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12 お手持ちの筋肉2

12 お手持ちの筋肉2


 休日。特にすることもなく家の中でだらけていると、急にインターホンが鳴った。誰だろうと思って応対してみると、誰なのかはわからなかったが、しかしインターホンを押してきた主が今通っているジムのとある女性スタッフであるらしいことがわかった。ニコラスは、彼女が本当は誰なのか、何の目的のために今日この場所にやってきたのかということは、これからある程度の時間をかけて解明していかなければならないんだろうなと思ったが、現時点の感触としては、彼女との関係を、どれだけ時間をかけて構築していこうとも、それほど素晴らしいものになるとは思えなかった。なぜなら彼女の登場は、ニコラスにとっては全然望んでいなかったものであり、かつどれだけ彼女がニコラスに有意義な情報や物を持ってきてくれたとしても、彼にとっては、畜生せっかくの休日が台無しだ、いや現時点ではまだ台無しというほどのものではないけれども、これ以上彼女に時間を取られることになると、いよいよそのようなことも言いたくなってくる、さっさと彼女を追い払えないものか、彼女も仕事で来ているんだろう、だから彼女の立場を考えると、そういうことってなるべくしたくはないものだが、でもこっちだってせっかくの休日なんだ、別に何かをする計画を立てていたわけではないけれども、しかしだからといって何もしないまま、特に今日のような彼女との応対で時間をつぶされてしまうのは不本意だ、どれだけ彼女が本当に素晴らしい情報を持ってきてくれているのかにもよるが……ええい考えがうまくまとまらない! 彼女さえやってこなければな! 彼女さえウチにやってこなければ、そもそもこんな考えで自分を苦しめなくたって済んだのに、というような、何というか、混沌と混乱の象徴、煩悩、悩み事の種、みたいな出来事にすぎないからである。


 インターホンの電話越しに話していても埒が明かないからさっさとオートロックの鍵を開けて部屋の玄関まで招いてくれ、みたいなことを言ってくる女に対して、ニコラスはもちろんそんな彼女の要求を飲むのは嫌だった。彼はインターホンの電話越しに彼女との会話に一生懸命粘って取り組んでいた。

 女が言う。「ですから、このオートロックの鍵を開けてくれさえすればいいんです。このオートロックの鍵を開けてくださって、それで私たちが面と向かって話し合いさえすればどんなに素晴らしいことが起こるでしょう。きっと素晴らしいことが起こるに違いありませんよ。私は自信があるんです。我々がそのような関係に発展するであろうことにほとんど確信を持っているんです。ですからどうかこのオートロックの鍵をまずは開けてくださいよ。そうしてくださらないと、本当に我々は何も生み出すことはできないんです」

「そんなに強引に言われましてもね」ニコラスは言った。「ですから名前をおっしゃってくださいと言っているじゃありませんか。どうしてそこまで名前をおっしゃってもらえないんです? 私の通っているジムのことは口に出したのに、どうしてご自身の名前はおっしゃってもらえないんでしょうか。別にあなたの名前をきいたところでね、こちらとしてはどうするつもりもないんですよ。そんなあなたの名前をきいたところで、よく考えてみてくださいよ、この私に何ができるっていうんです! しかし問題は我々の信頼関係なんですよ。わかりますか? 信頼関係なんです。これがないと、やはり見知らぬ人のためにオートロックの鍵を開けるというのはちょっと……いやもう開けてもいいんですがね。本当は、もう開けてやってもいいとさえ思っているのですよ。だってあなたは私の通っているジムのスタッフさんらしいんですからね。あそこのジムのスタッフさんだというのですから、もうそのことをきいた段階で本来ならば鍵をお開けしてもよろしいのです。ですがさらによくよく考えてみて、そのジムのスタッフさんがこの私に何の用なんですか? もし本当に私に何か用事があるというのであれば、もうすでに私の電話番号はそちらにお伝えしているわけですから、電話をかけてもらえればそれで済む話ですし、また私が今度そちらに赴いたときなどに、用事があるなら直接この私に言ってもらえればいいじゃありませんか。何か忘れ物でもしたというのでしょうか? 私がジムに何か忘れ物を? いいえきっと違うんでしょうね。そういうすぐに解決できるような問題のために、今日あなたがここへわざわざやってきたとは思えませんよ!」

「いよいよ立派な筋肉への礎が出来上がってきているとお伺いしております」

「何ですって?」

 ニコラスは女の発言を思わず聞き返した。女の発言の内容に、これまでの会話の脈絡みたいなものが一切読み取れないような気がしたからである。いよいよ立派な筋肉への礎が出来上がってきているとお伺いしているだって? ニコラスは女のこの発言から、今後どのような話が展開されるのか興味がわいてきた次第だった。だって興味を抱かずにはいられないことだろう。急に話が変わったのである。話の方向性みたいなものが、急に目の前に提示されたといってもよい。思えば今までは手探りだった。彼女と自分との関係性を明確にするために、どれだけ骨を折ってきたことだろう。折ろうと思ったことだろう。だが今まさにとある瞬間がやってきた。とある瞬間が二人の間におとずれて、もうこれはほとんど話の進展するであろうこと、何かしらの結論に向かって話が収束していくであろうことをこれでもかと予感させられてしまっているのだ。ニコラスは何かを女に対して喋り始める前に、頭の中でもう一度、いや何度でも彼女の言葉の意味を繰り返し考えてみることにした。

 女が言った。「どうやら驚いていらっしゃるようですね」

「ええ、そのつまり」ニコラスは言った。「一体どういうことなんでしょう? あなたは果たしてこの私に何をおっしゃりたいというのでしょう。そんないきなり筋肉の話をされてもね。いきなり筋肉の話をされたって、私はあなたに対して何と言ったらいいのかわかりかねますよ。わかりかねるというところですね! 確かに私はここ10か月ほどコツコツとジムに通って、自分の筋肉と向き合う時間を大切にしていますが」

「それもそろそろいい時期に来ているのではないかと言っているのです」女が言う。「確かにまだまだ理想のマッスルボディーとはいかないでしょう。あなたがどれほどの筋肉を身に着けたいと考えていらっしゃるのかまでは、これはもう本当のところはわからないわけなんですけれども、しかし以前と比べてですよ、筋肉トレーニングをする前の、それ以前のあなたと今のあなたを比べて御覧なさい。そりゃもう一目瞭然でしょう。一目瞭然とまではいかないかもしれませんが、それにしたって多少の変化はあるはずです。そしてあなたの筋肉は、これからもジムに通い続ける限り、今後も成長を続けて行くに違いありません。今日はそんなあなたの、未来の約束された筋肉に対して私は今日ここまでやってきたというわけなのです」

「そうだったんですか!」

 ニコラスは女の発言に驚いたような声を上げた。しかしそのような声を実際にあげてみてから、ニコラスは、いや俺はこの女の発言の一体どこにそんなに驚いているのだろう、と冷静になった。だって考えてみればそうだった。未来の約束された筋肉? それとこの女がウチにやってくることにどんな関係があるっていうんだ? よくよく考えてみたら、やっぱりこの女が今日ここにたずねてきた理由なんてわかりゃしないじゃないか。女の話がそうだったとしよう。女の話がある種の真実だったとする。つまり俺の筋肉は俺の意志がある限り、よりマッスルになることが約束されていたとする。で、それでこの女の今日の役目とは? わざわざ他人の家にまでやってきて、それでとにかくオートロックの鍵を開けてほしいと言ってのける権利がどうしてこの女にあるというんだ。女が俺に何をするっていうんだ。この女は俺に何をしようとしているんだ。何をさせようとしている? おいおい、話は確かに前に進んだかもしれないけれども、いまだそれがどこへ向かおうとしているのか一向に闇の中じゃないか。そうだったんですか! じゃないよ。せっかく話の流れから驚いて見せたけれども、そのエネルギーはもっとあとの出来事に取っておくべきだったんじゃないだろうか。いやきっとそうだ。いってみれば、俺はただ話の組み立てだけを聞いていて、中身を全然聞いていなかったんだ。でもそのことでじゃあ誰が悪いのかというと、もちろん話を真剣に聞いていなかった俺も悪いけれども、わけのわからないことばっかりいって体裁だけちゃんとしているような女だって十分に悪いだろう。

 女がインターホンの電話越しに言う。「今日は発達させた筋肉の上から羽織ることでその真価を発揮するとされている、無地のTシャツとジーンズのセット販売にやってきたんですよねー」

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