働き続けるわけにはいかないですし。二人で働いて、お金が貯まったら、私、資格を取るために勉強したいと思ってるんです。どんな資格があるか、分かってないですけど……」

「勉強ね」


 ずっと黙っているわけにはいかない、と、ただそれだけの理由で、チャイハネは生返事をした。


「そうです、チャイ!」


 だが、そんなチャイハネの意図に、シュムは気付かなかったようだった。シュムの言葉に、力が籠もる。


「私、チャイとやりたいことが、たくさんあるんです! 旅行に行ったり、料理を作ったり、映画を観に行ったり。“黒い雨(ドーシチ)”のせいで、今はダメですけれど、それでもいつかは――」

〈――おうい、シュム!〉


 そのとき、ジュネの大声が、一階から響いてきた。


〈何やってんだよ! 眠っちまったのか! 洗う皿残ってんぞ?!〉

「今行きます!」


 掛布団を隅に置くと、シュムはベッドから身を起こした。


「“お手伝い”に行ってきますね。あと、今日のタバコはそれで終わりです!」

「わかった、分かったよ」


 扉が閉まる音を耳にすると、チャイハネは吸っていたタバコを灰皿に投げ出し、息を吐いた。


 ”それでもいつかは”。シュムの言葉を、チャイハネは反芻する。“黒い雨”が終われば、生き残った人々はやがて、日常へ戻るだろう。チャイハネもシュムも、それは同じである。


 日常へ戻ったとき、自分たちはどうなるか。シュムはずっと、未来を見ていた。それも、自分と一緒に暮らす未来を。そんな未来を語るシュムは、生き生きとしていた。


 立場が逆だったとしたら、自分はあんなにも生き生きと、未来を語ることができるだろうか。チャイハネの頭の中に、疑問が浮かぶ。疑問は渦を巻き、チャイハネの心に散らばっていた不安を吸い取り、膨張する。それはぼんやりとした不安であり、不定形だったが、暗くて、冷たい疑問だった。


「未来……」


 灰皿に乗せたタバコを、チャイハネは再度咥える。チャイハネは、なぜかタバコを旨いと感じなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ