119_それからどうなるの(И что тогда происходит?)
――今一つのことを我らに教え給え、世の罪とは何や。【『マリヤによる福音書』、第7頁】
「結界が……!」
空を見上げながら、ルフィナが声を震わせる。楽園函数により生成された結界が、地上との境界線から、蒸発を始めていた。星誕殿から噴き出し、行き場を失った暗い意思が、揺るがないはずの結界を後ろから刺したのだ。
オリガ、ルフィナ、シュム、そしてフランチェスカ――前線へくり出そうとしていた四人は四人とも、心に差し込んだ少女の叫びの前にひるみ、星誕殿を振り向いた。その悲鳴はエリッサのものであると、だれもが気付いた。エリッサが死の淵に立たされていること、リテーリアが裏切り者であったということ、クニカの身に危険が迫っていること――口には出さなかったが、みな、そのことを理解した。
「クニカが危ない」
後ろを振り向いたまま、オリガが目を細めている。視線の先を追ったシュムは、その方角から、一条の光が放たれていることに気付く。そこには、元老院の議事堂があり、クニカがいるはずだった。
「リテーリアが、精神攻撃を仕掛けてる。ペルジェが光に変えて追い出しているけれど、丸わかりだ――」
オリガが言う間にも、粉々になった結界は、灰のようになって地面に降り注ぎ、消え去っていく。
「エリッサはどうなるの?」
そのとき、それまでずっと、崩落を続ける結界を見上げていたフランチェスカが、だれかを探すようなそぶりで、エリッサのことを尋ねた。シュムはそのことに気付いたが、オリガもルフィナも、フランチェスカには一瞥も与えなかった。
「エリッサは――」
フランチェスカがすべてを言い終わらないうちに、汽笛のような音が、シュムたちの頭上を飛び越え、レストランに命中した。それが何であるのかを、シュムが理解するより前に、閃光がほとばしり、レストランは炎に包まれる。 熱風が噴き上がり、硝煙の臭いが、シュムの鼻を衝いた。
もうこのまま、自分たちは死を待つばかりなのではないか。――そんな疑念が、少し前までは思いもよらなかったような疑念が、シュムの心の中で鎌首をもたげた。空はすでに、爆撃機のプロペラの、低くうなる音に侵食されつつある。その合間を縫って、戦車のキャタピラの音が近づきつつあるように、シュムには思えた。
「今はそのときじゃない」
ルフィナが言う。シュムははじめ、その言葉がフランチェスカへの応答だと錯覚したが、すぐにそれは、オリガと、ルフィナ自身に向けられた言葉なのだと気付いた。
「出るぞ」
オリガが長剣を抜き放つ。
「ウチらがまごついていたら、クニカたちが死ぬ。ぬかるなよ――」
そう言いながら、“鯰”の能力を用いて、オリガは石畳の中へと身を沈ませる。
「着いてきて――」
ルフィナの抜き放った長剣の刃は、白い炎に包まれていた。
「行きましょう……!」
ルフィナの後を追うために、シュムは目の前の段差を駆け上がろうとする。しかし、フランチェスカが着いてくる気配はなかった。
シュムは後ろを振り返る。フランチェスカは、階段の中央に据えられた、金属の手すりに手をついたまま、立ち尽くしていた。
「フラン――」
「エリッサはどうなるの?」
シュムの呼びかけに、フランチェスカは機械的に繰り返す。フランチェスカが何かを繰り返すのは、めずらしいことではない。しかし、今のフランチェスカは、明らかに動揺し、泣き出しそうなように、シュムの目には映った。
「今は行かないと」
手すりに置かれたフランチェスカの右手を、シュムは取る。
「でないと、守れるはずのものも、守れなくなる――」
そこまで言った矢先、シュムの心に、エリッサの影像が押し寄せてきた。シュムは驚き、と同時に、立ちすくみそうになる。フランチェスカの、エリッサに対する愛情の鮮烈さ――それを直感した、まさにその瞬間に、シュムはチャイハネを連想せずにはいられなかったからだ。
「ほら、フラン!」
チャイハネを頭から追い出すと、シュムはフランチェスカの手を強引につかみ、その身体を引っ張るようにして、ルフィナの後を追いかける。




