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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第5章:時間と自由(Опыт о непосредственных данных сознания)
105/165

105_ここには何もない(Здесь не на что смотреть.)

 ――(しか)して我は、獅子の口の(うち)に居たり。されど、彼の者らの迷いと愚かさと消滅のための(はか)りに対し、我は、彼の者らのとおりには争わざるなり(私は獅子の口の中にいた。しかし、彼らが、みずからの迷いと愚かさと消滅のために企てた計略に対し、私は、彼らの計略のとおりには争わなかった)。【『大いなるセツ第二の教え』、第18節】

 幼い頃に犯した罪を、目の前に突きつけられたかのような息苦しさを覚え、クニカは目を開ける。全身を包みこんでいたはずの夜の闇は、意識がはっきりするにつれて、どこか遠くへ、光の中へと逃げていってしまった。


 ペルガーリアから逃れ、リンを遠ざけてから、クニカはベッドに潜りこみ、夜のとばりが降りるのを、眠りがみずからをいざなうのを、じっと待っていた。しかし、かたく目をつぶればつぶるほど、息を落ち着かせようとすればするほど、心臓の鼓動はうるさく、クニカを苦しくさせた。眠りでもなければ、覚醒でもないような意識の合間を、クニカは宙づりにされ続けた。


 苦しみをどうすることもできず、クニカはとうとう身を起こした。隣のベッドに目線を移し、クニカはここで、リンがいないことに気づく。


「リン?」


 クニカは声を発した。部屋のどこからも返事はなかった。


 掛布が折り畳まれたままのベッドを、クニカは見つめる。それからクニカは、壁にかけられた時計に目をとめ、思いのほか時間が経っていなかったと知り、愕然とする。そろそろ朝を迎えるだろうと思っていたにもかかわらず、日付さえまたいでいない。


 リンに会いたい――。唾を呑みこむと、クニカは目を閉じ、意識を集中させる。心臓の鼓動は相変わらず強く、息を殺している間に、破裂してしまいそうだった。


 まぶたの裏の暗がりから、リンの“心の色”を、クニカは見いだそうとする。無数の“心の色”が、星河のように、星誕殿(サライ)に瞬いていた。夜の暗さに、星誕殿(サライ)に集う多くの人びとが、心を許しているようだった。


 ひとつびとつの“心の色”に、それを宿す人格がある。自分のほかに、世界には大勢の人間がいる。それらの人々の中には、自分と異なる感情を持っている者もいれば、同じ感情を、違ったふうに抱く者もいる。考えてみれば当然だが、今のクニカには、それは不思議なことに思えた。


 “花嫁の間(ニユンフオーン)”の側には、二つの“心の色”がまたたいていた。灰色のかげりを帯びるそれらの色を、クニカは眺める。灰色は、不安や、動揺や、あるいは直接に、後ろめたさを表す色である。他人をあざむくことはできても、自分の心をあざむくことはできないからだ。ペルガーリアとリンがそこにいるのだと、クニカは直感した。


 クニカは部屋を抜け出す。ペルガーリアから逃げてきた道のりを、今度は逆に、“花嫁の間”まで進んでいく。


 湿気の多い夜だというのに、廊下に横たわる夜気は冷たかった。



   ◇◇◇



 突きあたりを曲がってすぐのところで、クニカは、リンが “花嫁の間”の前に立っているのを見た。


「リン――」


 声を上げた矢先、“花嫁の間”の緑の鉄扉が、外側に向かって開かれた。反射的に壁に寄ると、柱の陰に、クニカは身を隠した。どうして隠れるのか、クニカ自身にも分からなかった。


 リンの着る白いシャツが、月明かりに照らされ、まぶしくなる。鉄扉から抜け出したペルガーリアは、右手に錫杖(カッカラ)を携えている。錫杖に連なる遊環(リング)が、通路に音を響かせた。


「どうした?」


 リンを認めると、ペルガーリアが言った。


「寝てなかったのか?」

「ああ」


 スニーカーのつま先を、リンは床にこすりつける。


「聞きたいことがあるんだ」

「ハハ……ご苦労なことだ」


 ペルガーリアの表情は、影に隠れて見えない。


「呼んでくれれば、まねき入れたのに」

「そうやったのか?」

「え?」

「クニカにも、だよ」


 所在なさそうに、リンは通路の窓辺に近づく。もともとリンは色白だったが、青ざめているように、クニカには見えた。


「アンタの口から聞きたいんだ。昼間に何があったのか。クニカは怯えてた」


 唇を引きむすんだまま、リンは体を小刻みに揺らす。“心の色”は、相変わらずの灰色だったが、形は一様ではなく、輪郭はうごめいていた。リンは、良くない答えを予感していて――予感のとおりに答えを得られたとして、その後どうすれば良いのかまで含めて、戸惑っているようだった。


「リン」


 ペルガーリアは口を開く。


「キミはクニカに優しいと、オレは以前に言った。けれど違うな。キミはクニカを愛している」


 答える代わりに、リンはただじっと、ペルガーリアを見つめる。


「クニカもキミを愛している。いいな。うらやましい」

「なあ、オレは――」


 リンが言い寄ろうとした矢先、ペルガーリアは左手を伸ばすと、指を鳴らした。次の瞬間、リンはもだえ、そのまま後ろへ倒れこむ。


 クニカは叫びそうになり、自分の口を手で覆う。指を鳴らしたとき、ペルガーリアはリンの頭の中に、影像(イメージ)を投げかけたのだろう。


 ペルガーリアの足下に横たわったまま、リンは両手で頭を抱え、声を上げていた。足をばたつかせ、大理石の床をかかとでこすりながら、立ち上がろうと、リンはもがいている。


「刺激が強過ぎたか?」


 首を振りながら、ペルガーリアがリンを見下ろす。


「お前がクニカを愛しているというのなら、最初の相手はお前に譲ってやる」


 声を上げると、リンは立ち上がり、ペルガーリアに向かって腕を振りまわした。錫杖から手を離すと、ペルガーリアはリンの腕を、右手で受け止める。リンはなおもペルガーリアに迫ろうとしていたが、ペルガーリアの方が(うわ)()だった。ペルガーリアが右手を突き放すような仕草をすると、リンはぐらついて、再び床に倒れこんだ。


「リン!」


 そのときにはもう、クニカはいても立ってもいられなかった。かけ寄ると、クニカはリンにしがみつく。


 錫杖が、遅れて床に倒れ、音を響かせた。


「クニカ?!」

「もういいよ」

「離せ」


 クニカはリンを止めようとしてもがき、リンはクニカから離れようとしてもがく。二人とも声を発さず、辺りは静かだった。


「いいんだって」

「いいわけないだろ?!」


 リンが叫ぶ。リンの目は血走っていて、体から伝わってくる鼓動は、クニカのものよりも激しい。それでもクニカは、リンの態度のすべてから、怒りよりも真摯さを、憎しみよりも愛を、感じ取ることができた。それは、クニカが今、リンから欲していたもののすべてだった。


「お前のことなんだぞ、クニカ?! 家族が侮辱されて黙ってろって言うのかよ?! 絶ッ対に赦さねえからな、こんな奴――」

「妹……」


 右手のひらを見つめながら、何かを思い出したようなそぶりで、ペルガーリアが呟く。リンのこぶしを受け止めたとき、リンの妹を――命を落としたリヨウの記憶を――ペルガーリアは引き出したようだった。


「妹がいたのか」


 リンに腕を振りほどかれ、クニカは尻餅をつく。立ち上がったリンは、肩で息をしていた。クニカの目の前で、リンのこぶしは再び握りしめられ、指の関節が真っ白になる。


「オレにも妹がいる」

「殴らせろ!」


 固められたリンのこぶしが、ペルガーリアの頬に迫る。リンのこぶしがペルガーリアの影をかすめた瞬間、湿った、沈みこむような音が、クニカの耳に届く。


「あっ」


 クニカは声を上げた。リンの一閃が、ペルガーリアにさく裂した。倒れこそしなかったものの、殴られた勢いで、ペルガーリアは顔を背ける。緑の髪が流れ、ペルガーリアの顔を隠した。


 ペルガーリアの正面に立ち尽くしたまま、リンはこぶしを開くと、ペルガーリアを凝視する。


「お前……!」


 リンが声を震わせる。その声は、怒りのためというよりも、怖れのために震えているようだった。心のどこかで、ペルガーリアはリンのこぶしを避けるだろうと、クニカは考えていた。――同じことを、リンも考えていたのだろう。


「避けなかったな……!」

「フェアじゃないだろ?」


――その方がフェアだろ?


 昔の記憶がよみがえり、クニカははっとする。チャイハネたちが仲間になる前、ウルノワの病院で敵対していたとき、チャイハネは、今のペルガーリアと同じようにリンに殴られ、ペルガーリアと同じように答えていた。


 あのときのチャイハネは、死にかけていたシュムを救うために、手段を選ばなかった。


 リンもまた、ウルノワでの一件を思い出していたにちがいない。リンは相変わらずペルガーリアを凝視していたが、挑みかかるような気配は、なりを潜めていた。


 そんなリンをしり目に、ペルガーリアは自身の髪を払いのけ、床に落ちた錫杖に手を伸ばす。ペルガーリアの口元は、すでに(あざ)になっていた。


「もっと楽しく――ウウン」


 咳ばらいをすると、ペルガーリアは左手で口元を拭う。白い手首に、血の痕が尾を引いた。


「もっと楽しく生きられたらな。な?」


 ペルガーリアは錫杖を拾う。クニカは何も答えられなかった。


 そのとき、遠くから、誰かの足音が聞こえてきた。クニカたちのいるところまで、誰かが駆け足で近づいてくる。廊下の突き当りから、オリガが飛び出してきた。


「ペルジェ――」


 居並ぶ三人を見て、オリガもただならぬ様子を察知したらしい。目を細めると、オリガは三人を代わるがわる見やった。


「何があった?」

「いや、オリガ」


 口を開いたのは、ペルガーリアだった。


「何もなかった」

「その傷――」

「復唱しろ」


 正面に立つと、ペルガーリアはオリガの肩に手をかける。


「『ここには何もない』」

「こ、ここには何もない――」


 ペルガーリアに気圧され、オリガが繰り返す。その言葉を認めると、ペルガーリアはオリガから離れる。


「それで、オリガ、」


 鼻白んでいるオリガに対し、ペルガーリアは続きを促した。


「用件は?」

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