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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第6章:神の子は都(みな)沓(くつ)を履く(Каждый ребенок Божий носит обувь.)
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116_楽園函数(Райская функция)

――(その)(その)時を知る者なし、天の使いたちも知らず、子も知らず、ただ父のみ知り(たま)ふ(審判の日がいつやって来るのか、それを知る者はない。天使も知らず、人のキリストも知らず、ただ父である神のみが知っている)。【『マタイによる福音書』、第26章第36節】

 リンに連れられ、クニカはシャンタイアクティの空を飛ぶ。二人は、星誕殿(サライ)から北上し、元老院(セナ)を目指していた。


 陽の光は、すでに空に高い。翼の羽ばたきの合間、


「暑いな」


 と、リンはぼやいた。


 答える代わりに、足下を過ぎていくシャンタイアクティの街並みを、クニカは眺める。家があり、寺院があり、水道橋があり、庭園があり、工場がある。南大陸でもっとも古い街は、積み重なった人々の歴史を、悠然と(たた)えている――。


「あそこだ――」


 リンが指さす先には、元老院の議事堂がある。議事堂は、白亜の大理石でできており、一枚の大岩をくりぬいて作られたもののように、クニカの目には映った。陽の光を浴びて、建物は眩しく輝いている。


 リンは正門の上を飛び抜けると、リンは高度を下げていく。目的地は、議事堂の屋上だった。そこには、巫皇(ジリッツァ)のペルガーリアと、使徒騎士にして“天雷(ボアネルゲス)”の二つ名を持つ、ジイクとアアリの姉妹がいた。


「着いたわね」


 降り立った二人に、アアリが言う。屋上の床には、数式が青い文字で描かれている。


「楽園函数だよ」


 クニカが尋ねるよりも先に、アアリの双子の姉・ジイクが答える。ジイクの口調は、心なしか弾んでいるようだった。


「ラクエン……?」

「そうさ。魔法陣を維持するためには、継続して魔力を投入しなければならない。投入すべき魔力の量は、発動してからの経過時間を横軸として持つんだ」


 函数を指さしながら、ジイクが説明する。


「それで、各人の発揮できる魔力の量には、個人差がある。経過時間が正の無限大を取る場合において、一意の値に収束する魔法陣は、効果の発動後に蒸発する。振動する魔法陣は、魔力を投じ続ける限りにおいて、半永久的に効果を発動する――一般に“運動法陣”と呼ばれるやつかな。それで、無限大に魔力を費やす魔法陣も、もちろん存在する。そんな魔法陣を描画してしまう函数を“楽園函数”って呼ぶのさ」

「リン……わかる?」


 クニカの問いかけに、リンはいさぎよく首を左右に振った。


「ハハハ。“楽園函数”の魔法陣は、どれも想像を絶する効果を持っている。だけど、魔力を無限大に消費するから、およそ実践的でないんだ。実用に耐えられるのは、トラップとしてかな? 強制的に魔力を消費させて無力化する、っていう使い方が、辛うじてできるくらいだ。積極的な使い道はない。机の上のお遊び――今までずっと、そう考えられてきたんだ」

「それが、今日覆る」


 それまで黙っていたペルガーリアが、おもむろに口を開いた。双眼鏡を下ろすと、ペルガーリアはクニカに向き直る。


「エリッサは“(アフツァー)”の魔法属性で、無限の魔力を持つ。その代償として、彼女は魔力を、みずからの意思ではほとんど引き出せない。せいぜい、ちょっとした電気を放つくらいかな? そこでクニカ、キミの出番だ。キミはエリッサの魔力を引き出して受け止めるとともに、“楽園函数”を描画することに責任を負う」

「行けそう?」

「うん……!」


 アアリの言葉に、クニカはうなずいてみせる。星誕殿(サライ)に残るエリッサの姿を想像しながら、クニカは言葉を念じる。


〈エリー、聞こえる?〉


 クニカの共感覚(テレパシー)に、エリッサも気付いたようだった。脳裏に浮かぶエリッサが、強くうなずいてみせる。


「それじゃあ、行くよ――」


 声を発し、同時に言葉を念じながら、クニカは目を閉じる。“竜”の魔法属性は、祈ることを通じて、思念(エンノイア)を現実に生じさせる能力を持つ。クニカが祈ったのは、エリッサの魔力を引き出して、地面に描かれた函数が実現することだった。


 頭の中に、床に描かれた函数の青文字が浮かび上がる。青文字の綴りは分解され、幾本もの線になって、真円を形成する。円と接するようにして、正三角形が浮かび上がった。その正三角形の各辺を三等分した、真ん中の線分から、小さな正三角形が発生する。――以降、正三角形は無限に小さくなりながら、自己生成と細分化が進んでいく。


「おおっ?!」


 ジイクが、感嘆の叫びを上げる。確信とともに、クニカは目を見開いた。脳裏に浮かんでいた魔法陣が、シャンタイアクティ市街の全域を、ドーム状の結界として覆っている。結界は薄い青色だったが、ところどころで虹色の輝きを帯びていた。


「成功だ……!」


 隣で、ペルガーリアが言う。クニカの耳に、鐘の音色が響いてくる。そちらに目を向けてみれば、今度は反対側から、また違った音色がする。


「気にしないで」


 アアリが言った。


「“楽園函数”を展開させるための魔力が膨大なせいで、私たちの感覚が刺激されているのよ。結界に走る虹色も、耳に届くこの音色も、魔力に喚起されて、私たちの五官が騒いでいるだけ――ちょっと!」

「はっはっは、すごい、すごい!」


 身体の前に小さな箱を抱えながら、ジイクが床に寝そべって、“楽園函数”を見つめている。箱からフラッシュが焚かれるのを見て、クニカはそれがカメラであると気付いた。


「ジイク! 何やってるのよ――」

「写真だよ。二度と見られないかもしれないじゃんかー」

「もうっ! この魔法陣オタク――」


 ふひひ、サーセン、と言う合間にも、ジイクの抱える二眼レフカメラからは、フラッシュが絶え間なく焚かれていた。



   ◇◇◇



「見えた」


 元老院の方角を見て、アニカが言った。白鷹隊のメンバーは、星誕殿(サライ)の西館にある、バルコニーに集まっていた。


 空棲類の中でも、トリ系統の魔法使いは、遠目の利く者が多い。皆、“楽園函数”が展開され、シャンタイアクティ市街が瞬く間に結界に包まれるのを、つぶさに見て取っていた。


「行こう」


 シノンが先陣を切って、バルコニーから中空へと躍り出る。躍り出たと同時に、シノンの背中からは白い鷹の翼が生える。その翼は規格外の大きさで、星誕殿(サライ)全体を覆いつくしてしまうほどだった。


「鐘の音が聞こえるな……すごい共感覚だ」


 普段は無口な副隊長・マルタも、“楽園函数”に圧倒されているようだった。バルコニーから飛び出すと、黒い翼をはためかせ、シノンの後を追う。“軍艦鳥”のマルタは、翼を艦砲や、軍刀に擬して戦うことを得意とする。


「遅れんなよ、レイラ」


 後続のレイラにそう呼びかけると、アニカが跳躍する。シノン、マルタとは異なり、アニカはその場から、上空めがけてまっすぐ飛び上がると、最も高い位置から、褐色の翼を展開し、先を行くシノンたちを追いかける。“鵟”の魔法属性であるアニカは、白鷹隊のメンバーの中でも、突出して重力・気圧の変化に強い。急降下による奇襲と一撃離脱は、アニカの得意とする戦法だった。


「はい――」


 そう返事をしながら、レイラも空に身を躍らせる。レイラの背中からは、緑と青藍色の混ざり合った美しい翼が、四枚生えている。レイラは“孔雀”の魔法属性であり、その翼は雄羽、すなわち男性的処女だった。なおかつ、強い魔力を持つ者の特性として、翼の数が多い。


 シノン、マルタ、アニカ、レイラ――四人はひし形の隊列を組んで、シャンタイアクティ市街の北部を目指す。


「ご武運を!」


 飛び立った先輩たちを見送りながら、残されたひとり・タマラは叫んだ。その声が、飛んで行った先輩たちに届くことはないだろうことは、タマラも知っている。知っていながら、それでもタマラは、叫ぶのを止められなかった。


 タマラは周囲を見渡した。手すりのそばにある、(こわ)れた鉢からは、昼顔の花が咲いている。昼顔の花は、微風を受けて、それとなく揺れていた。


 鼻の奥が乾くのを、タマラは感じ取る。こんな日は、きまって昼から暑くなってくるのだと、タマラは知っていた。


 “蓮華の間”で食卓を囲んだ者たちは、タマラを残し、出撃してしまった。自分自身の呼吸が、やけに大きく耳につくように、タマラには思えた。


「行かなくちゃ……!」


 アニカから渡されたパズルを懐にしまうと、胸に込みあげてくる熱いものを我慢しながら、南部へと撤退するべく、タマラはバルコニーを後にした。



   ◇◇◇



 頭上を通過していく“白鷹隊”の四人を、プヴァエティカはじっと見つめる。


「ウオーッ!」

「キャーッ!」


 そばにいたカイとミーシャが、黄色い声を上げた。


 いま、プヴァエティカたちは、星誕殿(サライ)の北側、海に面した断崖にいる。通常は立入禁止の柵の向こう側だが、プヴァエティカたちは、特別に外に出ていた。


 海の香りが、プヴァエティカの鼻孔をくすぐる。


「準備はいいですね?」

「ン!」


 首からぶら下げていたゴーグルを、カイは目にはめる。


「キャー!」


 隣ではミーシャが、再び黄色い声を上げる。


「では、参りましょう――」


 断崖を踏み切って、プヴァエティカは中空に身を躍らせる。プヴァエティカの身体は、足下に広がる海へと吸い込まれ、高く水柱を上げた。それに続いて、カイとミーシャも、海に飛び込む。三人の姿は、海の深みへと消えていった。



   ◇◇◇



「こりゃ、すげぇ!」


 シャンタイアクティ市の外延部、市を南北に貫くシャンワウスキー通りの北端から、シュムたち陸上部隊の一行は、“楽園函数”による結界を眺めていた。今の言葉は、空を見上げるやいなや、オリガが放ったものだった。


「フラクタルだ……」


 前線へ向かうあいだ、終始目を伏せ、物思いにふけっていたフランチェスカが、はじめて口を開く。


「いいな! いつまでも数えられるけれど、ものすごく大きくて……あり得ないほど薄い……」

「成功、したんですよね?」


 フランチェスカの言葉の意図が汲み取れず、シュムは代わりに、オリガとルフィナに尋ねた。最前線には、オリガとルフィナが立ち、その後ろから、シュムとフランチェスカが支援に入る。前線は、そのような陣営が取られていた。


「油断は禁物です」


 空を見上げたまま、ルフィナが目を細める。“楽園函数”は、橙色と青色の、まだらの光沢を空に滲ませている。


「結界が役に立つかどうか、まだ分からない」

「そうだな。いざとなったら……覚悟はいいな?」


 オリガに問われ、シュムもフランチェスカも、互いにうなずき合った。


 遠くの空から、プロペラのうなりが近づいてくる。



   ◇◇◇



〈来たな〉


 シノンの頭の中に、マルタの言葉が響く。作戦を実行するとき、“白鷹隊”は、念話を用いるのが常だった。


 シャンタイアクティ市街の北部の山並みが広がっている。山の稜線の向こう側から、白い軍団が押し寄せている。軍団は、空には隊伍を形成し、陸には隊列を組んでいる。サリシュ=キントゥス帝国の戦闘機、爆撃機の一団と、戦車の大群だった。


〈センパイ、海が――〉


 今度は、レイラの言葉が響く。海には、無数の戦艦が、煙突から黒い煙を吐き出していた。立ち上る煙のために、海が燃え上がっているようだった。


〈ビビんなよ〉


 アニカの念話が聞こえる。


(やっこ)さんらの相手は、海の連中に任せるんだ――〉


 そのとき、爆撃機の一群が、市街めがけて、まっすぐに飛びこんできた。その両脇は、戦闘機に固められている。


〈爆撃機を優先しろ〉

〈まずは……“楽園函数”を見よう〉


 マルタの念話が届く。“楽園函数”の効果が理論値どおりかどうか。街を犠牲にしてでも、まずは、それを確かめる必要があった。


 楽園函数の内側にとどまるために、シノンたちは、速度をわざと緩める。シノンたちの目の前で、爆撃機の腹が開いた。搭載されていた爆弾が、市街めがけて投下される。付き従っていた二台の戦闘機が、シノンめがけてミサイルを吐き出す。


 投下された爆弾が、結界の表面に触れる。子供の笑い声のような音が、シノンの耳に響く。爆弾は結界に当たり、破裂音が響いた。しかし、爆炎も衝撃も、街には降り注がない。爆風が、結界の表面で反射する瞬間を、シノンは見て取った。


 今度は、戦闘機から放たれたミサイルが、結界に接触する。爆弾と同じく、それも結界の表面を直撃したが、結界には傷ひとつなかった。


 それどころか、ミサイルに蓄えられていたエネルギーが、結界を反射して、戦闘機に殺到する。戦闘機は、みずからが放ったミサイルの衝撃を浴び、空中で粉々になった。


「すごい……!」


 レイラの声が、後ろから聞こえた。



   ◇◇◇



「上手くいった」


 議事堂の屋上で、双眼鏡を掲げたまま、ペルガーリアが言う。


 遠くの空で、火花の点滅に似たものをクニカも見て取ったが、分かるのはそれだけだった。


 それから立て続けに、山の連なる北部、それから、海に面した東部において、火花のようなものが、続けざまに点滅する。それが、サリシュ=キントゥス帝国軍による、陸、海、空からの一斉砲撃だと気付くのに、時間はかからなかった。砲撃は、結界の表面で弾かれ、弾かれるそばから、水紋がかたどられるようにして、“楽園函数”が震える。“楽園函数”は、子供の笑い声や、木琴の触れあうような音を響かせたり、クニカたちに虹色の点滅を見せたりする。


「すごいな!」


 隣から、リンの声が聞こえる。その声は、興奮に震えているように、クニカには聞こえた。


「やったぞ。うまくいってる」


 このまま、相手の弾薬が尽きるまで、ずっとこれを続ければいい――はるか遠くで発生している砲撃を眺めるうちに、クニカの心の中には、非日常的で、滑稽な、そんな感情が芽生え始めていた。


「うん――」


 うなずきかけた矢先、クニカの耳に、舌打ちが届く。ペルガーリアだった。


「分かるか、ジイク?」

「うんにゃ」


 ペルガーリアの問いに、ジイクが答える。写真を撮っていたときからうって変わって、ジイクは真剣な調子で、北部の山並みを見つめている。


 ペルガーリア、ジイク、その表情に、安堵の色はない。結界の向こう、炎の向こうに、二人は何か、別のものを見出している。


 張りつめた空気を肌に感じ、クニカは息を呑む。


「いないわ」


 アアリが言った。


「ニフリートがいない」


 アアリの視線の先を、クニカも追う。シャンタイアクティ市街の北部、結界にさく裂する砲撃の向こう側。そこには、市街を見下ろすにはほど良い高さの、小さな山がそびえていた。

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