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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第6章:神の子は都(みな)沓(くつ)を履く(Каждый ребенок Божий носит обувь.)
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138_最初の雨(Первый дождь)

――(なんじ)は世の(すべ)てを我らに告げ知らせたるなり。(しか)るになお(しら)せ給え、世の罪とは何ぞやと(あなたはすべてのことを私たちに告げてくださいました。その上でどうぞ教えてください、世の罪とは何でしょうか)。【『マリヤによる福音書』、第7頁】

 座り込んでいたクニカの隣から、か細い鳴き声が聞こえてくる。かつてエリッサだった生き物が、頭をもたげようとしながら、両足をばたつかせていた。


 四肢を痙攣させるようにして、生き物はクニカまで近づこうとしている。まぶたのない瞳は、地面にこすりつけられたせいで、砂にまみれ、血走っている。飛び出した喉仏が、のどの柔らかい皮膚を割いてしまい、血が滴っていた。


 叫び声を上げようと、頭部についた(くちばし)を開くたびに、生き物の小さな脳が、唾液にまみれながら、外へ露出する。その生々しい様子に、クニカは釘付けになる。この世ならざる生き物は、あまりにも不気味で、あまりにも滑稽だった。今すぐ逃げ出したいという感情と、このあと、この生き物はどうなるのだろうという危険な好奇心を前に、クニカの心は引き裂かれていた。


 そのとき、クニカの目の前で、生き物の脳が弾けた。飛び散った脳と唾液の一部が、クニカの二の腕と、シャツにこびりつく。


 静寂に包まれたシャンタイアクティの大通りに、発砲音が、続けざまに鳴り響く。生き物の首が、胴体から千切れ飛ぶ。胴体は、しばらく四肢をばたつかせていたが、やがて動かなくなった。その様子は、頭がもげても、なお動こうともがく昆虫を、クニカに連想させた。


 地面に転がった生き物の頭部に、銃の持ち主は――リンは、なおも引き金を引き続ける。脳も、(くちばし)も、眼球も、銃弾を浴びて混然一体となる。


 弾は撃ち尽くされた。紫煙は晴れた。かつてエリッサだった生き物、クニカが新たに、生を与えてしまった生き物は、土ぼこりと、自らの血にまみれ、再びその死を死んだ。


「あ……」


 取り返しのつかない過ちを犯してしまった。――避けることのできない直観を前にして、クニカは心臓に痛みを覚えた。自分の存在が、自分の生命が、世界から閉ざされ、空虚に取り残されていくように、クニカには感じられた。


 銃を投げ捨てると、リンが近づいてくる。


「ごめんなさい――」


 唇を固く引き結んだまま、リンは拳を握りしめる。殴られた弾みで、クニカは地面に転がる。リンは馬乗りになり、クニカを殴り続ける。二発、三発、四発――。


 腕で顔をかばいながら、クニカはただ、ごめんなさい、ごめんなさい、と泣いていた。誰のために泣き、誰のために謝っているのか、クニカは分からなかった。ただ、痛くはなかった。この世界ではない、どこか遠くの世界へいってしまいたい、このまま殴られ続け、死んでしまいたいとさえ、クニカは思った。死ぬよりも恐ろしいことが、この世界には確かにあるのだと、クニカは知った。


「ごめんなさい……」


 鼻血が口に入り、クニカはむせ返る。殴るのを止め、リンが拳を解く。リンの手は、紫色に腫れていた。


 リンの手を、クニカはじっと見つめる。ナイフを掴み合ったせいで、リンの手はズタボロになっている。唇が切れ、クニカの口の中に、鉄の味が広がった。


 それからリンは、クニカをそっと抱きしめる。リンは何も言わなかった。リンの身体から伝わるぬくもりと、心臓の鼓動――。


「リン」


 クニカは泣いていた。


 クニカの額に、肩に、肘に、水滴が落ちてくる。水滴はたちどころに、街全体に降り注ぎ始める。

市街を覆っていた硝煙が空へと立ちのぼり、それが雲を形成して、陽射しを覆い、雨を降らせていた。“黒い雨(ドーシチ)”の呪縛のない、最初の雨だった。

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