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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第1章:終わりのない平和みたいに(Мост над неспокойной водой)
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013_天下一品(Несравненный)

 セヴァを”幼稚園”へ送り届けてすぐ、”雨”は止んだ。


 迎えに来たお母さんに、セヴァはこっぴどく叱られた。ミーナも一緒に叱られ、二人とも泣いていた。そんな二人を見て、セヴァのお母さんも涙ぐんでいた。


 セヴァたちを見送ると、リンやシュムに遅れて、クニカは”おおさじ亭”までの帰路についた。そのときにはもう、雨除けの結界は解除されており、夜のとばりは、刻一刻とウルトラの市街を包みはじめていた。”黒い雨”の中でセヴァを探し回っていたために、クニカは、二回目の夜を迎えているかのような気分だった。


 ”おおさじ亭”までの最後の角を曲がった途端、クニカの()(こう)を、料理の匂いがくすぐった。


「おい!」


 軒先に停車されていたトゥクトゥクの影から、リンが姿を見せる。


「手伝え。人手が足りない」

「手伝い?」

「皿洗いだよ! 早くしろ!」


 リンに腕を掴まれ、クニカは”おおさじ亭”に入る。


「おおっ?!」


 クニカは声を上げた。店内はごった返しており、テーブルには、料理がところ狭しと並べられている。ジョッキにはビア・ウルトラがなみなみと注がれており、客は皆上機嫌で、爆笑したり、大騒ぎしている。


「ジュリ! クニカが来たぞ!」

「助かったわ!」


 新しいビア・ウルトラの瓶を冷蔵庫から出していたジュリが、クニカを見るやそう言った。


「クニカちゃん、オーダー手伝って」

「皿洗いじゃないの?」

「ダメ! オーダー! シュムちゃんじゃ全然ダメ!」

「にゃーん……」


 シュムのかぼそい声を聞き、ここでクニカも、シュムがレジスターの近くで小さくなっていることに気付いた。配膳を手伝おうとして、シュムはやらかしたのだろう、と、クニカは察する。


「それじゃあさっそく――」

「おおい! ジュリ!」


 そのとき、厨房から吠え声が上がった。(サバーカ)が吠えているかのような声だった。


「ジュネ?」


 クニカは驚く。まぎれもなくジュネの声だったが、いつもの様子からは想像もつかないくらい、声は迫力に満ちていた。


「さっさと飯持ってけ!」


 厨房で、チャーハンを豪快に炒めながら、ジュネが吠える。


「料理が冷めちまうだろ! わんわんわんわんわん!」

「うるさいなあ。あっ!」


 カウンターに乗せられたチャーハンと、注文伝票とを代わる代わる眺めていたジュリが、ジュネに負けないくらいの大声を出す。


「誰もチャーハンなんて注文してないじゃない! そそっかしいんだから! にゃんにゃんにゃごにゃご!」

「あのさ、リン」


 クニカは尋ねる。


「お店やってるときって、いつもあんな感じ?」

「料理になると、人が変わるんだ」

「ははは、始まった!」


 ジュネとジュリ、姉妹のやりとりが始まった途端、円卓が盛り上がり始める。


「”雨”が降る前を思い出すよ」


 男性客のひとりが、しみじみとそう語る。


 と、大皿のチャーハンを抱えたジュリが、クニカのところにやって来る。


「クニカ!」

「は、はいっ」

「はい!」

「はいっ。――はい?」


 「はい!」の一言で、クニカはジュリから、大皿のチャーハンを渡される。


「仕事変更よ。そのチャーハン、平らげちゃって」

「えぇ……?」

「いいのか、注文?」


 大皿のチャーハンを渡され、逡巡しているクニカを横目に、リンが尋ねる。


「あんたがやればいいでしょ、リン!」

「何でオレなんだよ? 日中働きづめで、くたくたなんだぞ。オレだって食べたいよ、チャーハン!」

「うるせえ! 石でも食ってろ!」


 リンの声が聞こえたのか、厨房にいたジュネから声が飛んだ。声が飛んだ瞬間、


「ぶちっ、」


 と、リンの頭の辺りから、何かがキレる音がした。


「あっ、あっ」


 クニカは慌てる。クニカもようやく学習したのだが、チカラアリ(びと)が怒るときには、


「ぶちっ、」


 という、何かがキレたような音がする。血管がキレた音――なのかどうかは分からないが、リンがキレているのは明らかだった。


「あのさ、リン、チャーハン一緒にさ、……うげえっ?!」

「いよう、クニカちゃん、座りなよ」


 後ろから引っ張られ、クニカは椅子に尻餅をついた。ビア・ウルトラでご機嫌になったチカラアリ(びと)の男性客が、クニカを誘ったのだ。


「気にすんなって! おい誰か、クニカちゃんにも()いでやれ」


 円卓に座っている人たちは、(さじ)を使ってチャーハンをすくい始める。チャーハンの山が、クニカの目の前でどんどん溶けていく。


「わたし、未成年――」


 クニカの弱気な発言は、注がれたビア・ウルトラの、泡が弾ける音にかき消される。


「隣のイーゴリの爺さん、面倒見とってくれよ」

「イーゴリ爺さん?」

「はっひゃあっ?!」


 隣からの奇声に、クニカは肩をすくめる。見れば、お酒で顔を真っ赤にした老人が、ぼんやりとシーリングファン(天井のプロペラのこと)を見つめている。


「あの、チャーハン食べます?」

「わしゃ、モテるんぢゃああっ?!」


 やばい、とクニカは思った。


「おい、爺さん! 何抜かしてんだよ? クニカちゃんが『やばい』みたいな顔してるぜ」

「わ、わたしは別に――」

「はっひゃあ?」


 男性の言葉にも、イーゴリ爺さんは気の抜けた返事しかしない。


「ダメか」


 男性は肩を落とすと、取り皿に取ったチャーハンを食べ始める。


「マジでボケちまったみたいになってるな」

「リン、やめてってば」


 厨房にいるジュネに向かって、リンはがむしゃらに突っ込もうとしている。そんなリンの右腕に、ジュリが追いすがっている。


「冷蔵庫のローン残ってるんだから! 暴れないでって! ちょっと、チャイ、手伝って!」


 クニカは驚いて、ジュリの声が飛んだ方向を見つめた。今まで気付かなかったが、厨房の片隅には、確かにチャイハネがいて、野菜を切っていた。


 ジュネほどではないにせよ、チャイハネは料理ができる。その腕を見込まれて、ジュネに手伝わされているのだろう。


「イソジンしかないんだ」


 ジュリの方向を見もせずに、チャイハネは言った。チャイハネの声は不機嫌そうであり、あたかも「せっかく目立たないように厨房にいたのに、騒ぎに巻き込まれるのはゴメンだ」とでも言うかのようだった。


「イソジンじゃ、殴り傷はどうしようもない。あのさ、ジュネ、聞いてる?」

「おい、やるってか?」


 エプロンをチャイハネに押し付けると、ジュネが厨房から飛び出す。


「鷹だか鳩だか知らねえが、唐揚げにしてやんよ」

「今日という今日はキャンキャン言わせてやるかんな」


 客席の中央で、ジュネとリンが飛びかかろうとした、そのとき。


「うおーっ?! アハハ、おっかない顏だゾ」


 勝手口の扉が開け放たれたかと思えば、厨房に人が入って来た。カイである。カイは、肩をいからせてにらみ合っているジュネとリンを見ながら、白い歯を見せて笑っている。


「ジュネ! 魚獲って来たゾ」

「おおっ! 待ってたぜ!」


 ジュネが(きびす)を返したのと、リンが飛びかかったのは、ほぼ同時だった。リンが狙いを定めた位置には、ジュネはもういない。 “おおさじ亭”のリノリウムに、リンはおでこから着地する。


「シュム、皿洗いは任せたよ」


 ジュネから預かったエプロンを、チャイハネはそのまま、シュムに手渡した。


「どうするんです、チャイ?」

「イソジン取って来るよ、バカの頭に塗っとかないと」

「大丈夫?」

「クッソー……」


 席を立つと、床にへばっているリンの肩を、クニカはさする。おでこを強打した痛みのあまり、リンは立てないようだった。


「すげえじゃん、カイ!」


 一匹の魚の尾を掴むと、ジュネが目を輝かせる。カイが背負っている魚籠(びく)の中には、たくさんの川魚がうねっている。


 そういえば、と、クニカは思い出す。“おおさじ亭”に帰るとき、クニカはカイと一緒に帰ろうと思っていた。ところが、いくら“幼稚園”の辺りを探しても、カイはいなかった(待つことが苦手なリンは、さっさと帰ってしまった)。


 きっとカイは、ウルトラ市内の水路を泳ぎ、リンより早く“おおさじ亭”へ戻っていたのだろう。そこでジュネが、川魚を獲って来るよう、カイに頼んだのだ。


「短時間で、よくこんなに――」

「ジュネ、その魚、どうするんです?」


 ちゃっかりとエプロンに身を包んだシュムが、魚を見て、目を光らせている。その隣では、ジュリも同じように、目を光らせている。“ネコ”系統の魔法使いは、魚に釘付けのようだった。


「“チャーカー”にする」


 抱えている川魚を、ジュネはまな板に乗せる。“チャーカー”とは、白身魚の揚げ物のことである。


豆腐(ダウ)がまだあったろ? ソイツと絡める。残りは鍋! 鍋だ! 鍋を用意しろ、ジュネ! まだ野菜は残ってる――」

「あ、もうチャーハンないじゃん!」


 クニカに付き添われ、席についたリンが、空になった大皿を見て、声を上げた。


「ちぇっ。食い損なったよ」

「リン、落ち着いてってば」


 リンの眉間にできた大きなたんこぶに、クニカは“救済の光”を当てて癒す。


 客席では、空になった皿とビール瓶とを、ジュリが手際よく片付け、鍋の準備をしている。厨房では、ジュネがものすごい包丁さばきで魚を切り身にしており、その傍らでは、シュムがせっせと皿を洗っていた(チャイハネはいなかった。イソジンを口実にして、二階へ逃げ込んだのだろう)。一仕事を終えたカイは、隣の円卓について、ほかの客と大笑いしている。



◇◇◇



「おい、リン!」


 厨房から出てきたジュネが、皿を携えて、クニカとリンのいる円卓までやってきた。


「店主みずからお出ましかよ」


 空になったジョッキを、リンは振り回す。すでにリンは、ジョッキを二つ空にしている。にもかかわらず、リンの顔はいつものように白く、酔ったそぶりはなかった。


「気が利くじゃねえか。謝りに来たんか? 許してやんよ」

「ばーか。逆立ちしたってゴメンだね。ほら、爺さん!」


 ジュネは持っていた“チャーカー”の大皿を、イーゴリ爺さんの前に置く。だが、イーゴリ爺さんは膝に手を置いたままで、箸を取る気配がない。


「おら、爺さん、食おうぜ!」


 隣にいた男性が、イーゴリ爺さんの肩を叩く。イーゴリ爺さんは目を丸くして、男性の方を見つめた。まるで、男性が近くにいたことに、イーゴリ爺さんは気付いていないようだった。


「ジュネ番長がせっかく作ったんだからさ。冷めねえうちにさ」

「感想聞かせてくれよ、爺さん」


 腕を組んだ姿勢で、ジュネは小刻みに右足で床を叩く。


「立ちぼうけになっちまうよ」

「ほら、爺さん」


 男性に促され、イーゴリ爺さんは“チャーカー”を箸で摘まむと、頬張った。


 このとき、クニカは、自分がイーゴリ爺さんの様子に釘付けになっていることの不思議さに気付き、ふと顔を上げて、周囲を見てみた。すると、クニカのいる円卓だけではない、ほかの円卓で大騒ぎしていたはずのチカラアリ人の客たちも、みなイーゴリ爺さんが食べる様子を、じっと見つめていた。


「せがれだ」


 不意に、イーゴリ爺さんが呟いた。


「”せがれ”?」


 ジュネの眉間に、しわが寄る。


「どういう意味だよ」

「せがれの――せがれの嫁と――同じ味だよ!」


 箸でチャーカーを指すと、イーゴリ爺さんは言った。その口元には笑みがこぼれており、目は輝いていた。


「わっはっは! 何だよ、爺さん!」


 隣にいた男性が、大声で笑いだした。それにつられ、周囲の円卓からも爆笑が起こる。


「思い出したんだよ! せがれの嫁の――」

「あっはっは――あっはっは――」


 笑っている周囲の客に向かって、イーゴリ爺さんは泣き笑いのような表情を浮かべながら、ジュネの作ったチャーカーを口いっぱいに頬張っていた。


 爺さんの突拍子もない言葉に不意を突かれたのは、クニカも同じだった。初めは周りにつられているだけだったが、次第におかしくなってきてしまい、クニカも笑っていた。笑い過ぎて、涙がでるほどだった。


 クニカはジュネを見る。ジュネはニコリともしていなかった。顔は白くなっており、その場に立ちすくんでいるようだった。そんなジュネの傍らに追いすがると、ジュリが腕を引っ張る。ジュネとジュリの姉妹は、神妙な顔をして、互いに顔を見合わせている。


「思い出したんだ!」


 周囲のにぎわいの中で、イーゴリ爺さんは“チャーカー”を食べていた。笑顔だった。

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