012_導きの星(Путеводная Звезда)
――雲海と其の裡なる光耀、而して其を円環る星を見よ。皆を導く星こそ、爾が歳星なれ(雲の内にある光、そして、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星こそが、お前の星である)。【『ユダの福音書』、第57頁】
〈警告! これは第二のサイレンです〉
雷の擦れる音、雲のうねる音に紛れ、第二のサイレンがウルトラを響きわたる。次の瞬間、火花が散るかのような音とともに、大瑠璃宮殿の丸屋根の頂点から、青い膜が生じ、周囲に広がり始める。西の巫皇、プヴァエティカ・トレ=ウルトラの魔力を基礎として展開された、雨避けの結界である。
〈まもなく、雨が降り始めます。戸外にいる人は、すぐに避難してください。命を最優先にし、暗さと、冷たさから身を守ってください。警告! これは第二の――〉
放送が流れる間にも、結界の裾はウルトラ市の外周にたれ込み、大城壁を含め、ウルトラを包みこんだ。雨雲によってまばらになった外の光は、結界の青さの中を透過し、地上へ降り注ぐ。水槽を下から眺めているかのような光景だった。
「セヴァ!」
クニカは叫ぶ。しかし、返事はない。
第二のサイレンは、雨が降り出す五分前に鳴る決まりだった。この五分間に見つけ出せなければ、セヴァは暗闇の中に取り残される。
「セヴァ! 返事して!」
水路に掛けられた橋を渡りながら、クニカはアンナハンマン聖堂の門をくぐる。
◇◇◇
聖堂の中は、何もかもがめちゃくちゃだった。本来ならば壁にあるはずの天女の聖画は、木箱の中でくしゃくしゃになっている。その木箱も、今は聖堂の脇に押し込められていた。堂内を占拠しているのは、大量のがらくたと、人の骨だった。
指先に魔力を籠め、クニカは小さな火球を作る。堂内の暗がりが、火球に照らされる。骨は、“黒い雨”に巻き込まれた人たちのものだ。“黒い雨”に触れた者は、頭蓋が変形し、理性を失い、“コイクォイ”と呼ばれる異形になり果てる。“コイクォイ”は人の肉を求めてさまよい、“コイクォイ”に噛まれた人間もまた、“コイクォイ”になってしまう。
連鎖を断ち切るためには、“コイクォイ”を殺すしかない。亡骸の中には、家族や友人に殺された者もいれば、みずから命を絶った者もいる。折り重なった死体は連日火葬に付されたが、埋葬先の見つからない骨や遺品が、こうして山積みにされている。
「セヴァ」
骨の山に気圧され、クニカの声も、自然と囁くようになる。
稲光と、雷の音が、堂内にどよめく。結界は雨を防ぐが、光と音は透過する。
足元と正面を交互に見ながら、骨や遺品を踏まないよう、クニカはすり足で歩く。そのとき、クニカはあることに気付いた。骨と遺品は、混在して積まれているわけではなかった。骨が山積みにされている一方、遺品は谷に寄せられている。
考えられることは、ひとつだけである。聖堂に入ったセヴァは、骨と遺品の山の中から、遺品だけをかき集めているのだ。セヴァは山によじ登り、骨と遺品をかき分ける。骨は遠くに投げ捨て、遺品はそれを確かめてから、近くに置いておく。だから、セヴァの通ったところには、遺品が集中している。
足元に落ちていたシャツを、クニカは拾ってみる。目を凝らしてみれば、服には泥が付いていて、まだ乾ききっていない。泥遊びをしていたセヴァの、ズックについていた泥だろう。
遺品の小道を、クニカは進む。骨の山を蛇行しながら、道は聖堂の、反対側の扉までつながっていた。
クニカは聖堂の外に出る。扉は、共同墓地につながっていた。敷地は遺灰にまみれ、砂浜のようになっている。
「セヴァ」
クニカは再び、セヴァの名を呼ぶ。しかし、クニカの声は、吹きすさぶ風にかすめていくだけだった。
風に舞う灰を前に、クニカは目を細める。そのとき、周囲の様子が一変した。世界から光が消え、クニカの周辺は、闇に包まれる。“黒い雨”が、降り出したのだ。雨の黒さは、外からの光を遮り、亜熱帯の世界とは思えないほどの冷気に、周囲が覆われる。
建物も、骨の山も、地面も、その輪郭はすべて、暗闇に塗りつぶされる。
「怖くない!」
クニカは自分に言い聞かせる。それはみずからを励ますとともに、周囲の変化に圧倒されているはずのセヴァに、呼びかける意図もあった。
右手のひらを広げると、指先に灯していた小さな火球を、クニカは拳ほどの大きさにする。再び意識を集中させると、クニカは“心の色”を探す。周囲は闇に包まれているため、今はもう、目を閉じる必要はなかった。
脇を締め、目を皿のようにして、“心の色”をクニカは探す。視界の奥に、“黄色”が見えた。“黄色”は「焦り」を現す色だ。セヴァに違いなかった。
「セヴァ!」
骨の山に足を取られないようにしながら、“黄色”い光まで、クニカは歩く。風に舞った灰が、クニカの二の腕に張り付く。
「聞こえる?」
「待って!」
クニカが言った矢先、闇の向こうから、セヴァの声が聞こえた。クニカの予想どおり、黄色い”心の色”は、セヴァのものだった。クニカの声を聞いて安心したのか、セヴァの“心の色”に、緑が混じる。
念力を使って、クニカは火球を手から放す。火球は中空を漂い、高いところから周辺を照らす。
「ちょっと、セヴァ――!」
明かりに照らされたセヴァを見て、クニカはどきりとする。高く積まれた骨と遺品の山の頂上に、セヴァはいる。いびつな形状の山の上で、セヴァは腕を伸ばし、遺品のひとつに触れようとしている。
クニカだったら尻込みしてしまうであろう高さの山を、セヴァはよじ登っている。子供らしい無鉄砲さ、と言えばそうかもしれない。クニカが焦ったのは、山の傾き方だった。骨の山は、敷地の塀よりも高く積まれている。ちょっとしたはずみで、山が崩れてもおかしくない。塀の向こう側には、川が広がっている。“黒い雨”を受けて、川の水は激しくうねっている。
「動いちゃだめだよ!」
「待って! もうちょっとなんだ!」
「セヴァ!」
さすがのクニカも腹が立ってくる。
「いい加減に……」
「――取れた!」
クニカが怒鳴ろうとした矢先、セヴァが歓声を上げた。お目当てのものを、セヴァはとうとう手に入れたのだろう。
「待って――?」
山のてっぺんで身を起こすと、セヴァはクニカを振り向こうとする。セヴァの右手には、ひも状のものが握り締められている。セヴァが身をよじった弾みに、ひも状のものはぴんと張り、骨の山がぐらついた。
「あっ……?!」
「セヴァ!」
クニカの叫びと、セヴァの悲鳴が、ひとつに重なる。セヴァが掴んだものは、骨の山の奥深くにつながっていた。セヴァの力は小さなものだったが、山をぐらつかせるには十分だった。
クニカの目の前で、骨の山が傾く。骨と遺品は中空で分離し、そのまま川に投げだされる。
セヴァは逃げ出そうとするが、足元は既に崩れている。腕に魔力を集めると、クニカはセヴァの身体を、念力で支えようとする。
魔法の焦点をセヴァに合わせたために、中空に漂っていた火球が蒸発し、辺りが闇に包まれる。一瞬の出来事だったが、クニカはセヴァを見失う。
しまった――そう考えた瞬間、川から水柱が上がった音を、クニカは捉えた。それから、水しぶきが雨のようになって、クニカの全身に降り注ぐ。
「ア、ハ、ハ!」
クニカの耳に、少女の笑い声が届いた。降り注ぐ水しぶきを腕で避けていたクニカのところに、少女は放物線を描きながら着地する。少女が腰に巻き付けていた水中電灯が、クニカのまぶたの裏で、光の残像を刻む。
「カイ!」
少女の名前を、クニカは呼んだ。クニカの最後の仲間、カイである。
「おーっ、クニカー!」
クニカを見るやいなや、カイは嬉しそうに声を上げる。カイの身に着けている黒いシャツと、紺色のオーバーオールからは、大量の水が流れ落ち、地面の灰と骨片とが押し流されていく。
「クニカおねえちゃん……?」
カイの両腕の中でうずくまっていたものが、声を上げた。セヴァである。セヴァは何が起きたのか分かっていなかったようだったが、クニカの姿を見た途端、“心の色”が青く変わった。
川へと落下していたセヴァを、カイは水中から飛び出して受け止めたのだろう。クニカが聞いた水しぶきも、カイが飛び出したときの音に違いなかった。激流の中でも自在に泳ぎ回り、造作もなく水中から飛び出せるほどの身体能力。――カイが“鯱”の魔法属性だからこそできる、はなれ業だった。
「カイ、ありがとう!」
「導きの星!」
「え?」
「カイ、クニカの光が見えたゾ。近づいて、正解だったゾ。」
肩をすくめると、カイはくすぐったそうに首を振ってみせる。伸ばし放題になっているカイの白い髪から、水しぶきがクニカにかかる。カイの“心の色”は、白く輝いている。
リン、チャイハネ、シュム、カイ。クニカの仲間の中で、カイだけはほかの三人と違っていた。後天的な脳の障害のために、カイは自分の考えを言葉で伝えるのが苦手で、ほかの三人に比べても、落ち着きがない。
しかし、それは決して、カイがほかの三人より劣っているというわけではない。冒険の中で、クニカは何度もカイに助けられていたし、現に今だって、カイがいなければどうなっていたか分からない。
(“導きの星”か)
カイは、クニカが中空に灯していた、火球のことを言っているのだろう。川を逆行して、“おおさじ亭”まで戻る途中で、カイは水中からそれを見たのだ。
「ねえちゃんたち、離して」
「セヴァ、手に持ってるもの、見せて」
カイの腕の中でむずがっているセヴァに対し、クニカはなるべくこわい顏をつくりながら、手を伸ばす。
唾を呑みこむと、セヴァはそっと、クニカの手のひらに何かを乗せる。数珠だった。
「これは?」
「数珠! オレの父ちゃんが、ミーナの父ちゃんと母ちゃんにプレゼントしたんだよ!」
その言葉を聞いて、クニカははっとする。アンナハンマン地区にチカラアリ人は、いずれも“黒い雨”を避けるために、チカラアリから逃れてきた難民だ。その過程で、セヴァは父親と弟を、ミーナは両親を喪っている。
「ミーナの母ちゃんのなんだ。約束したんだよ、ミーナに」
数珠に釘付けになっていたクニカに、セヴァが言う。
「ミーナの父ちゃんの分はあったけど、母ちゃんの分は見つからなかった。だから『一緒に探しに行こう』って。『女に優しくなきゃ、男じゃない』って、オレの父ちゃんも言ってたし」
「そうなんだ」
クニカはもう、セヴァを怒る気にはなれなかった。右手のひらに乗せた数珠は鎖でできていて、レリーフの部分はメダルでできていた。クニカは自分の手のひらに、世界のすべてが収まっているような気がした。
「弟は守れなかったけど、ミーナは守ってやりたかったんだ」
セヴァの目線は、クニカを向いていたが、クニカを超えて、どこか遠くを見ているようだった。
「だから――」
「ハ、ハ!」
セヴァより早く、カイが笑い声を上げた。
「カイ、ミーナが羨ましいゾ。その気持ち、忘れちゃダメだゾ!」
屈託のない笑顔で、カイがクニカの方を見てきた。カイの笑顔に、クニカも勇気づけられる。
「そうだよ、セヴァ」
「うん……!」
「約束だゾ!」
「約束するよ! だからさ……」
セヴァは目を伏せる。
「リンねえちゃんには……黙っててほしいんだ」
「わかった」
頷くと、クニカは数珠をセヴァに返す。カイの腕から地面に降りると、セヴァはクニカに手を伸ばした。
クニカとカイは、セヴァと手をつなぐ。つい最近まで、セヴァの父親と、セヴァの弟とが、セヴァとそうしていたように。
“導きの星”。カイの言葉を噛みしめ、クニカは“幼稚園”までの道のりを急いだ。