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リードエンゲージ  作者: 水鳥彩花
隠された島
12/20

空は黒で染められた

「夜の鳥が今日もロナルドさんのところへ行ったらしいぜ」

「げ、まだ春宴に参加するつもりなのかよ。この前追い返されたんじゃなかったか?」

「勘弁してほしいよな。食えたもんじゃない」

「恐れ多くて味なんてしねぇだろうよ」

「違いない」

 負の感情が混じった声は思いの外他人の耳に響いてしまう、ということを知らないのだろうか。聞きたくもない見ず知らずの誰かの陰口が耳に入ってくる。いっそ塞いでしまおうか。自分の耳ではなく、相手の口を。

「おまたせ、リノ」

 少しスパイシーな感情に蓋をして、リノは微笑む。

「ありがとう」

 見事な黒髪とお気に入りのフロックコートを風に遊ばせ、リノに頼まれた温かいロイヤルミルクティーを音も無く置く。しなやかさと硬さを両立させた指先が、そのままリノの眉間をつつく。

「物騒だ」

「もう、そんなことないよ?」

「どうだか」

 人の顔色ひとつで十ほど感情を読み取ってしまう相手に、リノは敵わないと肩を竦める。このちっぽけな心臓を預ける自慢の船長は、時に恐怖だ。彼女相手に隠し事は許されない。

「可愛くないでしょ、陰口って」

「…その基準はよくわからないが、聞いていて気分のいいものではないね」

 紺碧の女船長・桜海は困ったように眉を下げ、女性にしては低く艶のある声でリノを宥める。深海を閉じ込めたような目を細めて、桜海は背後の男たちを一瞥する。界隈では名の知れた海賊だが、どうやら彼らはその存在を知らないらしい。色付き(シーウルフ)と言えど、海賊の船長が同じ店にいたら少しは背筋が伸びるはずだが、彼らは呑気に汚い戯言を吐き出し続けている。

「こんな立地なのに、随分平和ボケしてるみたい」

 リノは今朝巻いた髪を指先で弄り、息をつく。

 この島は決して広くない。どちらかというとかなり小さな部類に入るだろう。そういう島は海賊の恰好の餌食だ。いい意味でも悪い意味でも海賊慣れしていることが多く、色付き(シーウルフ)を歓迎するか、嫌悪するか大きく反応が分かれる。

 ここは幸か不幸かどちらでもない。まるで普通の観光客かのように扱われる。こういうことは珍しく、なんだかむず痒い。

「隠されているくせに警戒心がまるでない。変な感じ。落ち着かない」

「だからだろ。そもそも海賊が来るなんて夢にも思っていないのさ。彼らにとってボクらの存在が、しるし崩れなんだろうね」

 ほんのりピンクに色付かせた頬を軽く膨らませ、リノは桜海を見上げる。くるん、とカールした長い睫毛に縁取られた目は不満気だ。色素が薄く瞳孔だけ水色の目を、桜海は余裕たっぷりの笑みで見返す。

 こうするとリノが視線を逸らすことを知っている。

「それに…ここの女の子たち、みーんな敬虔なエテルナ教徒ばっかり。流石に彼女たちに手を出せるほど、ぼくも落ちぶれちゃいないから」

「そう。じゃあ男でも転がして遊べば」

「他人を不幸にする口とキスなんて出来ないの」

 唇をひとなでして片目を瞑って魅せる。どこからどう見ても愛らしい美少女だが、紺碧に女性船員はひとりしかいない。

船長である桜海だけ。

「それで気休めにボクを連れているのかい」

「選ばれたことにもっと胸を張っていいよ?」

 桜海は苦笑しながら自身の胸元を見下ろした。そこに山らしきものは残念ながら見当たらない。誓いのシルバーリングが揺れる先で、無駄なく鍛えられた美しい腹筋が見えるほどだ。彼女よりもよっぽど女性らしい柔らかなラインを作っているリノは、洗濯に随分と気を使っていたレース素材のカーディガンの袖を軽く握ったこぶしを作り顎を乗せる。例えば相手がそこらでコーヒーを傾けている一般的な男性だったなら、いくらでもお金を積んでいることだろう。

「桜海ってエスコート上手だから、テンション低い日でも楽しくなっちゃうの」

「ボクもリノと出かけるの、いつもと違う視点で世界が見られるから楽しいよ」

 ミルクティーが苦かったのかと思うほど顔を顰め舌を小さく出すリノに、桜海は首を傾げる。ひとつに結い上げた髪が一緒に揺れる。

「そういうとこ、本当にずるい」

「ボクほど生真面目な人間、他にいるかよ」

 桜海は昼間だというのにジントニックを上機嫌に傾ける。この船長は機嫌が好いと酒を呑み、悪いと煙草を吸う。わかりやすくていいのだが、煙を遊ばせている時の彼女にはあまり近付きたくないのが本音だ。

「そういえば、この前雪愛くんと喧嘩したんだって?玖乃くんがぷんすこしてたよ」

「喧嘩ってほどじゃないさ。…でも最近、どうにも上手くいかない日がある」

 まるで炭酸水を呑む子供のような速度で流し込む姿に、ほんの少しだけ冷や冷やしてしまう。いくら酒好きのザルとは言え、急にアルコールを大量摂取するのはよくないはずだ。アンソニーがこの場にいたなら、それとなく止めるのだろうが、酒にも医療にも詳しくないリノは何も言えない。

「誰よりも、何よりも、傍に居たいのはあの子だけ。それなのに、涙を拭ってやることも出来ない」

「え、泣かせたの?」

 思わず身を乗り出したリノから目を逸らす。誰にも言うつもりがなかったのに、つい口が緩んでしまった。心から愛する唯一の人を泣かせるなんて情けない真似、誰にも知られたくなかった。

 下唇を噛む桜海にリノは眉を寄せ、カップを傾ける。

「鳥が歌っているね」

 リノの静かな声は、存外低く色気がある。夜を彩る女性の耳元で囁くための声だ。聞き惚れるようにそっと目蓋を閉じた桜海は、彼の優しさに笑みを零した。

 鳥が歌っているから、何も聞こえていないよ。

「雪愛にとっての幸せと、ボクにとっての幸せ。ふたつの僅かな誤差が、彼を傷つけているみたい。独りよがりで、身勝手で…我儘を溶かして作った優しさは、きっとただの凶器だ」

 リノの言葉に甘えて、毎日のように考えていることを零していく。真白なシーツについた滲みのようにじわじわ広がる感情を、一人で抱え込むのは疲れてしまう。一度ついた滲みは、無かったことには出来ない。

「所詮刀を振るう手だ。あの子に触れる資格なんて、元からなかったのかもしれないね」

 眼鏡の向こうで目を瞠ったリノだったが、聞こえていないと言った以上口を出すことは許されない。甘い色の目を揺らし、桜海が持つグラスから垂れた水滴がクロスに広がっていくのを、ジッと見つめた。

「綺麗な歌声だ」

「…うん。愛するものに向ける声は、どうしたって美しいよ」

 出来立ての綿菓子のような言葉だ。桜海は困ったように眉を下げて、笑った。

「ところでリノ、何か情報は得られたかい」

「さっきも言ったけど、聖女相手じゃどうにも上手くいかなくて」

「教会に乗り込んでいたよね、きみ」

「美人に釣られて、つい」

 上陸して二日目の昼、島で一番大きな建物である教会へ訪れたリノだったが、大きな情報を得ることは出来なかった。

「でも予想が大当たり、ってことはわかったから、結構な成果だよね」

 お気に入りブランドのルージュC#76で彩った唇を、満足そうに緩める。透明感のある扇動的なピンクだ。

 地図にない隠された島。魔導具を使ってまで人を寄せ付けないようにしているが、観光船は頻繁に出入りしている。調べてみると、西の大国クス・カンダリア王国からの船だけ。だというのにクス・カンダリア国民は一人も見当たらなかった。

「間違いなく、あの大国の領地だよ。…けれど国旗がどこにも見当たらない。なんのためにこんな小さな島を守ろうとするのか、さっぱり」

「守りたいのは島じゃないのさ」

「え?」

 からん。グラスの中で氷がバランスを崩した。

「どういうこと。何か掴んだの?」

「星だよ。…しかもとびきり眩い三連星(みつらぼし)

「それって」

 想像もしていなかった言葉にリノは大きな目を更に見開き、叫びそうになるが、静かな深海色に制され自分で口を抑えた。

「そんな、だって、うそ、聞いたことないよ」

「だからだろ」

 声を潜めたリノは胸元のリボンがカップに入らないように気を付けながら、身体を前へ傾けた。しかし桜海が懐から小ぶりな缶を取り出すと、慌てて背凭れに逃げる。グレイのパッケージには『DIM』のロゴ。彼女が機嫌の悪い時だけ吸う煙草だ。

 口にくわえた一本に、リノは渋い顔で火をつける。

「もう…まだ飲んでるのに」

「陰口と、どっちがいい」

 リノは煙草が嫌いなわけではない。ただその独特な香りが、彼の「可愛い基準」からはみ出ているから好きでもないのだ。吸うのは個人の勝手だと思うが、可愛くない香りが自分に移るのはいただけない。

「聞かなくてもわかるでしょ」

 意地の悪い質問だ、と眉を寄せる。

 敬愛する船長が吐く煙と、見ず知らずの男が吐き出す毒。後者は、扱い方を間違えれば切れ味の鋭い刃になるのだから。

「星は、彼らが言っていた夜の鳥だよ」

「…は?だとしたら、あまりにも間抜けすぎじゃないかな」

「きみが言ったんだろう。平和ボケしてるって」

 重い煙を吐き出して鼻で笑う。

 与えられただけの日常で、なにが平和だ。たった一人を蔑ろにして得る生活が、本当に正しいのか。

 不完全な今に縋りつく姿は、桜海の目には酷く滑稽に映る。

「ボクは、彼をここから連れ出そうと思っている」

「…本人には言ってあるの?」

「いや、まだ」

「そう。桜海が決めたことなら、誰も文句は言わないよ」

 あの船で桜海に逆らう者など居ない。特に誓いの指輪を持つ船員は、とっくに彼女へ心臓を捧げているのだ。リノは左手の薬指に嵌る指輪の一つ、シルバーリングを細い指先で撫でた。

「ただ…選ぶのは、その子だ」

「わかっているよ」

「きみが見初めたんだもの、いい子なんでしょ?」

 組んだ両手に顔を乗せて桜海を見上げる。何かを思い出すように空を見上げ、微笑みながら灰皿に煙草を押し付ける。その動作だけで、彼女が相手をどれだけ気に入っているのかが手に取るようにわかる。釣られてリノも笑う。

「楽しみ」

「振られたらごめんな」

 肩を竦めるものの、表情は晴れやかだ。

「きみを振っちゃうのなんて、雪愛くんぐらいでしょ。彼も今日はサトリくんに駄々捏ねられてたけど」

「一緒に出掛けてるんだろ」

 一気にグラスの中身を飲み干す船長に、リノは色素の薄い目を瞬かせる。

「いや、サトリくんが眠いって言いだして、雪愛くん一人で上陸してるはずだよ」

「なんだって!」

「ひやぁっ」

 割れんばかりの勢いで叩き付けられたグラスだが、上質なクロスのおかげで惨事は回避された。突然上がった大声にリノだけではなく店中の視線が突き刺さる。

「一人で行かせたのかよ。なんで誰も止めなかった」

「お、落ち着いて桜海、つまみだされちゃう」

 よく響く声だ。店員も何事かと彼女の一挙一動を警戒している。

「勿論止めたよ。誰か付けていくように声を掛けたけど、今日はひとりでいい、って言われちゃったんだもの」

「それだけで引くなよ…信じられない。甘やかすなって何度も言ってるじゃないか」

「だってぇ」

 雪愛くんだもの。続く言葉に桜海は大きなため息を吐き出した。誰もが、彼の言うことに従ってしまう。無意識だろうが、彼の願いを叶えようと動いてしまう。

 まさに魔性の美貌だ。

「大体今日は、女の子だったろ。危険すぎる」

「こんなボケボケな島の住人達にどうこうされるような子じゃないでしょ。過保護に甘やかしているのはどっちかな?」

 首を傾げるのと同時に肩から落ちるミルクティー色の髪。不機嫌そうに顔を顰めながらハーフパンツのポケットから端末(リボン)を取り出して、慣れた手付きで操作する。画面には雪愛の文字。苛つきを隠さないまま耳元で応答を待つが、たった二回のコールで切られてしまった。

「…ボク、なにかしたっけ」

 まさか切られるとは思っていなかった桜海の顔から、血の気が引いていく。

「さあ。…多分、桜海が悪いよ」

 喧嘩をすると一度も桜海の肩を持ったことがない航海士は、優雅にカップを傾けた。

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