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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第6章:神の子は都(みな)沓(くつ)を履く(Каждый ребенок Божий носит обувь.)
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136_僕だけの王国(Мое собственное королевство)

「どうした、笑えよ?」


 クニカを見下ろしながら、ニフリートが立っていた。エリッサの死体の脇に、ニフリートは何かを投げ捨てる。ペルガーリアが、緑の黒髪を振り乱して、ニフリートの足元に転がる。


「ペルジェ……?」


 クニカが呼びかけるも、ペルガーリアから返事はなかった。それどころか、息をしているそぶりさえない。身じろぎひとつせず、ペルガーリアは、クニカに背を向けたままだった。


「離せ……!」


 クニカの視界の端で、何かが動く。振り向いてみれば、ニフリートに胸倉を掴まれ、リンが街灯に押し付けられている。


 リンを取り押さえる者と、クニカを見下ろす者――ニフリートは二人いた。


「キラーイの火山に落ちて、オリジナルのボクは焼け死んでいる」


 クニカの正面に立つニフリートが、そう言った。


「そのときにはもう、ボクは帝国の技術で複製されていた。クローンという技術だ。チカラアリで会ったろう? あれはα(アルファ)、正真正銘、オリジナルの複製だ」

「そして、ボクは繰り返される。なお『良く生きる』ことを宿命づけられて」


 リンの“影”を踏みながら、もう一方のニフリートが、クニカに近づいてくる。


「ボクたちはβ(ベータ)。オリジナルの改良版だ。使徒騎士たちではもう、ボクを止められない。ペルガーリアでさえも」


 地面に倒れ、土ぼこりにまみれているペルガーリアを、ニフリート“たち”は見下ろす。


「絶望したかい?」


 制御を喪失した戦闘機が一機、クニカたちの頭上すれすれを通り抜ける。元老院議事堂の正面に突っ込むと、戦闘機は燃え上がった。炎に遅れ、雷が空を撃つような音が、周囲に響く。あとはただ、静寂だけが残された。


「わ、わたしを……」


 エリッサは死んでしまった。


 ペルガーリアは動かない。


 リンは磔にされている。


 ニフリートは二人いる。


「わたしを……どうするつもり……?」

「どうもしない」


 風が吹いて、煤が周辺を舞う。


「目的は、もう果たされていた。この戦いが始まる前から」

「“霊長”が、間もなく復活を遂げる」


 ニフリートたちが言う。“霊長”と“竜”。この世界の創世神話が、クニカの脳裡をよぎる。


「“霊長”を前に、世界は生まれ変わる。皇帝(コスモクラトゥール)は、その鍵を手にした。邪魔が入るとすれば、星誕殿(サライ)と、“竜”の魔法使いだけ。時間稼ぎなんだ、クニカ。何もかもが」

「ちがう」

「暇つぶしにすぎない――」

「ちがう……」


 崩壊した街、死んでいった人びと。喪われていったものを前にして、クニカにできることといえば、喪われたものは無価値でないと言明することだけだった。


 ただ、時間稼ぎが“ちがった”として? 暇つぶしが“ちがった”として? すべてを否定し去ったあとに、何が残るというのだろう。残されたのが“正解”だったとして、それには、どれほどまでの価値があるのだろう。


「ちがうよ……」


 クニカは泣いていた。


「なら、証明するといい。『ヨナの(しるし)のほかには、(しるし)は与えられない』。福音が誤りであることを、キミ自身が明かせばいい」


 『マタイによる福音書』、第十六章第四節。


α(アルファ)も言ったろう? キミをコピーできれば、どんなにか面白いだろう、って。皇帝が望むところのものに、ボクは興味がない――」


 クニカの手首を、ニフリートが掴む。指先は氷のように冷たい。骨の山、首を吊った若者たちの列、死に至る病、水の中でもがく女性、心臓に穴の空いた嬰児、老人、炎に包まれる僧侶、青白い光、鉛の味――。夢の中で、初めて出会ったときにのぞき込んだニフリートの心の内側が、クニカの脳裡に繰り返される。


「面白いだろう? キミをコピーすれば、ボクの思念(エンノイア)は、竜の魔性によって実体を帯びる」


 白く、細い歯を見せながら、ニフリートは笑った。


「そのときには、皇帝といえど、ボクには勝てないだろう。世界のすべてが滅び去り、ボクだけが世界に取り残される。ボクだけの国だ。そのときはじめて……ボクは笑うことができるのだ!」


 最後のニフリートの言葉は、ほとんど叫び声に近かった。アア、ッハ?! ッハ?! ッハ?! ッハ?! ッハ――?! ニフリートの隣では、ニフリートが、甲高い笑い声を上げている。


 知らず知らずのうちに、クニカは、ニフリートの瞳の奥を凝視していた。すべての執念を注ぎこみ、すべての力を手に入れたとして、ニフリートは最後に、世界が滅び去るのを望んでいる。それさえも、破滅の欲求ではない。空虚がそこにあるだけだった。


「それでもだ、それでもボクを望まないというのなら――救世主よ、みずからの手で、自分を救ってみろ」


 クニカから手を離すと、ニフリートは一点を指さす。エリッサの死体が、そこには転がっている。


 ニフリートを斃さなければならない。そのためには、楽園函数を復活させなければならない。そのためには、エリッサを生き返らせなければならない。――クニカはただ、そのことだけを考える。


 エリッサの胸もとに、クニカは手を当てる。ダメだ、という声が、クニカの耳に届く。リンの声だった。その声を聞いて、しかしクニカは迷わなかった。もうほかに道はない。クニカはそう思っていた。


 クニカの手の下で、エリッサの心臓が再び動き始める。穏やかな光の下で、エリッサの身体に命が吹きこまれる。なぎ払われた頭部の辺りから、骨が、肉が、血が生み出されていく。それはエリッサのものであり、しかしエリッサのものではなかった。


 クニカの目の前で、エリッサの身体そのものが、新たな生命として再構築されていく。生み出された(くちばし)から、エリッサが鳴き声を上げる。ひっくり返った腕と脚を使って、その生き物は四足で立ち上がろうとする。身体はもろく、関節のあちこちから、血が垂れていた。瞳はあったが、まぶたはない。虚空を見つめながら、生き物はまた鳴く。嘴の奥から、脳が露出する。羊の鳴き声だった。鳴いた弾みで腱が切れ、生き物の頭が地面を這う。


 エリッサの身体に吹き込まれた命は、エリッサのものではなかった。意思を持たず、虚空に鳴く不完全な生命を、クニカはただ見つめるだけだった。


「ウ、フ、フ、フ、フ――」


 ニフリートが笑い出す。初めからニフリートは、こうなると分かっていたようだった。


「アア、ッハ?! ッハ?! ッハ?! ッハ?! ッハ――?!」


 二人のニフリートが、一斉に笑い声を上げる。頭を地面にこすりながら、生き物も鳴き声を上げる。取り返しのつかないことをしまった。生命をもてあそんでしまった。最後に耳に届いたのは、クニカ自身の悲鳴だった。

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