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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第5章:時間と自由(Опыт о непосредственных данных сознания)
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109_連理の枝(лучший друг)

 告解室の、応談者側の席に座りながら、シノンは頬杖をついていた。


 小窓から射し込んだ月光が、机に置かれたガラスのコップを映し出す。コップの底には、つま先ほどの大きさの丸薬があった。


 サリシュ=キントゥス帝国の進軍を偵察していた斥候の騎士たちも、次々に前線から離脱して、南部へ退避している。明日の朝には、帝国軍はシャンタイアクティの北部にたどり着くだろう。


 丸薬は、星誕殿(サライ)に残ることになった、わずかばかりの者たちに配られたものだった。これを飲めば、たちどころに深い眠りに誘われる。それでいて、所定の刻限になれば、尾を引くことなく目覚めることができる。


 丸薬を飲むことに、シノンは踏み切れないでいた。決戦に備えるために、深い眠りが必要なことは、シノンも分かっている。しかし、薬の力で無意識へと引きずり込まれ、覚醒したときには、目と鼻の先に“戦争”がある。――それは、シノンには奇妙なことに思えた。


 むしろ緊張を覚えながら、眠れない自分に苛立ちながら、悶々として朝をむかえた方が、今の自分にはふさわしいのではないだろうか。いざというときに薬に頼らなくて済むために、自分は星誕殿(サライ)で修業を積んできたのではなかったか。――そんな考えが、シノンの頭をめぐっていた。


 そのとき、相談者側の方向から、誰かがノックする。


「シノン」


 ルフィナの声が聞こえたのと、ノックの音から、相手がルフィナと分かったのは、ほぼ同時だった。


 シノンもルフィナも、シャンタイアクティの貴族(クシャトリヤ)の出自であり、家格も年齢も同じだった。


 何より、シノンのお母さんもルフィナのお母さんも、若い頃はシャンタイアクティの騎士であり、ルフィナのお母さんが先輩、シノンのお母さんが後輩、という関係だった。


 そんな縁もあって、シノンとルフィナの二人は、幼いころからいつも一緒だった。騎士に昇叙したタイミングも、使徒騎士に昇叙したタイミングも同じだった。相手が今何を考えていて、どんな感情で、何を大切にしているのか――シノンとルフィナは、そのことがお互いに、手に取るように分かっている。


「ルフィナ」

「眠れないの?」


 壁をはさんで、ルフィナが椅子に腰かける。


「ルフィナもかい?」

「いろいろ考えちゃって。シノン、私は懺悔がしたいの」

「懺悔?」

「そのための場所でしょう?」


 ルフィナの口調は真剣だった。シノンは背筋を伸ばす。


「聞き届けましょう」

「守れない約束を、後輩と行いました」


 菩提樹の下で泣くイリヤと、その細い肩を抱きしめるルフィナの姿が、シノンの心に、鮮烈なイメージを伴って現れた。そのイメージがふくらみ、様々な感情を伴って、言葉として噴き出しそうになるのを、シノンは押しとどめる。


「ルフィナ」

「イリヤに、弱さを引き受けてあげると言いましたが、私は――」

「ねえルフィナ、聞いて」


 親友の声を、シノンはさえぎる。そうでもしなければ、シノンはみずからの激情におぼれてしまいそうだった。


「覚えてる? いちど、キミの家で遊んでいて、私は花瓶を割った。キミの家の家宝で――確か、(ショウ)()の花がかたどられた、(ほう)(ろう)の花瓶だった」


 ルフィナは黙っている。


「私が泣きながら謝ったとき、キミのお母さんは言ってくれたんだ。『人の真価は、何と戦い、何を勝ち得たかではなくて、何を許したかで決まる。大人とはそういうもの。だから、あなたを許させてくれて、ありがとう』って。今でも覚えてる」

「なら、私を許して」

「いや」


 シノンは首を振った。


「キミを許すくらいならば、私は子供のままでいたい」

「もしかして――聞いてたの?」


 ルフィナが言う。今度は、シノンが答えない番だった。


「やだ、恥ずかしい。来てくれれば良かったのに」

「イリヤだけじゃない。キミの言葉が刺さったのは」


 正面の壁を見つめながら、シノンは答える。壁には暦が掲げられていて、それは昨年のものだった。誰かが新しくするのを忘れたまま、“黒い雨”が降りはじめ、忘れ去られたままなのだろう。


「キミが懺悔するべきなのは、嘘をついたことじゃない」


 シノンは続ける。


「約束を守れないと考えてしまう、キミ自身の弱さだよ。それは煩悩(プラネー)だ」

「分からないあなたではないでしょう」


 ルフィナが言いたいこと。シノンにはそれが分かる。サリシュ=キントゥス帝国の戦車も、戦闘機も、戦艦も、シノンたちにとっては恐れるに足らない。真に怖れるべきは、“巨人(ギガント)”・ニフリートの存在だった。


 ニフリートを前にして、誰が生き残るのか。


 誰も生き残ることはできないのか。


 シノンにも、ルフィナにも、それは分からなかった。


「もし、キミとイリヤとの会話を聞かなかったとしても、私はキミを許さなかったと思う。でもね、ルフィナ」


 シノンは続ける。


「イリヤとの会話を聞いたからこそ、私は新しいことが提案できると思う。約束が重いというのなら、一緒にそれを担おう」

「シノン……」

「手を貸して」


 籐でできた壁の一部は、めくれるようになっている。壁をめくると、ルフィナに向かって、シノンは手を伸ばす。


 もう、シノンったら――と、困ったような口調で、ルフィナはシノンの手に触れる。これまでに何度も味わい、何度も記憶したルフィナの手のぬくもりが、シノンに伝わってくる。


「イリヤとの約束を分かち合うんだ」


 シノンは言った。


「ひとりでは難しいことも、二人でならば乗り越えられる。私はそう思う」

「ありがとう。弱さを引き受けてくれて」

「こちらこそ、助けさせてくれてありがとう」


 それからしばらく、二人は何も言わなかった。夜陰に紛れて鳴く虫の音に耳を澄ませながら、シノンもルフィナも、互いの手を取りあっていた。


「信じられる?」


 やがて、ルフィナが口を開く。ルフィナは笑っていた。


「昨年までは、まだみんながいた。ニフリートも、私たちの仲間だった。千年も昔のことのよう」

「そうだね。本当に」


 コップの底に転がっている丸薬を、シノンは見つめる。今の自分には無用なもののように、シノンには感じられた。

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