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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第6章:神の子は都(みな)沓(くつ)を履く(Каждый ребенок Божий носит обувь.)
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 息を止めると、リンは鉛色の結界に触れ、それを突き抜ける。結界の内側は一段寒く、リンは奥歯を噛みしめる。


 星誕殿(サライ)の中庭に、リンは降り立った。出ていったときと、様子は変わらない。人の気配はなく、静まり返っていた。


 所在なさを覚え、リンは空を見上げる。外からは鉛色に見える結界も、内側からは透きとおっている。シャンタイアクティの北部の町並みは、炎と煙で黒く光っている。その更に上には、シノンの翼が見える。しかし、それだけだった。音も、熱も、星誕殿(サライ)には伝わってこない。日陰棚の蔓の合間からは、小鳥たちのさえずりが聞こえた。


 “歳星の間”の正面に、リンはたどり着く。鉄扉に触れながら、リンは耳をそばだてる。中からは、何の音も聞こえてこなかった。


 リンは息を吐いた。扉の向こう側には、使徒騎士のリテーリアがいて、彼女と対峙しなければならない――リンはそう予感していた。勝てる保証はどこにもない。それどころか、リンが生き延びられる保証さえない。瞬殺かもしれない。


 しかし、リンはためらわなかった。扉を開ける。闇に包まれた“歳星の間”の中へ、リンは一歩を踏み出す。


「出てこい!」


 リンの背後で、扉が閉まる。 暗闇に、声が吸い込まれていった。


「リテーリア――」


 話を続けようとして、リンは言いよどむ。名を呼んで――リテーリアが現れたとして――自分は何をしたいのか? リンは思い直した。自分がしたいことは、相手を打ち負かすことではない。


「オレと話をしよう、リテーリア」

「――その必要はない」


 闇の合間から、ひとりの人物が姿を現す。ニフリートだった。


「どうしてお前が?」

「はじめから、リテーリアなんていない」

「“いない”?」


 ニフリートの言葉を、リンは繰り返す。


「そう。そんな人間は、初めからこの世にいない。だから、傷つけられたエリッサもいないし、欺かれたニフシェもいない。ミカイアも死んでおらず、救世主はこの世に降りてこず、ボクもまた、キラーイの噴火口では焼け死んでいない――」

「ふざけんな!」


 狂言じみたニフリートの言い方にかっとなって、リンは腕を伸ばす。ニフリートの胸倉に指が触れた刹那、その姿が消え去った。


「なんだ……?!」

――あなたの妹だって、死んじゃいないのよ。


 リテーリアの声が、“歳星の間”の全体から響く。リンの目の前に、白い幻が浮かび上がった。


――死にたくない……。

――しゃべるな、リヨウ!


 幻は、オミ川のほとりを映している。ウルトラまでの疎開の道中、リンたちを乗せた列車は、事故に巻き込まれた。リンは脱出できたが、リヨウは深手を負い、助からなかった。この場でリンは、妹のリヨウを喪い、クニカと出会った。


 幻の中央には、リンと、リヨウの姿が見える。映りこんだリヨウの姿に、リンは釘付けになる。


――きっと良くなる、きっと良くなるから……!

――死にたくない……。


 幻の中で、リンはあえぎながら、リヨウの血がこれ以上流れ出ないよう、必死にすくっていた。もうやめろ、と、かつての自分に声を掛けたくなる衝動に、リンは駆られる。もうやめろ、そんなことをしたって、リヨウは助からないんだ。――ただ、だれに何と言われても、当時の自分は耳を貸さなかったことは、ほかならぬリン自身がよく分かっていた。だからリンは、幻影を前にして、立ちすくむことしかできなかった。


 やがて、幻影の輪郭がかすれていく。


――よしなさい、リン。もう自分を責めるのは。


 リンは泣いていた。


――喪った妹のことを、あなたは考え続けている。クニカを見るたびに、それを思い出す。トラウマを乗り越えようと頑張ってきた。立派よ? だけど、もう頑張らなくていいの。「堪えよう」と思うその気持ちが、煩悩(プラネー)を大きくしている。


 リテーリアの声が大きくなる。


――今は煩悩(プラネー)を手放すときよ。

「何だって?」

――怖がらないで。あなたなら乗り越えられる。あたしに、その手伝いをさせて――。

「そうやって……丸め込まれたんだな」


 奇妙な沈黙が、一瞬だけ周囲を支配する。


――どういう意味?

「アンタだよ」


 リンは目元を拭い、鼻をすする。


「妹を……リヨウのことを考えなかったかといえば、嘘になる。たぶん、これから先も、一生考え続けると思う。だけどオレは、アンタが考えるようには考えていない。だからさ、何が言いたいかって言うと……逆なんじゃないか?」


 リテーリアからの返事はなかった。しかしリンは、相手が怒りを喉の奥にこらえているのを感じ取った。


「家族が死んだんだよな、アンタも? それで、アンタも思うところがあった。オレが、アンタと全く同じことを考えるのを、アンタは期待してる。だけど、そんなのは無理だ。アンタはオレの人生を生きられない。オレが、アンタの人生を生きられないのと同じように。だとしたらさ――」


 闇の中、リンはおっかなびっくり、“歳星の間”の中心へと足を進める。


「だとしたら、捨てるべきなのは、オレの煩悩(プラネー)じゃない。アンタのだよ。捨てるのかこだわるのか、徹頭徹尾アンタの問題だろ?」


 次の瞬間、リンの背後から、強い風が吹き抜けた。空を打つ音が轟いてから、周囲は再び静寂に包まれる。しかしリンは、静寂の内側に、怒りと殺意が息を潜めているのを感じ取った。


――それがあなたの答えね。


 リテーリアの声は震えていた。その震えに、怒りの感情が押し込められているのを、リンは嗅ぎ取った。


――チャンスを与えたつもりだったのよ。いいわ。好きにしなさい。ただ、ここから出られると思わないで。

「まだやり直せる……って、言ってもムダか」


 リンはナイフを取り出す。磨き抜かれているはずの刀身も、反射するべき光を受けられないせいで、どこにあるのか分からなかった。


――それで私と戦うの?


 リテーリアがせせら笑う。


――使徒騎士に対する、敬意がないんじゃないかしら? でも、それでいい。この闇の中で、私がどこにいるのか、当ててみなさい。ただ、外したら最後――


 それ以上のセリフを、リンは聞こうと思わなかった。みずからが信じる方向に、リンはナイフを振りかぶって投げる。迷いはなかった。


 湿った音とともに、悲鳴が響きわたる。その悲鳴は、共感覚(テレパシー)としてではなく、ある一地点からの声として、リンの耳に届く。


 闇が溶け出し、世界が輪郭を取り戻していく。“歳星の間”の中央にはリンがいて、リンの向くところには、リテーリアが立っている。


「痛い……!」


 声を絞り出しながら、リテーリアが膝をつく。リンの投げたナイフは、リテーリアの喉を貫いていた。


「やっぱり、クニカが行くべきだったのかもな」


 リテーリアを見下ろしながら、リンは言う。開け放たれた小窓から、小鳥たちが入ってきた。

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