1話
何度もタグの追加・変更を行い申し訳ありません。
「―――おい――お―きろ――」
頬を叩かれる感覚に、総悟は目を瞬かせた。
眼を刺すような痛みと、地面に強く放り出されたかのような衝撃で痺れる頭が、徐々に覚醒して行く。
見渡すと、ソコは見るも異質な空間だった。
アメジストに輝き、橙、ピンク、緑、青、赤、等の数々の色の光球が星のように明滅する宙。その宙を鏡の如く映し出す、地平線が見えるまでに広大な地面。ソコは、総悟―否、常人の知識の範疇を遥かに凌駕した「魔境」とでも言うべき空間だった。
「すごい…」
一種の恐怖までもを覚える壮大な光景に、総悟は圧倒された。色とりどりの光球が煌めく宙は冬の夜空よりも美しく、神秘的だった。総悟は芸術には疎かったが、この空間はどの芸術品にも勝ると確信した。
「気持ちは解らんでもないが、ボーっとしてる場合じゃないぜ」
音川に窘められ、総悟はふと正気に帰る。それと同時に、この異空間に言いようのない恐怖を覚えた。確かにこの風景は美しいが、異質過ぎる。おおよそ、総悟の常識を遥かに上回るこの空間は、少年を恐れさせるには充分だった。
裏返った声で、総悟は音川に問う。
「そ、そうだった…!どこなんですか、ここ⁉」
「『虚空』という空間だが…今はその話は後だ。言ったろ?ボーっとしてる場合じゃないとね」
そう言うと、音川は顎で総悟の後方を示した。総悟が振り返ると、そこにいたのは――
「な、何だよアレ…⁉」
ソレらは、喩えるなら「豹」の群れだった。鋭利な爪、口から覗く犬歯、爛々と光る眼。ソレらは正しく、血に飢えた肉食獣の集団であった
だが、ソレらは皆白かった。赤く光る眼を除き、全身の体色が、新雪のように純白だったのだ。
「雑魚がひいふうみい…二〇体か」
音川は指を折って豹の数を数えると、どこからともなく剣を取り出した。
美しい剣だった。柄にはルビーのような宝石が散りばめられ、刃は鋭い輝きを放っている。洗練された美しさを持つそれに、総悟はいつかゲームで見た、聖剣や宝剣を連想した
「さて、行きますか」
音川は剣の柄で十字を切ると、切っ先を空高く掲げ、叫んだ。
「ウェイクアップ!」
刹那――眩い光が天から降り注ぐ。それは丁度音川と同じ形のシルエットを描き、彼女の体を包み込んだ。
強烈な光に、総悟は思わず、手で眼を覆う。数秒後、視力が回復した眼で正面を見ると、そこには一人の戦士がいた。
ソレは、奇妙な装いだった。ゴシックロリータを連想させるかのような、ピンクを基調としたドレス。しかし、それは水着のように露出が高く、また、所々に白銀のプレートが装着されていた。さながらコスプレイヤーのような衣装であったが、彼女の全身から放たれる神秘的なオーラが、それを否定した。
音川は、スカートが靡くのにも構わず、くるりと一回転する。そして、左手を真横に伸ばし、剣の切っ先を怪物の群れに向け、言い放った。
「さあ、ショータイムだ。」
その言葉に挑発されたのか、豹の群れが一斉に唸り声を上げ、音川をじりじりと包囲して行く。肉食獣の、狩りの態勢である。
先に動いたのは――群れ。鋭利な爪牙を光らせ、少女に次々と踊りかかった。しかし―「そらっ!」
舞ったのは、血飛沫ではなく、白の粒子だった。両断された肉体の断面から無数の粒子が吹き出し、四散。それぞれ一太刀の元に切り伏せられた豹達は、次々と消滅して行く。
残りの群れが狂ったように吠えながら飛び掛かって来るが、音川は先ず正面にいる一匹を斬り付け、ダメージを負った所をさらに素早く二回斬り付けて仕留めた。次に後方から迫る三匹に回し蹴りを当てて吹き飛ばし、真横から迫る二匹に回転斬りを浴びせ打ち斃す
それから、音川は剣をくるりと回した。すると、たちまちの内に、剣が杖に変形する。
杖は、打撃部分が円錐状になっており、ルーン文字のような奇妙な文字が刻まれていたそれを音川は、今しがた蹴り飛ばした三匹に突き付ける。
「オラッ!プレゼントだ」
すると、杖の先端から火球が幾つも放たれ、三匹に直撃。炎で焼かれた豹達は、耳障りな悲鳴を残し、粒子となって消滅した。
ぐおおおおおおおおおおおおおおおお…
―直後、太い雄叫びが響いた。それは、先程総悟が聞いた、あの身の毛のよだつそれとほぼ同じものだった。しかし、何故か悪寒は走らなかった。先刻あの先輩が掌を翳した時に、何かされたのだろうか。
「親玉のご登場か」
音川は深呼吸を一つして、得物を剣の形態に戻す。
果たして、ソレは現れた。
ソレはさながら獣人だった。豹のような、猫科の肉食獣の顔と筋肉で引き締まった体を持ち、二本足で歩行するソレは、SF小説に登場する獣人そのものだった。―今しがた屠った豹と同じ、体色が純白であることを除いては。
ソレは、こちらの姿を視認すると咆哮を上げた。その咆哮は、人と同じ体格の生物から発されるとは思えない程に大きい。
「へえ。どうやら元気一杯のわんぱくちゃんみたいだな」
音川は軽口を叩き、さらに挑発を加えると剣を構えた。
「さあ来やがれ、豹野郎」
ぐるおおおおおおおおおおおおおおお…
挑発を理解してか知らずか、獣人は空高く咆哮を上げると鋭利な爪を振り翳し、音川に飛び掛かった。
頭上から容赦無く振り下ろされる両爪。しかし音川はそれを難無く受け止めると、半身を左に捩り、頬に回し蹴りを見舞った。
衝撃に地面を数回転がる獣人。だがすぐに態勢を立て直すと、音川に踊りかかった。
それに対して音川は、次々と繰り出される爪撃を剣で全て弾き、蹴りも交えての反撃を繰り出す。
幾度も激突するアクロバティックな連撃と、豪快かつ迅速な爪撃。先に態勢を崩したのは――獣人。徐々に優勢となっていった音川の、連続蹴りと素早い剣捌きが、獣人の体に打撃と幾本もの傷跡を刻み込む。
苦痛に呻きつつも獣人は牙で喰らいかかり、反撃を繰り出す。
音川はそれをバックステップで回避。後方に飛びのきつつ、剣を杖に変形させる。すかさず大型の火球を放ち、獣人に命中させた。
全身が灼ける苦痛に、獣人は雄叫びを上げる。
「さあ、フィナーレだ」
音川は気障な台詞を言い放つと、杖を剣の形態に戻しす。
音川が十字を切るような仕草をすると、剣の刃から光が溢れ始めた。
「はあああああっ!」
音川はその剣を両手に構え、縦に振り下ろす。すると刃のような、白銀の光が放たれた。それは一直線に、獣人の元へと進んで行く。
ぐがああああああ…!
その光に身を縦に切り裂かれた獣人は、今までの野太い咆哮からは想像出来ない程の甲高い断末魔を残し、消滅した。
粉雪のように粒子が舞い落ちる中、音川は剣を鞘に納めた。すると、たちまちの内に彼女の体が光に包まれる。それが晴れると、音川の衣服は学園の制服に戻っていた。
「あなたは…一体…?」
つかつかとこちらに歩み寄る音川に、総悟は震えた声音で問う。この異空間と今しがたの化け物、そしてその化け物と、未知の姿に変身して戦う音川。これらの非現実的な情報の過剰供給に、総悟の思考はショート寸前だった。
「魔法少女、マリベル・スタッカートさ」
すると音川―否、マリベルは平然と、彼の問いに答えた。
しかし総悟は、唐突な話と、粒子を浴びながら不敵に笑む彼女の美しさに、ただただ茫然とするばかりだった。
かくして、運命の歯車は廻り出した。これはそう、一人の歪んだ少年と理想の戦士であろうとする少女が織りなす、一つの物語。