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17 筋肉の気持ち2

17 筋肉の気持ち2


 ヴィック・ブリザードの話はまだまだ続いた。「しかし私は思うんですよ。そこで私はこのように思うわけなんですね。それはずばりどういうものかと申しますと、要するに私は今日の職場のみんなとは意見が違うということなんです。つまりみんなはあなたを取り囲みながら、信じられないような光景を作り出しましたね? ええ作り出しましたとも! 私は見たんですよ。私はあのとき確実に目撃してしまったんです。職場のみんながあなたを取り囲んで、そしてあなたのことを何と言っていたと思います? あなたにどのような言葉を浴びせかけていたというのでしょうか。あなたは当の本人だからわかるでしょう。みんなにかこまれて罵声を浴びせられていたその人なんだから、今日あなたがみんなからどのようなことを言われていたのかは、あなたにはもうすでにわかっているはずだ。鶏肉ですよ。あなたはみんなから鶏肉鶏肉とはやし立てられ、まるでこの世のものとは思えないような光景の中に放り込まれてしまっていたはずなんです。ですがそこで私は言いたいんですよ。どうしてもこういうことを言いたいんです。この私は違いますよ、と。この私に限っていえば、みんなの言動に心をすり合わせることはありませんよと。むしろあのときのみんなのような感情は持っておらず、私はあなたのことを鶏肉だなんてちっとも思っていません。あなたのことを鶏肉だなんてことは本当に少しも思っていないんですよ。真実はその逆なんです。まあその逆といっても、じゃあ鶏肉の逆って何なんだと言われると、それもまた難しい問題であることには違いないのですが、いえそうじゃないんです、私が言いたいことはつまりですね、私はあなたのことを決して鶏肉だなんて思っていませんし、かつあなたがみんなから鶏肉などと呼ばれる筋合いはまったくないであろうことを想像するのはたやすい、ということなんです。あなたは鶏肉なんかじゃありませんとも。立派な、ニコラス・アディソンという名前を持った紳士ですよ。マッスル紳士です! 私は今日あなたのことを目撃してから、密かにあなたのことを研究させていただいたのです。もちろん不束なことをしでかしてしまっているということは承知いたしておりますが、しかしこの私の内側から溢れ出るあなたに対する好奇心はどうしようもできないんです。ですがさすがに話が今日の今日ですからね。情報源はあのマギーとかいう女の人ですよ。私があなたについて知っているのは、ほとんどあの人から聞いた話ばかりなんですけれどもね。でも私はやっぱりあなたのことを鶏肉だなんて思いませんよ。ただ自分の趣味に没頭しているだけの純粋な人であると信じています。私は思うんですよ。どうして人は自分のしたいことに集中していると、ほかの人からの邪魔を受けることになってしまうのかってね。やっぱり他人から妨害行為のようなものを受けるときってあるんですよ。私は正直に申し上げまして、それが許せないんです。いいじゃないですか。いいと思いませんか。自分の好き勝手にやっている人は、それが他人の迷惑にならない限り放っておけばいいんじゃないかってね。まあ職場のみんなからしてみれば、あなたが自分の筋肉に没頭すればするほど、それだけ仕事に穴が開いて、それはじゃあ俺たちがお前の分を補ってやらなきゃいけなくなるわけだから、ほらみろ実害があるじゃないか、ちゃんと他人に迷惑をかけているじゃないかこの鶏肉野郎、と言ってくるかもしれませんが、それは違いますよね? そもそもそれはまったく話が違ってきていると思いませんか? ニコラスさんが自分の筋肉に没頭することと、ほかの人たちの仕事量まで増えてしまうことは同じじゃありませんよ。少なくともそれには何の関連性もありません。別に仕事の穴なんて埋めなくていいんです。ニコラスさんがその日やらなかった仕事は、また日を改めてニコラスさんがすればいいだけのことですし、最悪ほかの誰かがやることになったとしても、その人はその人で、その人の仕事量を増やすことなく、ほかを減らしてニコラスさんの仕事をすればいいんです。あの会社はおかしいですよ。会社がおかしいのか、会社に勤めている人たちみんながおかしいのかはわかりませんがね、僕は賛成ですよ。ええ、僕はニコラスさんの考え方を支持しますね。やっぱりあそこでまともに働いている人たちはどうかしているんだ。はっきりいって何かに洗脳されているように働き続けているから、それから脱出する術みたいなものが全然ないんでしょうね。仮にそれをほかの誰かから提示されたところで、彼らはそれが自分たちにどれだけ重要なものかわかりはしないんですよ」


 ニコラスはディックの言うことを黙って聞いていた。時折彼の話にうなずいたり、彼と視線を合わせて、もちろん君の言っていることはわかるよ、ありがたいよ、ありがとう、みたいなまなざしを彼に送ったりした。だが内心では、彼のことがよく理解できないと思っていた。彼は誰なのだろうとさえ思っていた。なぜなら考えてみればそうだろう。駅のホームで落胆しているときに、急に声をかけてきた人物があったかと思ったら、その人物は、私はあなたの同僚で仲間です、ほかの人たちとは違うんです、私はあなたの気持ちがよくわかるんですよ、きいてください、それってこんな具合ですよね……という風な感じでほぼ無制限に喋り続けてくるのである。嫌がらせかといわれれば、もしかすると本当にこれか彼なりの嫌がらせ行為なのかもしれない。だが彼の話しているときの真剣な表情や、たまに見せる鬼気迫るまなざしには、そのようなあくどい考え、ふざけた考えがあるようには思えない。彼は何かに支配されてしまっているのか? 彼の心は今現実とはかけ離れたところになって、何というかそれは彼だけにしかわからないような、およそ他人には理解できないものにコントロールされてしまっているのではないだろうか? いや途方もない問いかけはよそう。途方もない問いかけを今この場でして、自分の気持ちを外へ外へと逃がすことはやめるんだ! そんなことをしたって何にも状況は変わって行かないってことくらい自分でわかるだろう――それでニコラスはずっと丁寧にディック青年の話を聞いてやっていたわけだったのだが、彼の話はやがてニコラスの耳には届いても頭の中には入って行かない、というような事態になった。ニコラスとしては、彼の話を真剣にきいてやっているつもりだったが、体が受け付けないとでもいおうか! なぜかヴィックの話に集中できなくなってきて、やがてニコラスはこんなことをほぼ自動的に考えるようになっていた。それは、おおよそ自分の今置かれている状況についてだった。彼は今自分の置かれている状況というものが何なのか、一体何の意味があるのか、ということの他に、たとえそれがどのようなものか完璧に判明したとしても、判明したところでそれに納得することはできないだろう、と直感的に思っていた。すなわちそれは、状況を理解することがどれだけ今の彼にとって無意味なことであるかということを彼が彼自身に証明するものであったし、さらに付け加えていえば、今後彼がどのような状況に巻き込まれることになったとしても、今彼の胸の中に芽生えつつある、いやもしくはもうすでに芽生えてしまっている現状に対する怒りのような感情は、もはや消すことはできないだろう、ということをはっきりと示していた。ニコラスはこんなことを思っていた。「いやだから何なんだ。俺は一体何なんだ。会社であんなわけのわからない仕打ちにあったあと、この謎の青年の登場ってわけだ。この謎の青年の登場ってわけさ! 何が事態が進展すると思うだろう。このような青年がさわやかに俺の目の前に登場して下さったのさ! それも私はあなたの味方ですよっていい顔をしながらね! ところがふたを開けて見てびっくりさ。本当にもうびっくりしてしまってね! 話が全然進まないんですわ。いくらヴィックだっけ? いくらヴィックの話に耳を傾けたところで、じゃあ具体的に俺たちは今後どうしていけばいいんだろう、なんて問いかけの答えになりそうなものは見当たらないんです。これが現実ってやつなんですかね。神様これが現実ってやつなんですか? 思えば俺も冷静になってみて何をやっているのかわからない。正直自分でもここ最近の出来事については何をやっているんだか? とため息をつきたくなってくる気持ちが先行する。筋肉トレーニングをしたいから勤務時間を短くしてくれだって? それで10か月もまわりの人たちに黙って自分一人で黙々とトレーニングを続けただって? 俺は一体何をしているんだ。何が楽しくてそんなことをずっと今までしてきたというのだろう。みんなが今日怒った理由は、まあちょっと変だと思うけれども、でも一番変なのは、いや正確にいうと、一番初めに変なことを言い出してやろうとしたのは俺なんじゃないのか? 俺が今日のこの、今の、駅のホームでたそがれるしかなくなった、次々と人が電車に駆け込んでいく姿を見送るしかなくなったシーンの発端を作ったんじゃないのかね。ええどうなんだね、そこのところは! ちょっと待ってくれよ」

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