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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第6章:神の子は都(みな)沓(くつ)を履く(Каждый ребенок Божий носит обувь.)
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128_巨人の歩幅(Походка гиганта)

――我は火を地に投ぜんとて来たれり。我はこの火の燃えたるを守る。【『トマスによる福音書』、第十節】

 左の拳に集めた“天雷”を、オリガは戦車に(なげう)つ。殺到した稲妻に薙がれ、砲塔やキャタピラがばらばらに宙を舞った。


「ふうっ」


 額から流れる汗を手で拭うと、水煙の向こう側に、オリガは目を細める。ルフィナの熱気を遠くに感じつつ、オリガは地上で戦っている。砲撃の音や、戦闘機の低くうなる音は、大分少なくなった。ルフィナの火力と、プヴァエティカの陽動により、帝国軍の大半は壊滅したようだった。


 しかし、“真の敵”はまだ残っている。――手のひらに集まった汗のしずくを、オリガは見つめる。汗には煤が混じり、”(ドーシチ)”のように黒くなっている。


 背後から、冷気のようなものを感じ取り、オリガは振り向いた。みずからに向けられた殺意なのだと感知したときには、オリガはもう、長剣を抜き放っている。


 ひとりの少女が、オリガの方まで近づいてくる。左手に構えられた長剣が、周囲の炎を受けて、まだらに輝いていた。星誕殿(サライ)を裏切り、サリシュ=キントゥス帝国の側にいるかつての使徒騎士、”(ディアブロ)”の魔法属性の少女・ニフリートだった。


「ニフリート……」


 上段の構えを取りながら、オリガはニフリートににじり寄る。ニフリートは、ペルガーリアと戦っていたはず。にもかかわらず、彼女は今、オリガの目の前にいる。ペルガーリアが負けたとでもいうのだろうか? しかしオリガには、そうは思えなかった。ペルガーリアもニフリートも”巨人(ギガント)”である。“巨人”が斃れれば、周囲は気付かずにはいられない。強烈な”虫の知らせ”を、必ず直感するはずだった。


「ペルジェをどうした?」


 答える代わりに、ニフリートは背筋を伸ばし、身体の正面に剣を構えた。ニフリートの型だった。


「ダンマリか」


 魔力を全身にみなぎらせ、オリガは跳躍する。互いの剣が交錯し、かん高い音を立てる。


 左腕を前に突き出すと、ニフリートは半身になる。ニフリートの修めた型は、剣さばきの精密さに特化している。騎士どうしの戦闘を想定した型で、手首のスナップ、剣を握る指の緩急で、蛇のように剣を操る。


 対するオリガは、陽動と攪乱に特化した型だった。魔力の助けを借りて、跳躍し、回転しながら剣戟を繰り出すのが、オリガの持ち味だった。


 開かれた場所で、オリガの型は威力を発揮する。ニフリートの剣先を見切りながら、オリガは相手の足下に潜る隙をうかがう。


 オリガと同じ型の修得者は、上からの攻撃を重視するが、オリガは逆だった。”(ソーム)”の魔法属性であるオリガは、地中にみずからを沈ませることができる。低い位置から相手に近づき、相手の姿勢が崩れたところを仕留めるのが、オリガの真骨頂だった。


 オリガの意図を、ニフリートも見抜いているだろう。膝の関節や、(しょう)(こつ)腱をねらった突きが、オリガに繰り出される。


 ただ、オリガには意外なことがあった。それは、ニフリートと自分の実力が伯仲しているということ、それどころか、自分の方がやや優勢であるという事実だった。


 星誕殿(サライ)において、ニフリートは特異な存在だった。普通は、先輩から剣術の手ほどきを受けて型を身に着けるものだが、ニフリートは独学で、ほとんど我流で、今の型をものにしている。にもかかわらずニフリートは、正当な訓練を受けたはずのオリガよりも数倍は強かった。


 ところが今、ニフリートはオリガの攻撃を嫌って、少しずつ後ずさっている。陽動か、罠か? あえて弱いふりをして、油断するのを待っているのだろうか? オリガの心に、疑惑の影が射す。


 しかし――と、オリガは考えなおす。ニフリートの実力が今までどおりならば、端から自分に勝ち目はない。ただ、もし今までどおりでなかったとしたら? 自分は今、勝利の機会をみすみす逃している。


 はっきりしない疑惑に怯えるよりも、今は賭けるべき時だ。――奥歯を食いしばり、オリガは左手をニフリートに突き出す。手のひらで天雷がほのめき、ニフリートに飛び出していく。


 オリガの左腕の袖を掴むと、ニフリートはオリガをたぐり寄せる。腕を剣で斬り飛ばそうに、オリガはニフリートに近すぎる。うかつに斬り込もうものなら、ニフリートも無事では済まされない。となると、天雷を操る腕そのものをたぐり寄せるしか、ニフリートに方法はない。


 オリガの左腕は伸びきり、背中はがら空きだった。肘を折り畳めば、ニフリートはオリガの首を、後ろから刺し貫くことができる――。


 しかしそれは、オリガの狙いどおりだった。ニフリートが肘を折り畳んだ矢先、オリガは”(ソーム)”の魔法を解き放つ。剣は空振り、片腕を折りたたんでいたせいで重心の移動に失敗する。今度は反対に、ニフリートがオリガに背を向けていた。


 これまでにないほど、ニフリートの動きは精彩を欠いている。――ニフリートが後ろに身をよじったときには、勝負はついていた。


「油断したな!」


 ニフリートの両脚を、オリガは左腕で抱え込む。抱え込むと同時に、オリガの背中に施された刺青(タトゥー)が、魔力を受けて青く光る。魔力を怪力に変換する刺青だった。


 ニフリートが剣を振り下ろす前に、オリガが左腕を()める。怪力に締め上げられ、ニフリートの両膝の関節が、反対方向に折れ曲がった。


「終わりだ!」


 崩れ落ちたニフリートの上半身に、オリガは下から剣をあてがう。ニフリートの丹田にあてがわれた剣は、その身体を垂直に貫いた。長剣を振り上げたはずみで、オリガは地上に躍り出る。


 そして――。


「あっ?!」


 オリガは悲鳴を上げる。縦に真っ二つになったニフリートの身体からは、黒い液体が噴き出した。“黒い雨”だった。身をひるがえし、オリガは間一髪でそれをかわす。


「嘘だろ……?」


 オリガの目の前で、ニフリートの亡骸は、泡を噴き出しながら蒸発する。瞬きひとつしないうちに、ニフリートの亡骸は溶け去ってしまった。


 自分の手のひらを、オリガは見つめなおす。斬った手ごたえに間違いはない。ただ、ニフリートが(たお)れたという確信を、オリガは得ることができなかった。



   ◇◇◇



 太陽が南中する。正午の日射しを浴び、街区の一画に立ち並ぶ鐘楼が、一斉に音色を奏でる。


 広場の中央に、ルフィナは座している。炎に呑まれる前、ここは遊園地だった。後ろの観覧車は、個々のゴンドラが火をまとい、煙を吐いている。隣では、異常な熱で誤作動を起こしたコーヒーカップが、金切り音を発しながら、ねずみ花火のように回っている。


 燃える遊園地の中で、煙草を()みながら、ルフィナは正面を見つめていた。


 市街の北部は、火と煙に没している。それでいて、燃えさかる街並みには、空中で凝結した水分が、散発的に降り注いでいる。ペルガーリアの光も、煙の中、炎の中で輝いている。ルフィナは黙って、静かに紫煙を吐く。


 ”蜥蜴”の魔法属性であるルフィナは、炎や熱を自在に操ることができる。ペルガーリアの光を攪拌し、ニフリートの”神の鉄槌”を阻むためには、街全体を水煙に隠す必要があった。


 霧を持続させ、水分の凝結を防ぐためには、熱を送り続けるしかない。ルフィナの炎は、その役目を引き受けた。燃える街は、その代償だった。


 古い時代からある鐘楼群も、水道橋の遺構も、先祖を祀った聖塔(パゴダ)も、学校も、庭園も、屋台も――ルフィナの知る街は、炎にただれ、灰に還ろうとしている。


 炎の中で、ある一人の人物を、ルフィナは待っていた。やがて煙の向こう側から、その人物が姿を現す。ニフリートだった。吹き寄せる熱風にもかかわらず、ニフリートは汗ひとつかいていなかった。


 煙草を捨てると、長剣を握り、ルフィナは立ち上がる。


 炎に照らされ、ニフリートの”影”が踊る。”(ディアブロ)”の魔法属性であるニフリートは、影を操ることができる。


 ニフリートの実体と影とを、ルフィナは交互に見やる。実体に集中しすぎるあまり、影に不意を突かれる可能性は、常にあった。


「どうして星誕殿(サライ)を裏切るのです?」


 近づいてくるニフリートに、ルフィナは尋ねる。ニフリートも既に、剣を握っていた。


「ペルジェが憎いのですか?」

「ボクはペルジェを尊敬している」


 唇の端をゆがめるようにして、ニフリートが笑う。


「ペルジェもきっとそうだ。神を信じる者だけが、神を殺すことができる。陳腐な言い方だけれど、そういうことさ」

「それが理由ですか」

「いや」


 互いに、相手の間合いに入れるぎりぎりの距離で、剣を構え合う。


「ただ退屈なだけさ」


 それが合図だった。肘を折り畳むと、ニフリートはルフィナの間合いに踏み込む。長剣の先端は、ルフィナの喉を狙っていた。


 対するルフィナも、ニフリートに一歩踏み込んでいた。長剣を真横に振りかぶると同時に、ルフィナは魔力を解き放ち、みずからの身体を白い炎で包む。


 炎に押され、ニフリートは一歩しりぞく。その隙を、ルフィナは逃さない。


 ルフィナの型は、踏み込みと、一撃の重さを重視した、攻撃よりの型だった。相手を威力で圧倒しようとする分、剣を振り抜くリスクも、隙だらけになるリスクもある。


 ニフリートは、剣さばきの精密さに特化した型である。少しでも隙を与えようものなら、手数で勝負され、ルフィナは不利になる。ニフリートを正面に捉え、絶えず踏み込み、剣戟を休めない――これがルフィナの目論見だった。


 ニフリートの表情が険しくなる。その心に迷い(プラネー)が生じるのを、ルフィナは見逃さなかった。


 ルフィナの心に、確信が芽生える。星誕殿(サライ)の前に、ニフリートが再び姿を見せるまで、一年以上の歳月が流れている。その間、ニフリートも決して稽古を怠っていたわけではないだろう。


 しかしそれは、ルフィナたちも同じだった。加えてニフリートは、稽古に適した相手を持たず、騎士たちとの集団生活から離れ、霊化が進まなかったのだろう。たった一年。“巨人(ギガント)”の歩幅を前にしては、わずかな歳月だったにせよ、ニフリートは間違いなく、立ち止まっていたのだ。


 真上から、ルフィナは剣を振り下ろす。ニフリートはそれを、長剣を横に構えて受け止める。一撃の重さを前にして、ニフリートは半身の姿勢を保てない。地面に膝をつき、ニフリートは両手で柄を握っている。


 長剣を押し付けながら、ルフィナは魔力を振り絞る。炎は渦を巻いて、太陽のように輝く。


 ルフィナの周囲から、影が消えた。残されたのは、ニフリートの実体だけ――。


 その瞬間、ルフィナは背後から衝撃を受ける。その正体を確かめるより前に、ルフィナの口に、血の味が広がる。


 腹部から突き出したものを、ルフィナは触る。長剣の先端だった。背後から、ルフィナはだれかに刺されていた。


 長剣が、右に振り切られる。腹部は裂け、胃はちぎれ、まだ消化しきれていなかったタマラの手料理が、血と胃液に混じって、石畳にほとばしる。


 倒れかけたルフィナの身体を、ニフリートが受け止める。魔力を解き放つ力は失せ、炎は収束していく。


 ニフリートの腕の中で、ルフィナは仰向けにされる。薄れゆく意識の中で、ルフィナは自分を刺した者の正体を見る。ニフリートだった。


(そんな……)


 二人のニフリートが、ルフィナを見下ろしていた。

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