113_蓮華(Лотос)
柱時計を確かめると、タマラは厨房に戻る。竈にかけられた鍋の蓋を取ってみれば、米麺が煮立っていた。
余計な薪を掃き出すと、タマラは鍋を取り、米麺を盛りつける。その合間に、竈の余熱を利用して、タマラは油条をあたため直す。
器は五つある。白鷹隊のメンバーの朝食だった。
シャンタイアクティ騎士団において、空棲類の魔法使いは、独自の地位を有している。このため、「準騎士以下は南部に疎開させる」という巫皇・ペルガーリアの決定とは別に、だれが星誕殿に残るのかを、白鷹隊の隊長であるシノンは、自由に決めることができた。
タマラは、シノンの指示によって残ることとなった、二人の準騎士のうちのひとりだった。とはいえ、決戦に加わるわけではない。タマラの役割は、星誕殿の北館・“蓮華の間”で、決戦へと向かう他の白鷹隊のメンバーのために、朝食を準備することにあった。タマラは、昨年に騎士見習いから準騎士へと昇格したばかりだったが、騎士見習いの頃から、料理上手として評判だった。
窓の向こうを、タマラは見る。海からは、太陽が顔をのぞかせていた。
“蓮華の間”の扉が開いて、だれかが入ってくる。
「おはようございます! ――あ」
「おはよう」
入ってきたのは、レイラだった。
レイラは、シノンの指示によって残ることとなった、もうひとりの準騎士である。ただ、レイラの目的は、シノンたちとともに、決戦に臨むことにあった。
そしてこれが、レイラが騎士に昇叙するための“試練”でもあった。準騎士の中で、騎士に昇れる見込みのある者は、試練をくぐり抜けなければならなかった。
円卓を見てから、レイラはタマラに何かを言う。
「え?」
「手伝うことある?」
「あ、いいよ」
そう、とつぶやくように言うと、レイラは下座に移動し、席の前に立つ。隊長のシノンがやって来るまで、席についてはならない。これがしきたりだった。
「やっぱ、手伝おうか?」
「大丈夫だよ。ひとりでできるよ」
「そう――」
配膳を行いながら、タマラはレイラを見る。レイラは、切れ長の目を半眼にして、円卓を見つめている。両手を身体の前に組み、白と黒の格子柄の、七分袖のシャツの袖を握り締めている。
レイラは緊張している。さっきも声が小さかった。――タマラはそう思う。
今の準騎士たちの中では、イリヤは別格として、レイラも頭ひとつ抜けて強い。強さだけで言えば、レイラは騎士たちにも引けを取らない。そんなレイラですら、緊張しきっている。
この決戦は、騎士昇叙の試練とするには、重すぎるのではないか。そんな意見が、騎士たちの間で交わされたということも、タマラは人づてに聞いている。
戦争が近づいている。もうそこまで来ている。頭では分かっていても、タマラは、気持ちがついていかなかった。
レイラに、声をかけるべきだろうか。そのせいで、余計に緊張させてしまわないか。
――そう考えるタマラの肩に、背中側から、手がかけられる。
「うぶっ……?!」
振り向こうとしたタマラのほっぺたに、相手の人差し指が当たる。
「オッハー」
「お、おはようございます……」
いたずらっぽく笑うのは、騎士のひとり・アニカだった。色素の薄い金色の長髪に、ややつり目で、青い瞳を持つアニカは、シャンタイアクティの騎士の中でも、後輩たちへの無茶ぶりが多い、よくいるタイプの騎士だった。
「タマちゃん、手ェ出して」
「は、はい……」
タマラの手のひらに、アニカは、色とりどりの立方体を乗せる。立方体は、面ごとに三掛ける三の、九マスに分割されている。色は六色あるようだった。
「何ですか?」
「それさ、回るのよ、任意の各列が」
席に移動しながら、アニカは言う。
「六面を同一の色で合わせれば完成、ってワケ。一色揃えといたから、あとはやっといて」
「そんな……。わたし、こういうの苦手なんですよう……」
「おはよう」
アニカが口を開く前に、“蓮華の間”に、新たな人物がやって来た。白鷹隊の副隊長にして、騎士のマルタである。黒人で、紫色の髪を、男子のように短く切りつめているマルタは、四代続けて騎士を輩出している、シャンタイアクティ領内では名高い家系の出身である。
「おはようございます」
「あ、そのオモチャ――」
マルタは、席に移動しながら、アニカとタマラを交互に見やる。
「タマちゃんにあげるの?」
「解いてもらうのよ。解けたら、手柄はあたしのもの」
「ええ? それはズルい」
「そのパズルを解けた奴は、四人しかいない」
アニカは右手の指を立てる。が、指は五本立てていた。アニカは、冗談なのか本気なのか、よく分からない仕草をする。
「ペルジェと、ジイクと、ニフシェ――この辺りならまだ分かる。と・こ・ろ・が、もうひとり、ミカイアもできたっていうんだよ」
「ミカが?」
マルタが目を丸くする。
「びっくりするでしょ? あたしはね、マユツバだと思ってる。拳でバラバラにして、作り直してる――」
「ハハハ――」
アニカの言葉に、マルタが笑う。ハスキーボイスのため、マルタの笑い声は耳に残る。タマラも、マルタにつられて笑ってしまった。
「あたしはね、そろそろこの白鷹隊からも、パズルを解ける人が出ていいと思ってるんですわ」
「だな。“トリ頭集団”の汚名を返上しないと。頭にやらせてみれば?」
“頭”とは、シノンのことである。
「姉さん、人が悪いっスね。あの人、歩きながらガム噛めないっスよ」
「ハハハ」
「ふふっ――」
おどけて言ってみせるアニカに、マルタは大笑いし、タマラも噴き出してしまう。
そのままタマラは、レイラを見てみたが、レイラは相変わらず真顔で、所在なさそうだった。
「えへん、えへん!」
扉の側から、わざとらしい咳払いが聞こえてくる。白鷹隊の隊長・使徒騎士のシノンだった。
シノンは、使徒騎士のルフィナと一緒だった。“蜥蜴”の魔法属性であるルフィナは、白鷹隊のメンバーではない。“蓮華の間”で朝餐を行うときには、白鷹隊のメンバーでない者を客として迎えることが、しきたりとなっていた。その日は、ルフィナが来る予定の日だった。
「おはようございます!」
「おはよう。アニカ、ひとつ言っておきたいことがある」
「はい?」
「歩きながらガムを嚙むのは、マナー違反だ」
シノンの言葉に、マルタとアニカが笑う。二人の笑いにつられ、タマラも笑いを堪えられなかった。
笑い過ぎて、涙が出そうになったタマラは、それでも心のどこかで、戦争がもうそこまで来ているということを、頭から追い払うことができなかった。
いつものように、騎士見習いや準騎士たちが料理当番をする。いつものように、騎士たちがそれを食べ、いつものように会話が弾み、みなが笑う。そんな、いつものことの積み重ねが、まもなく、初めからなかったかのように消え去ろうとしている。
「冷めないうちに食べましょう」
円卓に並べられた料理を見て、ルフィナが言った。
「今日は大事な日です。せっかく用意してくれたのですから」
大事な日。その言葉に、タマラは奥歯をかみしめる。
シノンとルフィナが椅子に座り、マルタ、アニカ、それからレイラも席につく。
給仕係のタマラは、みなが朝餐を終えるまで、ずっと立っているつもりだった。
「あなたの分は?」
そんなタマラに、ルフィナが声を掛ける。
「わたしは給仕なので……座るわけには……」
「いいよ。タマラも食べよう」
腕組みをした姿勢で、シノンが言った。
「レイラとアニカの間に入って」
「でも、五人前しか作ってなくて――」
「じゃあ……みんな五分の一かな?」
「六分の一です、マルタ」
「え?」
ルフィナの答えに、マルタが目を丸くする。アニカが手を叩いた。
「嫌っスねぇ。五分の一ずつ渡したら、タマちゃんだけ五分の五じゃないっスか」
「あ……そうか」
「ハイ、本日のトリ頭――」
「アニー、喋ってないで、取り分けて」
うそぶくアニカを、シノンがたしなめる。みんなが分けた米麺と油条で、タマラの器はいっぱいになる。
「では、いただきます」
シノンの挨拶とともに、みなが朝食に手をつけ始める。“蓮華の間”は、うって変わって静かになった。上位者が話をするまで、下位者は話をしてはならないのが、朝餐のルールである。
「レイラ、気分は?」
油条をちぎって、米麺の器に浸しながら、シノンがレイラに尋ねる。
「緊張しています」
うつむき加減に、レイラは答えた。
「いいことだ」
米麺をすすりながら、マルタが言う。
「むかし、ひいばあちゃんから聞いたよ。初陣で、われを忘れるほど緊張した人たちは、その後もちゃんと生き残って、立派な騎士になった。緊張しなかったと答えた人たちは、みんな死んでしまった、って――」
「マルタの言うとおりだよ」
米麺のつゆを飲み干してから、アニカが言った。アニカは食べるのが早い。
「後輩ちゃんを、一人前の騎士に育て上げるのが、先輩の務めってものさ。むざむざ死なせやしない。星誕殿はそうやって、未来を繋いできた。でしょう、隊長?」
「当たり前だ」
アニカに応じ、シノンが答える。みなの視線が、レイラに集まった。
「はい」
レイラは答える。声は小さかった。
「レイラ」
そのとき、油条をちぎるのを止めて、ルフィナが言った。
「は、はい」
「その服ですが……焼き目がついていますね」
ルフィナは、レイラの着ている、白と黒の格子柄のシャツを指さしている。
「え?」
「焼き目です。黒い焼き目」
タマラの視界の端で、アニカが口元を抑え、椅子の上で悶えていた。その横では、マルタが腕を組んだまま、神妙な表情をしてうつむいている。しかしそれは、笑うのを堪えるときに、マルタがよくやる仕草だった。
「ルフィナ先輩、これは格子柄です」
知らない場所に、ひとり取り残されてしまったかのような表情で、レイラは答える。ルフィナはといえば、レイラに答えることなく、静かに茶を啜っていた。
「先輩?」
「冗談です」
「え?」
「冗談です」
ルフィナは繰り返した。
穏やかな朝の陽射しが、円卓を照らす。
“蓮華の間”を、これまでになかった空気が充足した。
「分かりにくいってさ、ルフィナ」
ややあってから、シノンがルフィナのことを、肘で小突いた。
「す、すみません……」
謝罪したのは、レイラだった。
もう堪えられないとばかりに、マルタとアニカが、どっと笑いだす。
「なんでレイラが謝るんだよ。『ワケわかんないですぅ』って、言ってやれ、言ってやれ!」
「『服に焼き目がついてます』って……そりゃないっスよルフィナさん。無茶ぶり天国ですか、ここは」
「むかし、私は同じことを、シノンにやられました」
涙ぐんでいるアニカに対し、ルフィナが言う。
「え? 私?」
急に話を振られ、シノンはきょとんとしている。
「ええ。星誕殿に入る前、襟にフリルがついている服を着て、あなたの家まで遊びに行ったら、
『ルフィナ、襟がバーッ、ってなっているよ』
とか言い出して、あなたはせっせと、私の服の襟を、手で拭き始めました。今でも覚えています」
「私はそんなことしないよ」
「いいえ、しました」
「してないって」
「覚えてないだけです」
「してないってば」
「はいはい、はいはいはい」
アニカが割って入る。
「のろけはこのくらいですよ。旦那さんも、ここは奥さんに譲ってあげて――」
「アッハッハ――」
アニカが茶化し、マルタが笑い出して、シノンとルフィナが憮然としている。
その様子がおかしくて――レイラも、肩を震わせて笑っていた。
みなを見るうちに、熱い感情が込みあげてくるのを、タマラは感じ取った。
この日常も、にぎやかさも、まもなく終わりを告げる。
戦いが終わった後、もしかしたら、もう会えない人だって出てくるかもしれない。だれにも会えなくなるかもしれない。
それでも騎士たちは、そんなことは百も承知で、今のにぎやかさを大切にしている――。
涙が出そうになったタマラは、みなから分けてもらった油条を、口いっぱいに頬張った。