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もしも私が猫ならば。

作者: 刀根のぞみ


もし、私――園宮月子(ソノミヤ ツキコ)が猫ならば。

“拾ってください”と書いたボードを首から下げて歩きたい。

そんな風に思ったのは高2の冬の事だったと思う。

社会人になった今、そんな事を瞬時に思い出すなんて、人間の記憶ってすごいんだと私はぼんやりと思いました。

きっかけは、

「ツキコって、まさか園宮?」

というたった一言だったのだから。

「何?本間、知り合い?」

「ああ、高校の時の……後輩」

数あわせに来てほしいと呼ばれて来た合コンで、まさか先輩に会うとは思わなかった。

その男の名前は本間一翔(ホンマ カズト)

できることならば、会いたくなかった男。

「それじゃあ二人の奇跡の再会に乾杯!」

先輩の隣にいる人が、そうやってビールの注がれたジョッキを高くかかげる。

その瞬間、なんだか帰りたいとさえ、思ってしまった。


「会いたくなかったって顔してるね」

「……よくお気付きで」

先輩は場が落ち着いてから、私の隣に来て言った。

「あの時みたく……拾ってほしいって顔にも見えたけどね」

「相変わらず、意地悪ですね」

「意地悪……か。

そういうのが好みじゃなかった?」

悔しいけれど、何も言えなくさせられる。

先輩はちっとも変わっていなくて、私の心はますます落ち着かない。

「ちょっとお手洗いに……っ!」

鞄の取っ手に伸ばそうとした私の手を先輩はすかさず掴み、それを見た周りも一瞬静まりました。

「ん?俺も行ってくるわ」

私はなぜか先輩に手を引かれ、お手洗いの方へ連れていかれます。

「お手洗いに行くのに、鞄はいらないでしょう。

逃げないでよ、せっかく会えたんだから」

行動をすっかり読まれていたことに、私はほっぺたをふくらませて睨み付けます。当時の私の癖でした。

「うん、やっぱり可愛いね。

……ルナ」

私はその呼び名にはっとしてトイレに駆け込み、扉を背にして心を落ち着けようと試みます。


私が先輩と初めて会った日は、大雨の一日でした。

私は訳あってずぶ濡れで……

さらに訳があって学校の裏庭に身を隠していたのですが……

「かずくん、誰か来ちゃうよう」

先輩は他校の美女をそこに連れ込んでいました。

「……すでに子猫が迷い込んでいるようだけど?」

「えー?かずくん、何言ってるの?」

「……今日は帰って。子猫ちゃん、救出したいからさ」

「もう……いつもそうやって。

もう知らないんだから」

そんなやり取りが、雨音の中、微かに聞こえたようでした。

パシャパシャという1つの足音が聞こえなくなった頃、

「出てきなよ」

と声をかけられます。

「子猫なんて、ここにはいないわ」

私は姿を隠したままそう言うのですが、

「俺には確かに見えるんだけどな」

と、後ろからふわりと私にかけられたのは先輩の上着でした。

「私はにゃあ、とは鳴きません」

「そう?“泣いてる”ように見えるけど」

私はその時はまだ先輩の名前さえ知らなくて、“色んな美女と関係を持つ男”なんて噂くらいしか知りませんでした。

けれども私は次の瞬間、

「……にゃあ、と鳴いたら先輩は私を拾ってくれるかしら」

なんて、そんな風に呟いていたのです。

「名前は?」

「園宮月子」

「じゃあ……今日から君の名前は“ルナ”かな」

それから先輩は、本間一翔と名乗った。

彼はその後びしょ濡れの私の手を引き、保健室に連れていってくれました。

「先生いないじゃん、風邪ひいちゃうじゃん。

ジャージとか持ってるの?」

私は黙って頷きます。

「ロッカーの鍵貸して。取ってきてやる」

先輩は噂から想像していた“俺様”なイメージとは違い、とても優しい人なのだと思いました。

私が鍵を渡すと、着替えになるものをしっかりと持ってきてくれて、私はすぐにそれに着替えることにします。

「ちょっと……」

「はい?」

「いや、俺いるのにそんなオープンに着替えて良いのかよ」

「……どうせ先輩は女性の着替えなんて見慣れていて、私みたいなちんちくりんには興味ないと思って」

「バカか……!」

先輩はそう言って、私との仕切りになるカーテンを勢いよく引きました。

「す、すみません……」

その行動を見た私は、なんだか急に恥ずかしくなり、あわてて着替えを始めました。

「……何かあったの?」

沈黙に耐えられなくなった先輩の声が、しんとした保健室に小さく響きます。

「……捨てられました。

彼氏と親友に裏切られて……。

先輩は、私が猫ならば……拾ってくれますか?」

仕切られたカーテン越しに、私は言います。

するとカーテンはふわりと開かれ、私は次の瞬間、先輩に抱き締められていました。

「……拾ってやる。

というか……もう拾ってるだろ、ルナ」

“ルナ”と呼ばれる度に、私の心はドキリとするようです。

「もっと呼んで、」

「何度でも呼ぶよ……ルナ、」


――はあ、

回想を終了し、私はお手洗いで大きなため息をつきました。

先輩に拾われた私は、子猫のように可愛がられましたし、ちょくちょく先輩の家を出入りし、ベッドに一緒に寝ることもありました。

しかしそれは飼い主とペットの関係であり、それ以上のことは何もありません。

様々な噂はその後も飛び交ってはいましたが、先輩の家に女性の影がないことは、私だけが知っているようでした。

「今は誰か、飼い主がいるの?」

お手洗いを出ると、ずっと待っていたように先輩が立っていました。

「……失礼します」

私が横をすり抜けようとすると、先輩はやっぱり私を呼び止めます――“ルナ”と呼んで。

「そうやって……。

そうやって私のことを呼ばないで……!」

なぜだかそう呼ばれる度に、チクリと何かが刺さるような……あの時とは違う感覚がするのでした。


「月子、大丈夫?

なんだか辛そうだけど……酔っ払った?」

「……大丈夫、」

席に戻ると、私は友達からお水を受け取り、ほんの一口、口にふくみました。

すると上からコップを奪われ、見上げた所には先輩がいて、

「大丈夫じゃないみたい。

俺こいつ連れて帰るから、これ二人ぶんね、」

とお金をテーブルに置き、私の鞄と腕を取ってその場から連れ出すのです。

「やめてってば!」

お店を出たところで、私は先輩の手を振りはらいました。

「……なんだよ、なんで怒ってるんだよ。

猫は迷子にならないんじゃないのかよ。

急に姿消したのはお前のほうだろう?」

「だって先輩はあの時、……新しい猫を拾ったんでしょう?」

今でも覚えている。

それは私が拾われた日のように、大雨が降っていた。

私は先輩の家に居て、日付が変わった頃にインターホンが鳴るの。

玄関カメラでモニターにうつったのは雨に濡れた女性。

先輩は“ちょっと出てくる”と言ったまま……帰ってこなかった。

だから私は、その人を拾うんだと、そう思った。

「あれは……昔付き合ってた年上の人」

口を開いた先輩は、とても言いづらそうに、それでも一言一言、言葉を探しながら私にしっかり話し出します。

「俺は付き合ってたと思ってたんだけど、彼女にとっては遊びだったんだろうな。

仕事先の人と結婚して、俺は捨てられた。

だから俺は特定の人を作らず、色んな人と付き合った。

色んな噂があったと思うけど、俺は誰とも寝てないし、全て上部だけの関係だった」

「昔の彼女のことは知らなかったけれど、噂がただの噂でしかないことには気付いていたわ。

お家に入れてくれていたのも、私だけだったみたいだから……」

私がそう言うと、先輩は悲しそうな顔で笑いました。

「だからあの時、お前以外の人……彼女を家に入れたくなくて……。

早く帰りたかったけれど、旦那と喧嘩して帰れないびしょ濡れの彼女を放ってはおけなくて、ビジネスホテルに送り届けてさ。

……帰ったら居なかったから、驚いたよ」

私はふと考えます。

「もしかして……」

「え?」

「もしかして私が知らなかっただけで、それまでにもそういう事があった……?」

私はふと聞きます。

「ああ……何度かあったかな、」

私は次の瞬間、なぜだか泣いていました。

「私を拾ったのは……。

拾ってくれたのは、その人と私を……重ねて見ていたからだったのね……」

「ルナ……」

先輩はあの日の保健室のように、私を引き寄せ、抱き締めました。

「確かに初めて会ったあの日……きっかけはそんな事だったかもしれない。

けれど、後にも先にも、俺にはお前しかいなかった……」

それを聞いた私は、

「私、帰ってもいいかな……?

もう遅い……?」

なんて言っていました。

なんだか急に戻りたく……“帰りたくなった”のです。

「遅いよ……」

耳元で囁かれた言葉に私はドキリとしたのですが、彼の腕が緩むことはありません。

「遅いよ……ずっと待ってたのに」

「嘘……」

「ずっとお前が欲しかったのに……」

「もっと嘘」

「本当だよ。

あの時俺はずぶ濡れの子猫を拾った。

弱ってるところに、漬け込みたくはなかった……」

「……じゃあ、もうルナって呼ばないで」

「そうだね……月子。

もう、待たなくて良いかな?」


私はその日初めて“月子”と呼ばれた。

拾われたとか、捨てられたとか、今はもうどうでも良い。

だって、その日久々に行った先輩の家には、私が消えたあの日最後に残していったネックレスが残されたままで。

確かに私はそこに存在していて、彼は私が戻るのを本当に待っていたのだということを知ったのだから。


そう――今日で子猫は、卒業である。




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