120_太陽がまぶしい(Солнце ослепительно сияет.)
みずからの腹部を、エリッサはまさぐる。長剣の刃が触れ、指先が、自分の血で湿った。
何千何万という感情や思考が、エリッサに押し寄せる。どうしてよいのか、エリッサは分からなかった。
「痛い……」
「痛くない」
エリッサの背中に右腕を回すと、リテーリアは、その身体を抱きしめる。抱きしめられたはずみで、エリッサの腹部からは、血が更にあふれ出した。血は長剣を伝い、リテーリアの左手を濡らし、リテーリアの着る橙色の長衣の袖に、赤黒い染みを作る。
「大丈夫よ、怖がらなくて」
エリッサの黒髪を、リテーリアは撫でる。リテーリアの言い方は、赤子をあやすかのようだった。
「痛くないのよ? 長剣には麻酔が塗ってある。急所は外した。あなたは苦しまなくていい」
「どうして」
エリッサの胸を押し潰そうとしているのは、死の恐怖ではなかった。自分の命を、大切にしてくれない誰かが、この世界にはいた。そして、これまでの人生で、自分を大切にしてくれた人たちの思いやりに、今の自分は応えられていない。エリッサの胸に迫るのは、その悲しみだった。
「どうして――」
リテーリアの長衣の袖に、エリッサはすがる。
その瞬間、エリッサの脳内に、影像が流れ込んでくる。影像の中で、“うすあかり”の中で、リテーリアは泣いていた。
――家族だったのに……!
リテーリアの叫びが、エリッサの脳内に響く。影像は渦を巻いて、今度は星誕殿の廊下が映し出される。日暮れ前、海辺からの風を受けて、手のひらで踊る、白いひなげしの花――。
――フランに告白されたんです。
――「愛してます」って、言ってもらえて。
エリッサ自身の言葉だった。
「憎いんですか……?」
リテーリアの二の腕を、エリッサはつかむ。すでにエリッサは、自分の脚に力を込められなくなっていた。エリッサと目が合いそうになった瞬間、リテーリアは顔をそむける。背中に回されたリテーリアの腕の力が緩む。
しかし、今度はエリッサが、リテーリアを掴んで離さない番だった。ふるえる指に残された、わずかばかりの力が、今のエリッサにとっての生きる意味だった。
「わたしと、フランが羨ましいから……それで……憎むんですか……?」
「そうよ」
顔をそむけたまま、リテーリアは言う。答えを得てなお、エリッサはリテーリアに視線を送りつづけた。それがリテーリアの本心ではないこと、おそらくはリテーリア自身も、その答えに納得していないだろうことを、エリッサは感じ取った。
「フッ……」
そのとき、リテーリアはうつむくと、小さく息を漏らした。唇の端がゆがんでいた。
リテーリアは笑っていた。
「リテーリアさん――」
「ハハハ」
リテーリアは笑いながら、エリッサの腕を振りほどき、長剣の柄から手を離した。頼るべきものを喪って、エリッサはその場にくずれ落ちる。
「あーあ」
夢遊病者のように歩を進めると、開け放たれた窓から、リテーリアはシャンタイアクティ市街を見つめる。虹色も、鐘の音も、いまは見えず、聞こえない。楽園函数は自壊し、“歳星の間”には、エリッサとリテーリアが残された。
エリッサを振り向くと、リテーリアは
「わかんないな」
と笑う。
エリッサは、リテーリアを見つめることしかできなかった。
「そんな――」
「なんで裏切ったりなんかしたんだろうね」
きびすを返すと、鼻歌を歌いながら、リテーリアは“歳星の間”を抜けていく。追いかけようとしたエリッサは、自分の両足がしびれたようになっていて――追いかける余力が、みずからに残されていないと気付く。
死が迫りつつある。
――エリーのことを……愛して……います……。
頬を赤らめながら、訥々と告白をしてくれたフランチェスカの姿が、記憶によみがえる。
もう二度と、フランチェスカには会えないかもしれない――。
「フラン……!」
フランチェスカを呼ぶと、エリッサは倒れ込む。倒れる間ぎわ、エリッサの視界に映り込んだのは、北部の山並みからほとばしった極太の光線が、シャンタイアクティの空を焼く、その瞬間だった。




