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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第5章:時間と自由(Опыт о непосредственных данных сознания)
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102_違う島(Разные острова)

――止めよ、止めよ。(なんじ)ら、物の(ことわり)の裡を歩む者らよ。見よ。我は死すべき者の世に(くだ)(きた)らん。(『三体のプローテンノイア』、第11章)

「あっ――」


 エリッサは声を上げる。手元から滑り落ちた白い花瓶が、床に当たって割れる。破片は放射状に飛び散って、活けたばかりのひなげしの花が、水を被り、しなびたようになってしまう。


「ちょっと、ちょっと」


 立ち尽くすエリッサの下に、リテーリアが駆け寄ってくる。


「ケガはない?」


 そう言いながら、リテーリアは、破片を拾い始める。申し訳なさで、エリッサは胸がいっぱいになる。


「ごめんなさい、わたしやりますから」

「いいよ。それにさ、指でも切ってごらんよ。あたしがペルジェに怒られちゃうんだから」


 水びたしになった床から、リテーリアは、慣れた手つきで、破片を拾い上げる。大粒の破片を、リテーリアが拾い上げた頃に、どこからともなく、準騎士がひとりやって来た。リテーリア黙って手を差し出すと、準騎士はその破片を受け取る。


「見てごらん」


 準騎士に手渡した破片の中から、ひときわ大きなものを選ぶと、リテーリアはそれを、エリッサの前にかざした。


「え?」

「ここ。白い筋がある。ガラスで()いである」


 照明の光を前にして、破片はきらめく。きらめき方は一様でなく、まだらに反射した陰影の中に、白い筋が浮かび上がっていた。


「本当だ――」

「昔もドジな奴がいたんだね」

「う……ごめんなさい……」

「これさ、取っといてよ」


 リテーリアは改めて、破片を準騎士に手渡す。


「戦いが終わったら、また接いどいて」

「先輩、仲間に伝えておいてもいいでしょうか?」

「何で?」

「その、もし私が(たお)れたら……」


 準騎士の背負う剣の(つか)が、照明の光を受ける。ためらいがちな準騎士を前にして、エリッサは息を呑むしかなかった。準騎士は、自分よりも年下だろう。にもかかわらず、戦いに備え、覚悟ができている。――花瓶を割って慌てている自分のことが、エリッサは急に恥ずかしくなる。


 足元で水浸しになっているひなげしの花びらに、床の埃が混じる。


「余計な心配だよ」


 リテーリアが肩をすくめる。


「そんなことより――いや、分かった。気の済むようにしな」

「はい。ありがとうございます」


 両手に破片を乗せたまま、準騎士はリテーリアとエリッサに一礼し、下がっていった。


「あのさ、エリー」


 通路を曲がり、準騎士の姿が見えなくなるのを確認すると、エリッサの耳元で、リテーリアが囁いた。


「何か、考えごとしてるでしょ?」

「へ?」

「結界張ったくらいからさ、ボンヤリしてる」

「あ……そう見えます?」


 エリッサは照れくさくなった。結界を張る儀式の最中から、エリッサはずっと、フランチェスカのことを考えている。儀式の前に、フランチェスカから告白を受けたのは、エリッサにとって、素直に嬉しいことだった。自分を好きになってくれたフランチェスカのことが、エリッサは大好きになっていた。


「はは、ニヤけてますよ、お嬢さん」


 エリッサの脇腹を、リテーリアは肘で小突く。


「良いことあったんでしょう? ほら、遠慮しないでさ、オジサンニ言ッテミタマエ」

「その、わたし……フランに告白されたんです」


 恥ずかしさに身をよじりながら、エリッサは答える。


「え?」

「その、『愛してます』って、言ってもらえて」

「何て答えたの?」

「『大好きです』って、言いました……」


 自分の顔が真っ赤になっているのを感じ取り、エリッサは両手で顔を覆った。


 だから、エリッサは当然、リテーリアがどんな表情をしているのか、見ることができなかった。


「じゃあ、エリッサ、あれだよね? 今、幸せでしょう?」

「はい。とても……」

「いいなァ、それは。そんなに愛してくれる人がいるなんて、幸せ者だよ」


 リテーリアは窓を開け放つ。エリッサは、両手を顔から離す。そのときには、リテーリアは窓を開け放ち、窓辺に寄り掛かって、煙草を取り出していた。


「リテーリアさん?」


 エリッサは声をかけるが、リテーリアは返事をせず、紫煙を吐き出していた。


「ええっと、その……リテーリアさんは、どうなんです?」

「はい?」

「その、愛する人、というか……」

「いたよ。去年までは」


 “去年まで”――言葉の響きの不気味さに、エリッサはまじろぐ。


 言葉を選ばなければ、リテーリアを傷つけてしまうのではないか。エリッサはそう考えた。しかし、エリッサが考えをめぐらすよりも、リテーリアの方が早かった。


「死んじまったんだな。あたしにとっては、弟だった」

「――ごめんなさい」


 気まずさから逃れるすべを失い、エリッサは、卑怯とは分かりつつも、みずからの動揺を隠すため、床にかがんで、ひなげしの花を拾い始めた。窓辺に向かって歩いたリテーリアによって、ひなげしの花の幾本かは踏みにじられていた。


「辛かったな、あのときは。久しぶりに、心が迷った」


 鼻から紫煙を吹きながら、リテーリアは言う。


「もともとさ、あたしは孤児だった。魔法が使えたから、星誕殿(サライ)に拾ってもらって。その子とは血がつながってないんだけど、でも、あたしにとっては弟みたいなもんだった。『医者になるんだ』って言っててさ」

「その……何て言ったらいいか……」

「いいんだ、エリー。もう終わった」


 リテーリアはかぶりを振る。


「その代わりさ、フランのことを、ちゃんと愛してあげるんだよ。べらぼうに愛してあげたいと思ったときに、もしかしたらさ、その人はいなくなってしまうかもしれない」

「はい……ありがとうございます」


 ひなげしの花を両手に掲げながら、エリッサは言った。


「いい返事」


 リテーリアは笑う。


「同じことを、フランにも伝えておくよ。きっとその方がいい。『愛してあげたいと思ったときに、その人はもういないかもしれない』、人はそのようにして生きる。逆に言えば、人はそのようにしてしか、生きることができない」


 リテーリアの言葉は、みずからに言い聞かせるかのようだった。


 もし、クニカがこの場にいたのならば、リテーリアの“心の色”を、覗く機会があったかもしれない。しかし、クニカはこの場におらず、リテーリアとエリッサが再び会うのは、次の日の朝だった。そのときには戦いが始まっていて、取り返しはつかなかった。

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