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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第5章:時間と自由(Опыт о непосредственных данных сознания)
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101_菩提樹の下で(Под липой)

 中庭へと続く回廊を、使徒騎士のシノンは早足で歩く。同じく使徒騎士の地位にある、ルフィナに会うためだった。


 シノンとルフィナは、同じ家格の貴族(クシャトリヤ)の出身であり、年齢も同じだった。幼いころから、二人はいつも一緒で、騎士への昇叙も、使徒騎士への昇叙も同じタイミングだった。


 先ほどまで、シノンは告解室で、他者の告解を受けるという勤行を行っていた。騎士の地位にある者が果たさなければならない、重要な勤めのひとつだった。


 告解室にやってきた者は、ひとりだった。しかし、そのひとりが重要だった。訪れたのは、“救世主”である、カゴハラ・クニカだった。


――どうすればわたしは、勇気を持つことができますか……?


 シノンの履く(ブーツ)のかかとが、中庭の下草を踏む。


 あのとき、クニカはうろたえていた。そして、平静を装ってはいたが、うろたえていたのは、シノンも同じだった。クニカの問いの切実さを、シノンは理解できた。建設的な回答ができなければ、悩みの(あぎと)に捕らわれたまま、クニカは永遠に抜け出せなくなるだろう。そんな切実さを前にして、シノンは(ひる)んだのだった。


 そして、回答に失敗した――と、シノンは思っている。答えている最中にも、心の裡に潜むもうひとりの自分が、回答を打ち消すよう言っていることに、シノンは気付いていた。


「“勇気を持ちたい”と考えることは、ひとつの欲である。欲は棄てがたく、だから受け入れなければならない」


 それがシノンの答えだった。


 ただ、クニカが欲しているのは、欲を超克することではなく、それを実現することにある。騎士の直観により、クニカの欲望の切実さを、シノンは間近に読み取った。クニカは、ミカイアの死に立ち会っていて――それを自分の責任と感じていた。二フリートが復活し、サリシュ=キントゥス帝国の軍を引き連れて、シャンタイアクティに襲来することに、恐怖を覚えていた。


 しかしその恐怖は、自分の生命が危機に瀕していることに対するものではない。ミカイアを喪ったのと同じように、この場にいる人たちを、死なせてしまうのではないか。――クニカの怖れは、そこに(みなもと)がある。


 クニカは、“(ドラクォン)”の魔法使いである。ニフリートが滅びの象徴ならば、クニカは救いの象徴である。ニフリートに対峙できる存在は、クニカをおいてほかにない。それが、周囲がクニカに期待することであり――同時に、クニカがみずからに期待することでもある。だからクニカは、失敗し、期待を損ない、すべてを喪うことを怖れている。


 そうであるならば、欲を受け入れたとしても、問題は解決しない。欲を受け入れ、心の平静を手に入れたところで、期待に応えられなければ、クニカが大切に思っているであろうものは、目の前ですべて喪われてしまうだろう。


 しかし、勇気の持ち方について、シノンが答えを持たないのも事実だった。それは、シノンもまた、勇気を欲していたためだった。


 だからシノンは、ありきたりの回答をほどこす以外に(みち)がなかった。回答を得た後のクニカは、つとめて健気に、得心したように振る舞っていた。それが、回答者である自分を傷つけないようにするための気遣いであると、シノンには分かった。配慮すべきはずの自分が、かえって配慮されていることは、シノンにはこたえた。


 灌木をまわり込みながら、シノンは中庭の中心にある、菩提樹の木立を目指す。ルフィナは習慣を大切にする。“黒い雨(ドーシチ)”の最中にあっても、それは変わらなかった。週のこの日は、正午から午後にかけて、ルフィナは菩提樹の木陰に憩い、瞑想するか、聖典を読むか、後輩の相談を受けているかが常だった。


 クニカでなければ、ニフリートには勝てない。と同時に、クニカだけでは、ニフリートには勝てない。ニフリートは、魔法においては巨人(ギガント)である。彼女と対等にわたり合えるのは、星誕殿(サライ)においてはペルガーリアしかいない。しかしニフリートは、ペルガーリアと真っ向から対峙はしないだろう。敵の手数が多いならば、弱い者から順に(ほふ)るのが、戦術の常道である。となると、前線で戦うことになる“弱い”使徒騎士が、真っ先に狙われることになる。それは自分か、又はルフィナになるということを、シノンは知っていた。


 躑躅(ツツジ)の木立を抜けた先に、菩提樹はある。そのとき、シノンは突然、菩提樹の側から声が漏れてくることに気づいた。。声はイリヤのもので、すすり泣いているようだった。


 ツツジの灌木に身をかがめると、シノンはそっと、菩提樹の辺りをのぞき見る。


 どうして自分は、隠れようとしているのか? シノン自身も、よく分からない。ただ、イリヤは泣き虫だが、誰かのために何かをするときには、決して泣かないし、一歩も退かないということを、シノンはよく知っていた。“黒い雨”が降り出してからというもの、イリヤが泣いていたという話を、シノンは聞かなかった。


 だからこそ、今イリヤが泣いているのは、何かの理由があるはずだった。それが気になり、自分は隠れるようなことをしている――と、シノンはみずからに言い聞かせる。


 菩提樹の下には、ルフィナと、イリヤがいる。ルフィナは、菩提樹の幹に背を預けている。その膝を枕にして、イリヤは泣いていた。


「お姉さま……」


 ルフィナとイリヤに、直接の血のつながりはない。イリヤがルフィナを姉と慕うのは、イリヤの実の姉・ペルガーリアが、幼少の頃、ルフィナの生家・エルミン家に養女に出されたためだった。それは、当時エルミン家には子女がいなかったためだが、間もなくルフィナが生まれたために、ペルガーリアは結局、生家に戻ることになった。したがって、ペルガーリアとルフィナは、家系上は姉妹だった期間が、わずかにある。だからイリヤは、ルフィナを“もうひとりの姉”として慕うのだった。


「私、自分が情けなくて」


 イリヤの告白を、ルフィナは黙って聞いている。夜だというのに、異常なまでに暑かった。じっとしているだけでも汗ばんでしまうほどだったが、ルフィナは穏やかで、涼しげな表情をしている。


「クニカ様が、使徒騎士になると聞いたとき……。私、悔しくて……。私だって、騎士になりたい。なって、みんなのことを守りたい……。それなのに――」


 嗚咽まじりに話すイリヤの背中を眺めながら、シノンはこれまでの記憶を思い起こす。フランチェスカの即位灌頂(バプテスマ)の儀式を進める合間、ペルガーリアの号令により、使徒騎士は“四天女の間”に会した。臨時の使徒騎士会では、クニカを使徒騎士に昇叙させることと、イリヤを騎士に“しない”方針が、改めて確認された。


 ただ、これは将来を見据えてのことだった。使徒騎士たちは、ペルガーリアとともにサリシュ=キントゥス帝国を迎え撃たなければならない。騎士たちの多くは“黒い雨”で命を落としており、生き残った者は南部の疎開先での業務に追われ、釘付けになっている。イリヤを準騎士のまま据え置いて、南へと退避させることは、万が一に備えて、未来へ希望をつなぐためだった。


 当然、使徒騎士たちのこの判断を、イリヤが知ることはない。ただ、準騎士たちの間で、イリヤが騎士になることに、期待が高まっていたのも事実だった。


 そして、クニカに騎士昇叙の旨を伝達するとき、事件は起きた。巫皇(ラ・ワン)の代理として、クニカの部屋にまで向かったジイクとアアリのところに、準騎士たちが抗議しに来たのだ。抗議の仕方はささやかだったが、ささやかなために、ジイクもアアリも、その訴えにつまずいた。


 その場を収めたのも、結局はイリヤだった。自分のために集まった準騎士たちを解散させ、イリヤは去っていった。気丈に振舞っていたのだろうが、イリヤも内心では、自分が選ばれなかったことに、(じく)()たる思いを秘めていたのだろう。


 ルフィナは目を開く。泣き伏しているイリヤの肩に手を掛けると、ルフィナはその身を起こさせた。次の瞬間、開かれたルフィナの右手が、イリヤの頬を一閃、打ちのめした。


 乾いた音が、シノンの耳に届く。ツツジの灌木の陰に、シノンは身を縮こませる。


「お姉さま……?」

「呆れた」


 そう呟いて、ルフィナは立ち上がる。まるで自分が打ちのめされたかのような衝撃を覚えつつも、ルフィナの次の言葉を、シノンは待った。


「どれほどの志があるかと思えば、その程度とは」

「私も、お姉さまたちと一緒に――」

「口ごたえはよしなさい」


 ルフィナは言う。自分に言われているかのような気分になり、シノンは胸を押さえる。


「私たちと一緒に、どうするというの? 私を助けるとでも? 思い上がりもはなはだしい。皆を助けられるほどの強さは、あなたにはありません。(シン)(シア)やプヴァエティカ(だい)()でさえ、身を削る思いをしているというのに。あなたは自分のうぬぼれに支配され、それを美化しようとしている」


 ルフィナの言葉に、シノンは聞き入る。


星誕殿(サライ)に入って、あなたが強い魔法を覚えたのは、誰もが知るところよ。けれど、自分では一人前になったつもりでも、まだまだ半人前。でもね」


 その場にへたり込むイリヤに、ルフィナは手を差し伸べる。


「あなたには未来がある。今よりもっと強くなれるし、そうならなければいけない。私なんかは、歯牙にもかけないくらいに。やがては(シン)(シア)と――ペルジェと同じくらい、強くなれるかもしれない。でも、今のあなたには欠けているものがある」

「それは……」

「“忍耐”」


 ルフィナはイリヤの身体をたぐり寄せ、抱きしめる。


「あ……」

「『強くなりたい』と焦る気持ち、『力になりたい』というもどかしい気持ち。後輩の怒りと悲しみは、先輩が引き受けるところのもの」


 イリヤの金髪を、ルフィナは撫でる。


「泣いちゃダメよ、イリヤ。泣いちゃダメ。戦いが終わったら、また話しましょう。ペルジェも、みんなも、きっと分かってくれる」

「お姉様……」


 イリヤの頬から、再び涙がこぼれ落ちる。


 その様子を見届けると、シノンは踵を返す。気付かれないようにして、シノンは来た道を戻る。


 ルフィナ――心の中で、シノンは親友に呼びかける。ありがとう、私は自分を恥じる。キミのその厳しさ、私もその覚悟で臨む。私は死んだりしない。クニカ様を死なせたりもしない。希望を繋いでみせる。――心臓は高鳴り、息苦しいほどだったが、シノンは満足だった。

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