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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第6章:神の子は都(みな)沓(くつ)を履く(Каждый ребенок Божий носит обувь.)
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134_知恵(Мудрость)

 煙の中から放たれる無数の火球を、シノンは矢継ぎ早にかわしながら、市街へ急降下する。


 火球から伝わってくるのは、ルフィナの霊気(アウラ)だった。みずからの直感を疑うわけにはいかず、しかし信じたくないという気持ちが相まって、シノンは、自分の心が永遠に引き裂かれ続けていくかのようだった。


 息を殺すと、煙の中へとシノンは身を投じる。中空のある一点へ、しならせた翼を撃ち込む。生み出された衝撃波により、煙と空気が追い払われる。翼を折りたたむと、シノンはみずからの身体を真空へと滑り込ませる。常人の目からは、シノンが瞬間移動したように見えたことだろう。


 地面に足をつき、剣を抜き放った矢先、シノンの耳に、相手の鞘鳴りが響く。互いの剣の尖端がかち合う。


「ルフィナ……!」


 目の前には、ルフィナがいた。左目は白濁しており、顔と髪には、血がこびりついている。腹部には刺された痕があり、右の腹部には切れ込みがある。致命傷を負っているにもかかわらず、ルフィナは真顔で、シノンをにらみつけていた。


 見逃してならないのは、首筋に穿(うが)たれた、二つの血痕だった。ニフリートの哄笑が響いたような錯覚に、シノンは襲われる。


「ルフィナ!」

「シノン……!」


 シノンの叫びに、ルフィナが応じる。わずかに残った意識を振り絞り、ルフィナはニフリートに抵抗している。しかし、身体は思うようにならないのだろう。ルフィナは長剣を振りかぶった。


 ルフィナの攻撃を、シノンは剣で受ける。これまでも無数に稽古を重ねてきたために、ルフィナの太刀筋を予測するのは簡単だった。何よりルフィナは手負いで、動きはぎこちない。今はシノンが、圧倒的に優位である。ルフィナを止めるには、今しかない。


 しかし、シノンは迷っていた。どちらかが斃れるまで、ルフィナは攻撃を止めないだろう。ルフィナを止めるためには、彼女を殺さなければならない。


 ――戦いが終わったら、また話し合いましょう。ペルジェも、みんなも、きっと分かってくれる。


 菩提樹の下で、ルフィナはイリヤと、そう約束していた。そしてシノンは、その約束を共に引き受けることを、ルフィナと誓っている。ここでルフィナを殺すことは、彼女を裏切ることであり、イリヤを裏切ることでもあり、何より、シノン自身を裏切ることだった。


「シノン……!」


 ルフィナがうめいた。


「迷わないで……迷っちゃダメ……!」

「ルフィナ――!」


 一瞬のことだった。親友の言葉を前にして、シノンの踏み込みが甘くなる。シノンは上から、ルフィナは下から、それぞれ剣を振りかぶる。振り下ろされた長剣の勢いに弾かれ、ルフィナは剣を取り落とす。長剣は地面を滑り、煙の中へと消えていく。


 しかしそのときには、シノンの手からも、剣は離れていた。ルフィナに弾かれ、長剣は中空を舞う。踏み込みの甘さのせいで、重心は上がり、シノンはたたらを踏む。


 その隙を、ルフィナは――ニフリートは――逃がさない。ルフィナの右の拳がきらめき、炎が渦を巻く。炎の拳が、シノンに殺到する。


 シノンは、避けきれなかった。ルフィナの炎の拳が、シノンの顔の左半分をかすめる。灼熱の拳を前にして、皮膚の水分は瞬時に蒸発し、左の眼球が焼けつぶれる。


 シノン! ルフィナの叫び声が、遠くから聞こえてくる。すべてが終わったのだと悟り、シノンは目を閉じる。自分はここで斃れる。親友を助けることはできなかった。弱さを共に引き受けることはできなかった。「死に急ぐな」というマルタとの約束も、果たせそうにない。レイラは泣くだろう。アニカに合わせる顔がない――。


 たくさんの記憶が、シノンの脳裡に去来する。そのとき、シノンの脳裡に、ひとつのイメージが立ち現れた。それは、シノンの知らない、外からやってきた直感だった。どこかの祠で、イリヤを中心にして、多くの準騎士たちが、思念を捧げている。この市街に残った全ての人たちに対して、後輩たちは祈り続けている。


 シノンの心を打ちのめそうとしていた様々な煩悩(プラネー)が、一斉に散りぢりになる。後に残ったのは、絶対に諦めてはならないという勇気だけだった。その勇気を前にして、自分の生命が喜ぶのを、シノンは感じ取った。生きるためのエネルギーが、シノンの全身に満ちていく。


 シノンは右目を開く。宙を舞っていた長剣が、自分のところまで落ちてくる。


 かかとに力を籠めて、シノンは踏みとどまる。右手を伸ばして剣を掴むと、シノンは、ルフィナに振りかぶる。勝負は決したと、ルフィナは考えていたのだろう。身体はシノンの正面に開かれており、隙だらけだった。


 ルフィナの身体に、シノンの長剣が食い込む。袈裟懸けにされ、ルフィナは倒れ込んだ。間髪入れずに、シノンはルフィナに飛び乗る。背中から展開した翼で、ルフィナが生み出そうとしていた炎を押しつぶす。


 長剣を逆手に構えると、シノンはその切っ先を、ルフィナの喉元に当てがおうとする。ルフィナは先端を両手で掴んだ。手のひらに穴が開き、ルフィナの首が血に濡れる。


「キミを殺すのは……たやすい……」


 炎に焼かれ、溶けた顔の一部分が、ルフィナの身体に垂れる。シノンの顔の左半分は、完全に焼けただれていた。


「シノン……ありがとう」


 シノンの長剣を防いだまま、ルフィナが言う。唇の端で、ルフィナは笑顔を作ろうとしていた。


「今までありがとう……!」

「諦めるんじゃない!」


 シノンは叫ぶ。


「イリヤたちは諦めてないんだぞ……! キミが先に諦めて……どうする……!」

「勝ちにこだわるのよ、シノン……」

「知恵を絞るんだ」


 ルフィナの右目、その黒い瞳を、シノンは見つめる。ルフィナの身体を押さえつけていたシノンの脚の力が、少しだけ緩くなる。


「何かができるはずなんだ、ルフィナ……」

「愛してる」


 ほんの一瞬の出来事だった。上半身をよじると、ルフィナはみずからの白い喉を、シノンの剣の尖端に捧げる。


「あっ!」


 止める暇はなかった。ルフィナの喉は裂け、あふれた血が、シノンの服を真っ赤に染める。立ち上がったシノンの目の前で、ルフィナはぐったりと、両手足を広げる。


 ルフィナの唇が、かすかに動いた。さようなら、と、ルフィナは言っていた。


 ルフィナは死んだ。

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