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「日本国憲法」の権利について読んでみた

作者: 角谷 寛治

(編集注:本稿は、当初企画された日本国憲法についての対談が新型ウイルス禍の影響により中止となったため、代替執筆いただいたものです。)




 憲法記念日の企画として一年ぶりに組まれた対談用に改めて『日本国憲法』に目を通してみた。というか10代の頃テストに出ると言われて部分的に暗記した条文はあれど全文通して読んだのは初めてかもしれない。

(「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(第23条)等未だに一文がスラスラ出てくるのは我ながら驚いたが。)


 そもそも日本国憲法とは我が国の法律の根幹を成すもので、その下に法律があり条例があるため、憲法に反するような法律や条例は作成できない。制定後70年以上も経てば時代にそぐわなくなった条文もある様で、改憲の話もちょくちょく出ているけど今回その辺は無視してあくまでも現行法上の話とする。


 日本国民(『日本国民』の定義はこれまた法律で定められる)の自由および権利は憲法により保証されている。ただし

『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを()()()()()()()()()のであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する()()()()()。』(第12条) 

とあるように義務や責任を伴うものでもあるのだ。


 ここでキーになるのが『公共の福祉』という言葉。他にも「~に反しない限り」とか「~に適合するように」と何ヵ所かの条文で使われている。「福祉」というと弱者救済の「社会福祉」をイメージするが、この場合の『公共の福祉』とは、「社会全体の共通の利益」であり、「ほかの人の人権との衝突を調整するための原理」とのこと。

 タバコを吸うのは自由だが、一方で嫌煙権も認められているので分煙しましょう……とか?


「表現の自由」は「国家から検閲されない自由」であって、公開された表現について「批判されない自由」ではない。

 社会生活を営む上でお互いが100%自己主張を通すことは不可能であり、我を通した分だけ責任が生じる訳で。


 「自由」と「責任」、「権利」と「義務」は不可分のセットのはずなのに、やたら「自由」やら「権利」を主張する人に限ってもう片方が見えていないような気がするのはなぜなんだろうね。


 経済封鎖解除要求デモの映像で……。

 デモ車両の前に立ちふさがり無言の抗議をする医療従事者に

「あんたは働いているのに、何でアタシは働いちゃいけないの!」

防護服もマスクも足りない、いつ自分が感染するかもしれない恐怖と戦いながら頑張っている人にその台詞はないわ~。

 だったらお前が代わりに働けよ!と言いたいだろうに、ぐっとこらえて腕を組み無言のままの男性はカッコ良いと思った「自由の国」のお話。

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