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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第6章:神の子は都(みな)沓(くつ)を履く(Каждый ребенок Божий носит обувь.)
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113_蓮華(Лотос)

 柱時計を確かめると、タマラは厨房に戻る。(かまど)にかけられた鍋の蓋を取ってみれば、米麺(フオー)が煮立っていた。


 余計な薪を掃き出すと、タマラは鍋を取り、米麺(フオー)を盛りつける。その合間に、竈の余熱を利用して、タマラは油条(クウェイ)をあたため直す。


 器は五つある。白鷹隊のメンバーの朝食だった。


 シャンタイアクティ騎士団において、空棲類の魔法使いは、独自の地位を有している。このため、「準騎士以下は南部に疎開させる」という巫皇(ジリッツァ)・ペルガーリアの決定とは別に、だれが星誕殿(サライ)に残るのかを、白鷹隊の隊長であるシノンは、自由に決めることができた。


 タマラは、シノンの指示によって残ることとなった、二人の準騎士のうちのひとりだった。とはいえ、決戦に加わるわけではない。タマラの役割は、星誕殿(サライ)の北館・“蓮華の間”で、決戦へと向かう他の白鷹隊のメンバーのために、朝食を準備することにあった。タマラは、昨年に騎士見習いから準騎士へと昇格したばかりだったが、騎士見習いの頃から、料理上手として評判だった。


 窓の向こうを、タマラは見る。海からは、太陽が顔をのぞかせていた。


 “蓮華の間”の扉が開いて、だれかが入ってくる。


「おはようございます! ――あ」

「おはよう」


 入ってきたのは、レイラだった。


 レイラは、シノンの指示によって残ることとなった、もうひとりの準騎士である。ただ、レイラの目的は、シノンたちとともに、決戦に臨むことにあった。


 そしてこれが、レイラが騎士に昇叙するための“試練”でもあった。準騎士の中で、騎士に昇れる見込みのある者は、試練をくぐり抜けなければならなかった。


 円卓を見てから、レイラはタマラに何かを言う。


「え?」

「手伝うことある?」

「あ、いいよ」


 そう、とつぶやくように言うと、レイラは下座に移動し、席の前に立つ。隊長のシノンがやって来るまで、席についてはならない。これがしきたりだった。


「やっぱ、手伝おうか?」

「大丈夫だよ。ひとりでできるよ」

「そう――」


 配膳を行いながら、タマラはレイラを見る。レイラは、切れ長の目を半眼にして、円卓を見つめている。両手を身体の前に組み、白と黒の格子柄の、七分袖のシャツの袖を握り締めている。


 レイラは緊張している。さっきも声が小さかった。――タマラはそう思う。


 今の準騎士たちの中では、イリヤは別格として、レイラも頭ひとつ抜けて強い。強さだけで言えば、レイラは騎士たちにも引けを取らない。そんなレイラですら、緊張しきっている。


 この決戦は、騎士昇叙の試練とするには、重すぎるのではないか。そんな意見が、騎士たちの間で交わされたということも、タマラは人づてに聞いている。


 戦争が近づいている。もうそこまで来ている。頭では分かっていても、タマラは、気持ちがついていかなかった。


 レイラに、声をかけるべきだろうか。そのせいで、余計に緊張させてしまわないか。


 ――そう考えるタマラの肩に、背中側から、手がかけられる。


「うぶっ……?!」


 振り向こうとしたタマラのほっぺたに、相手の人差し指が当たる。


「オッハー」

「お、おはようございます……」


 いたずらっぽく笑うのは、騎士のひとり・アニカだった。色素の薄い金色の長髪に、ややつり目で、青い瞳を持つアニカは、シャンタイアクティの騎士の中でも、後輩たちへの無茶ぶりが多い、よくいるタイプの騎士だった。


「タマちゃん、手ェ出して」

「は、はい……」


 タマラの手のひらに、アニカは、色とりどりの立方体を乗せる。立方体は、面ごとに三掛ける三の、九マスに分割されている。色は六色あるようだった。


「何ですか?」

「それさ、回るのよ、任意の各列が」


 席に移動しながら、アニカは言う。


「六面を同一の色で合わせれば完成、ってワケ。一色揃えといたから、あとはやっといて」

「そんな……。わたし、こういうの苦手なんですよう……」

「おはよう」


 アニカが口を開く前に、“蓮華の間”に、新たな人物がやって来た。白鷹隊の副隊長にして、騎士のマルタである。黒人(ネグロイド)で、紫色の髪を、男子のように短く切りつめているマルタは、四代続けて騎士を輩出している、シャンタイアクティ領内では名高い家系の出身である。


「おはようございます」

「あ、そのオモチャ――」


 マルタは、席に移動しながら、アニカとタマラを交互に見やる。


「タマちゃんにあげるの?」

「解いてもらうのよ。解けたら、手柄はあたしのもの」

「ええ? それはズルい」

「そのパズルを解けた(やっこ)は、四人しかいない」


 アニカは右手の指を立てる。が、指は五本立てていた。アニカは、冗談なのか本気なのか、よく分からない仕草をする。


「ペルジェと、ジイクと、ニフシェ――この辺りならまだ分かる。と・こ・ろ・が、もうひとり、ミカイアもできたっていうんだよ」

「ミカが?」


 マルタが目を丸くする。


「びっくりするでしょ? あたしはね、マユツバだと思ってる。拳でバラバラにして、作り直してる――」

「ハハハ――」


 アニカの言葉に、マルタが笑う。ハスキーボイスのため、マルタの笑い声は耳に残る。タマラも、マルタにつられて笑ってしまった。


「あたしはね、そろそろこの白鷹隊からも、パズルを解ける人が出ていいと思ってるんですわ」

「だな。“トリ頭集団”の汚名を返上しないと。(かしら)にやらせてみれば?」


 “(かしら)”とは、シノンのことである。


「姉さん、人が悪いっスね。あの人、歩きながらガム噛めないっスよ」

「ハハハ」

「ふふっ――」


 おどけて言ってみせるアニカに、マルタは大笑いし、タマラも噴き出してしまう。


 そのままタマラは、レイラを見てみたが、レイラは相変わらず真顔で、所在なさそうだった。


「えへん、えへん!」


 扉の側から、わざとらしい咳払いが聞こえてくる。白鷹隊の隊長・使徒騎士のシノンだった。


 シノンは、使徒騎士のルフィナと一緒だった。“蜥蜴”の魔法属性であるルフィナは、白鷹隊のメンバーではない。“蓮華の間”で朝餐を行うときには、白鷹隊のメンバーでない者を客として迎えることが、しきたりとなっていた。その日は、ルフィナが来る予定の日だった。


「おはようございます!」

「おはよう。アニカ、ひとつ言っておきたいことがある」

「はい?」

「歩きながらガムを嚙むのは、マナー違反だ」


 シノンの言葉に、マルタとアニカが笑う。二人の笑いにつられ、タマラも笑いを堪えられなかった。


 笑い過ぎて、涙が出そうになったタマラは、それでも心のどこかで、戦争がもうそこまで来ているということを、頭から追い払うことができなかった。


 いつものように、騎士見習いや準騎士たちが料理当番をする。いつものように、騎士たちがそれを食べ、いつものように会話が弾み、みなが笑う。そんな、いつものことの積み重ねが、まもなく、初めからなかったかのように消え去ろうとしている。


「冷めないうちに食べましょう」


 円卓に並べられた料理を見て、ルフィナが言った。


「今日は大事な日です。せっかく用意してくれたのですから」


 大事な日。その言葉に、タマラは奥歯をかみしめる。


 シノンとルフィナが椅子に座り、マルタ、アニカ、それからレイラも席につく。


 給仕係のタマラは、みなが朝餐を終えるまで、ずっと立っているつもりだった。


「あなたの分は?」


 そんなタマラに、ルフィナが声を掛ける。


「わたしは給仕なので……座るわけには……」

「いいよ。タマラも食べよう」


 腕組みをした姿勢で、シノンが言った。


「レイラとアニカの間に入って」

「でも、五人前しか作ってなくて――」

「じゃあ……みんな五分の一かな?」

「六分の一です、マルタ」

「え?」


 ルフィナの答えに、マルタが目を丸くする。アニカが手を叩いた。


「嫌っスねぇ。五分の一ずつ渡したら、タマちゃんだけ五分の五じゃないっスか」

「あ……そうか」

「ハイ、本日のトリ頭――」

「アニー、喋ってないで、取り分けて」


 うそぶくアニカを、シノンがたしなめる。みんなが分けた米麺(フオー)油条(クウェイ)で、タマラの器はいっぱいになる。


「では、いただきます」


 シノンの挨拶とともに、みなが朝食に手をつけ始める。“蓮華の間”は、うって変わって静かになった。上位者が話をするまで、下位者は話をしてはならないのが、朝餐のルールである。


「レイラ、気分は?」


 油条(クウェイ)をちぎって、米麺(フオー)の器に浸しながら、シノンがレイラに尋ねる。


「緊張しています」


 うつむき加減に、レイラは答えた。


「いいことだ」


 米麺(フオー)をすすりながら、マルタが言う。


「むかし、ひいばあちゃんから聞いたよ。初陣で、われを忘れるほど緊張した人たちは、その後もちゃんと生き残って、立派な騎士になった。緊張しなかったと答えた人たちは、みんな死んでしまった、って――」

「マルタの言うとおりだよ」


 米麺(フオー)のつゆを飲み干してから、アニカが言った。アニカは食べるのが早い。


「後輩ちゃんを、一人前の騎士に育て上げるのが、先輩の務めってものさ。むざむざ死なせやしない。星誕殿(サライ)はそうやって、未来を繋いできた。でしょう、隊長?」

「当たり前だ」


 アニカに応じ、シノンが答える。みなの視線が、レイラに集まった。


「はい」


 レイラは答える。声は小さかった。


「レイラ」


 そのとき、油条(クウェイ)をちぎるのを止めて、ルフィナが言った。


「は、はい」

「その服ですが……焼き目がついていますね」


 ルフィナは、レイラの着ている、白と黒の格子柄のシャツを指さしている。


「え?」

「焼き目です。黒い焼き目」


 タマラの視界の端で、アニカが口元を抑え、椅子の上で悶えていた。その横では、マルタが腕を組んだまま、神妙な表情をしてうつむいている。しかしそれは、笑うのを堪えるときに、マルタがよくやる仕草だった。


「ルフィナ先輩、これは格子柄です」


 知らない場所に、ひとり取り残されてしまったかのような表情で、レイラは答える。ルフィナはといえば、レイラに答えることなく、静かに茶を啜っていた。


「先輩?」

「冗談です」

「え?」

「冗談です」


 ルフィナは繰り返した。


 穏やかな朝の陽射しが、円卓を照らす。


 “蓮華の間”を、これまでになかった空気が充足した。


「分かりにくいってさ、ルフィナ」


 ややあってから、シノンがルフィナのことを、肘で小突いた。


「す、すみません……」


 謝罪したのは、レイラだった。


 もう堪えられないとばかりに、マルタとアニカが、どっと笑いだす。


「なんでレイラが謝るんだよ。『ワケわかんないですぅ』って、言ってやれ、言ってやれ!」

「『服に焼き目がついてます』って……そりゃないっスよルフィナさん。無茶ぶり天国ですか、ここは」

「むかし、私は同じことを、シノンにやられました」


 涙ぐんでいるアニカに対し、ルフィナが言う。


「え? 私?」


 急に話を振られ、シノンはきょとんとしている。


「ええ。星誕殿(サライ)に入る前、襟にフリルがついている服を着て、あなたの家まで遊びに行ったら、


『ルフィナ、襟がバーッ、ってなっているよ』


 とか言い出して、あなたはせっせと、私の服の襟を、手で拭き始めました。今でも覚えています」

「私はそんなことしないよ」

「いいえ、しました」

「してないって」

「覚えてないだけです」

「してないってば」

「はいはい、はいはいはい」


 アニカが割って入る。


「のろけはこのくらいですよ。旦那さんも、ここは奥さんに譲ってあげて――」

「アッハッハ――」


 アニカが茶化し、マルタが笑い出して、シノンとルフィナが憮然としている。


 その様子がおかしくて――レイラも、肩を震わせて笑っていた。


 みなを見るうちに、熱い感情が込みあげてくるのを、タマラは感じ取った。


 この日常も、にぎやかさも、まもなく終わりを告げる。


 戦いが終わった後、もしかしたら、もう会えない人だって出てくるかもしれない。だれにも会えなくなるかもしれない。


 それでも騎士たちは、そんなことは百も承知で、今のにぎやかさを大切にしている――。


 涙が出そうになったタマラは、みなから分けてもらった油条(クウェイ)を、口いっぱいに頬張った。

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