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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第5章:時間と自由(Опыт о непосредственных данных сознания)
108/165

108_はるかにいっぱいの(Слишком много)

――(くも)()(うち)なる(こう)耀(よう)(しか)して()円環(めぐ)る星を見よ。皆を導く星こそ、(なんじ)が歳星なれ(雲の内にある光、そして、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星こそが、お前の星である)。【『ユダの福音書』、第57頁】

「終わった」


 最後の準騎士が、“歳星の間”を立ち去った瞬間、シノンが言った。“成し遂げた”というよりも、“戻ることはできない”という意味のように、クニカには聞こえた。


 使徒騎士たちが、そっと息を吐いたり、長剣を鞘に収めたりする間にも、イリヤたちが去っていった扉を、クニカは見続けていた。決心がついてから、イリヤが去るまでは、ほんの一瞬だった。現にクニカの心臓は、ロシアンルーレットをたわむれに回していたときから変わらず、高鳴り続けている。


「クニカ」


 背後から、クニカは声をかけられる。ルフィナがいた。


「あ……どうも……」


 クニカは、あいまいな返事をする。星誕殿(サライ)へやって来てすぐのときに、クニカはルフィナと会っている。しかし、直接に言葉を交わすのは、今回が初めてだった。


 歩み寄ると、まごついているクニカの身体に、ルフィナは腕を回す。抱きしめられているのだと気付くのに、クニカは時間がかかった。


「ルフィナさん?」

「ありがとう。イリヤを止めてくれて」


 ルフィナの言葉に、クニカの心も静かになっていく。ルフィナは、ペルガーリアの義理の妹であると同時に、イリヤの義理の姉でもある。


 “歳星の間”に乗り込んだときも、ルフィナはシノンとともに、イリヤと対峙していた。あの厳しさは、イリヤに向けられたものであると同時に、ルフィナ自身にも向けられたものだったのだろう。


「わたしは、別になにも……」


 こめかみに当てがった銃口のつめたさを思い出し――それをしたのは自分自身であるというのに――、クニカは身ぶるいする。あんな行動を、どうして取ったのか。あんな行動を取るだけの勇気を、どうして自分が持ち合わせていたのか。クニカは、自分でもよく分からなかった。


 それでも、クニカは後悔していなかった。もう一度やり直すことができたとしても、何度も同じ時間を、自由に繰り返すことができたとしても、自分は同じ行動を取っていただろうと、クニカは思った。


「自分でもよくわからない、というか――」

「あなたは救世主です」

「――え?」


 “救世主”の単語に、クニカはドキリとする。ルフィナの胸元から、クニカは身を離した。


「わたしが助けなくても……使徒騎士のみなさんが……」

「いいえ。あなたはあの子たちを救ってくれた。私たちも」

「ええっと――」

「そういうことだ」


 傍らにいたペルガーリアが、口を開いた。


「ただ去らせるだけなら、オレたちでもできる。だけどそれをしたら、イリヤたちはきっと、今日が忘れられなくなる。悪い意味でな。そういう記憶はタチが悪い。忘れられない目に遭ったやつらは、将来において、今度は同じ目に、別の誰かを遭わせることになる――」

「それは間違いない」


 ペルガーリアの言葉に、オリガはうなずく。


「そうだよな?」


 オリガの言葉に、ジイクとアアリの姉妹も、シノンも、同じようにうなずいてみせた。


 クニカはイリヤを救った。――クニカは喉の奥で、その命題を噛みしめる。ある一面において、ルフィナたちの言葉は正しいように思える。しかしそれは、イリヤたちの命を危険から遠ざけたという、せまい意味での救いにしかならないように、クニカには思えた。


 イリヤが星誕殿(サライ)を“去るべきだった”のは、彼女が希望だからだ。クニカやペルガーリアたちが、ニフリートと対決して命を落としたとしても、イリヤが生きてさえいれば、水平線から新しい太陽が昇るように、未来は生き残った人々の前に開かれる。


 しかし、その陽射しが人々を勇気づけるためには、イリヤは使命を自覚しなければならないだろう。太陽としての使命を。


「プヴァエたちを呼んできてくれ、オリガ」


 ペルガーリアが、オリガに声を掛ける。


「おそい時間だけれど、作戦の最終確認をしよう――」

「ちょっと待って」


 クニカは、リンの側に近づいた。


「一瞬だけ、戻っていいかな? プヴァエたちが来るまでには、また来るから」

「わかった」

「リン、一緒にきて」

「何だよ――」


 リンの手をつかまえると、“歳星の間”を、クニカは抜け出す。


「イリヤを探したいんだ」

「またルーレットか?」

「もうやらないよ」

「今度やったら、承知しないからな」


 リンはぶつくさ言っていたが、背中にはすでに鷹の翼が生えていた。


「分かったってば」


 そう言う間にも、クニカの足は地面から離れる。つないだ手を通じて、クニカはリンにぶら下がった。


 クニカの魔力を受けて、リンの翼が、星誕殿(サライ)の夜空をはためく。


 “黒い雨(ドーシチ)”の脅威は南大陸(キリクスタン)から取り除かれている。中空に身を躍らせながら、クニカは夜空を見上げる。地球と同じような星河(ミルキーウェイ)が、頭上にちりばめられている。


 もしかしたら、地球世界で、自分と同じように星河を見ている者がいるかもしれない。そう考えると、クニカはみずからの生命が、自分のものであると同時に、誰かのものでもあるかような、不思議な感覚を味わった。


「クニカ、あそこ」


 リンの声に、クニカはわれに返る。リンが指さす先は、星誕殿(サライ)の正門、シャンタイアクティ市街との結節点だった。数台のバスが停まっていて、準騎士たちが次々と乗り込んでいる。


 イリヤは、正門の脇の、灌木で覆われた小庭にいて、ほかの準騎士たちを見守っていた。


「イリヤ!」


 リンが高度を下げたのを見はからって、クニカは声を上げた。


「あ……!」


 クニカに気付き、イリヤは声を上げたが、すぐに顔をそむけた。火傷した手を庇うイリヤの様子は年相応で、“歳星の間”で見たときとは比べ物にならないほど弱々しく、小さくなっているように、クニカには感じられた。


 イリヤの周りにいた準騎士たちも、ばつが悪いのか、めいめいに顔を見合わせている。そんな中を、クニカはイリヤのところまで近づく。イリヤの頬が涙で濡れていることに、クニカは気付いた。


――イリヤはな、いずれ巫皇(ジリッツァ)になれる人材だと思ってる。本人は一人前のつもりで――まだまだ全然なんだけれどさ。


 花嫁の間(ニユンフオーン)で、ペルガーリアはそう言っていた。友だち想いの勇気はあっても、ペルガーリアの言葉どおり、イリヤは未熟なのだ。


「手を貸して」


 イリヤの前に、クニカは手を差し出す。クニカの指先を見つめ、イリヤは逡巡していたが、それからそっと、焼けただれた左手をイリヤは差し出した。イリヤの手は水ぶくれになっていたが、その表面には軟膏が塗り込まれていた。イリヤの友だちが、手当てをしていた途中だったのだろう。


 深く息を吐きながら、クニカは手に力を込める。クニカの指が触れた瞬間、黄金(こがね)色の光が、イリヤの手を包んだ。


  “救済の光”で、イリヤの皮膚のただれは収まり、水ぶくれは小さくなって、まるで蒸発したかのように消え去っていく。わあっ、と、準騎士のリーリャが歓声を上げる。星誕殿(サライ)へやって来てから、自分の能力を準騎士たちに示したのは、これがはじめてだったことに、クニカは気付いた。


 “救済の光”が収まったときには、イリヤの手は元どおりになっていた。


「すごい……!」


 隣で見守っていた準騎士のサーシャが、声を上げる。


「クニカ様は……本当に救世主なんだ……!」

「ありがとうございます」


 左手を何度も握り締めたり、開いたりしながら、イリヤが言う。


「その……何て言えばいいか――」

「イリヤ、もう一回」


 目を白黒させるイリヤをよそに、クニカは強引に、イリヤの両手を握り締める。


「エリカ、キーラ、サーシャ、それにリーリャも――」


 その場に居合わせた、ひとりびとりの準騎士たちの名前を、クニカは呼ぶ。


「いい? 先輩たちには内緒だよ? だけど、あなたたちには証人になってほしい」


 イリヤの両手をつかんだまま、クニカはその手をたぐり寄せ、イリヤの身体を抱きしめる。


「クニカ様……?」

「イリヤ……イリヤ・ホークハイエスト=ラァ」


 周りにいる準騎士たちにも、背後にいるリンにも聞こえるほどの声で、クニカははっきりと告げる。“救済の光”と同じ光が、雲のようになって、クニカとイリヤを包む。


「わたしは……クニカ・カゴハラは、あなたを祝福します」


 光は発散し、周囲は再び、夜のとばりに呑まれる。光がまばゆかったために、夜は暗さを増したようだった。


 その暗さの中心に、クニカとイリヤは、二人で立っていた。


「クニカ様」


 イリヤは言う。ぼろぼろと泣いていた。


「よく聞いて」


 イリヤの手を握り続けたまま、クニカは言う。


「この祝福はね、イリヤだけのものじゃないんだ。わたしの代わりに、イリヤと一緒に南へ行く子たちに、祝福を与えてほしいんだ。それから、これからイリヤが出会う、すべての人たちにも――」

「そんな……私だけじゃ……」

「大丈夫だよ」


 イリヤのことを、クニカは励ました。


「さっきまで、あんなに勇気出してたじゃん。わたしの代わりにさ、わたしの分まで――はるかにいっぱいの祝福を、みんなに贈ってあげてほしいんだ。イリヤならできるからさ。ね? 約束だよ」

「約束します……」


 そう言いながら、イリヤは泣きじゃくる。


「必ず……」

「必ずだからね、約束だよ!」


 イリヤから手を離すと、クニカは後ろへさがる。


「さようなら、もう戻るからね――」


 リンと手をつなぐと、“歳星の間”へ、クニカは戻ろうとする。


「飛ばないのか?」


 自分よりも前を歩き、その手を引っ張ろうとするクニカに、リンは尋ねる。


「うん。走りたい」

「何だよ、それ」

「いいじゃん。たまにはさ――」

「――いいのか?」


 リンの言葉につられて、クニカは後ろを振り向く。準騎士たちに囲まれながら、イリヤは地面に膝をついて泣いていた。


「大丈夫だよ」


 クニカは答える。


「あとは、わたしの問題だから――」

「なら、いいけどな」


 それ以上は、リンも何も言わなかった。

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